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外出と憂鬱と

一時期狂ったように外出していた時があった。出先でも少しの暇さえあれば、その見知らぬ町を歩いたものである。

例えば栃木県足利市。これは別になぜそこに行ったのかもう覚えていない。旅行だったか。それにしても日に短い滞在であっった。名の知らぬ川の流れるその町の橋を渡り、市街地に出たが、思いのほか人気なく少しく悲しくなった。だが、足利神社なる有名な神社の近くで何やら製菓専門学校の学生たちが自分らが作ってたお菓子を販売する催し物が行われていた。学生といっても、私と年齢はそう違いない。その製菓学校たちの中に男は見受けられなかった。私が明るく、東京から来た旨を告げると、些か興味深そうにしていた。足利神社を拝したあともなお、その町を徘徊したが旧家と思しき邸宅がいくつかあるのみで、他にこれと言ってみるべくものはなかった。誰も居ぬ、小川にブタクサの花が咲いていた。あれは秋頃だっただろう。

小田原に行った時のことを思い出した。中心地、つまり小田原城のある場所から少し離れたところまで私は歩いた。その地の最寄り駅は下曽我駅である。知る人ぞ知る、作家・尾崎一雄の生地であり、生涯を終えた場所である。その私小説の中にも下曽我の長閑な風景が描かれているのだ。特に何をしたわけでもない。ただ念頭に尾崎一雄やら太宰治の愛人・太田静子やら川崎長太郎、北村透谷らをおいて散歩しただけだ。

朝の光は夏になるにつれて次第に早く、我が陋屋にその顔を覗かせる。私の寝起きしている房中は東側に位置している為、かの影響を如実に受け、朝居眠りから強制的にまさしく叩き起こされるのだ。
この時節の気候はちょうど良い。散歩日和である。しかしもう長いこと一人でまるで瞑想であり迷走の彷徨をしていない。なぜ、だろうか。物憂いからだ。誰かと散歩することを覚えた私は見知らぬ街で孤独を味わう快楽を忘れてしまったのかもしれない。

そろそろ夏が来る。その前に梅雨が来る。私の誕生した季節だ。次いで私は二十の齢に一年が足される。死が近づいた。そうはいうまい。結局、死の到達点という意味において年齢なんぞ些細な要素にすぎぬのだから。
藤の花はそろそろ散るのか。花に通暁せざる私には、それはわからぬ。しかし確かに言えることは我が命脈は未だ尽きる予兆はない。そういうことだ。

五月三日 連休中終日在家 淼众 識

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