武埜 山水

昇流庵主人・武埜山水散人。或は武埜之萍、淼众。此頃思う事を時々書きます。21歳。文章書…

武埜 山水

昇流庵主人・武埜山水散人。或は武埜之萍、淼众。此頃思う事を時々書きます。21歳。文章書きます。

マガジン

  • 友川カズキ

    生きてるって言ってみろ。

  • 散人の作物

    私の執筆した文芸。

  • エレファントカシマシ 男たち

    最強のロックバンド。

  • 日本文学について

    日本人とは如何なる民族か。日本人とは如何なる精神を持っているのだろうか。日本文化とは如何なるものなのか。日本的なる人は如何なるものなのか。日本というものを知るには如何なる事を学べば良いのか問いのに矢張り文学を欠いては語れぬ所があるだろう。

  • 宮本、散歩中。

    ソロ関連の記事はこちらで。 宮本は果たして何処迄?

最近の記事

「情緒は脈拍よりなお確かだ」―友川カズキ『イカを買いに行く』について―

 友川カズキの音楽生活五十年を記念して『光るクレヨン』以来八年ぶりのニューアルバム『イカを買いに行く』が五月二十五日にリリースされた。全十二曲で構成された本アルバムには新曲は勿論、過去の作品も新録されて友川の現在形を窺い知れる作品集となっている。   一 イカを買いに行く  友川の日常をマジックリアリズム的手法全開で描いた楽曲。以前、配信ライブにて「買い物シリーズその2」と呼称していた。その第一作たる「祭りの花を買いに行く」とは真逆の激しいパンクナンバーだ。アルバムの開幕

    • 大震災の超克としての『君の名は。』―<セカイ>から<世界>の眼差しの転換―

      目次 ・1.研究目的 ・2.『君の名は。』以前の世界 ・3.『君の名は。』が描く「セカイ」と「世界」              ・終わりに 我々しかいない世界で ―『君の名は。』と『雲の向こう、約束の場所』―                              1.研究目的  新海誠は今や国民的映画作家である。2019年に公開された『天気の子』では日本国内においての興行収入が142億円を超え、2022年の最新作『すずめの戸締まり』においては147億円を超え

      • 白木蓮

         そこに意味などないのだが。身辺雑記、四方山話、問わず語りと。いずれの呼び名でも言い難く又、時として適切に思うのは、恐らくはそれに大した興味を抱いていないからに他なるまい。この記事の命題についてである。  季節の変わり目か、或いは単にわたくし生来の特性か、春の予感は一日置きに姿を隠すこの頃に身を病に冒されている。判然ならぬ、覚醒もままならぬ頭で木目の天井の一点を見つめていると、まるでわたくしのみが世間から隔絶された仙人の様な気がして、一体何時私が誕生したのか朧に霞む。病床で

        • 能『隅田川』ー物語とその背景ー

           はじめに –『隅田川(金春流は「角田川」。以下「隅田川」と表記)』の粗筋、舞台、魅力  舞台は武蔵国と下総国の間を流れる隅田川。時候は春。時は三月十五日の夕暮れから明け方。  都から知人を尋ねるべく武蔵国に達した旅人(ワキツレ)。隅田川を隔てた下総国へ渡る為、船頭(ワキ)に頼み乗船する。そこに同じく都から子を探し狂女となった女(シテ)が現れる。船頭は乗りたいのならならば面白く舞え、と要求し女は『伊勢物語』の「東下り」の段を巧みに引用しつつ自分がここへ来た訳を伝えた。船頭は

        「情緒は脈拍よりなお確かだ」―友川カズキ『イカを買いに行く』について―

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        記事

          洋行と個人主義ー永井荷風の場合ー

           永井荷風は1859年、小石川にて誕生1959年、市川市にて没した。父親の永井禾原久一郎(1851-1913)は有名な漢詩人・鷲津毅堂の門下生にして後に彼の娘を妻として迎えた。又、鷲津毅堂は大沼枕山の親戚であり、永井鷲津家の事情については後年の著作『下谷叢話』に詳らかである。  荷風は初め漢詩人の息子ということもあり、又旅行で訪れた上海に甚だしい感動を覚えて中国語を学んだ。しかし、それも長くは続かなかった。 やがて彼の趣味はフランス文学に傾く。ゾラより影響を受けた『地獄の

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          無常なる鐘の音

           シュルレアリスムを昔からこよなく愛していた私はアンドレ・ブルトンの『ナジャ』を経由して絵画を知った。サルバドール・ダリというスペインの画家は或いはシュルレアリストの代表として取り上げられがちだが、実のところ彼は違って矢張りトリスタン・ツァラやブルトン、アラゴンなどが取り上げられるべきであろう。画家ならばキリコ、ピカビアか。  ともかく様々なシュルレアリストがいる中でダリという画家の人気度は高い。彼は自身の絵画に徹底的に説明的な筆を加えるからであろう。私もかつて彼の熱狂的な

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          DANCE to the Future: Young NBJ GALA(於新国立劇場、11月25日)

           11月25日、26日に新国立劇場にて開催された『DANCE to the Future: Young NBJ GALA』は主に若手のダンサーを中心としたプログラムであった。  一幕ではパドドゥを四つ。二幕ではプリンシパル、ソリスト等ベテランたちの振り付け及び出演によるコンテンポラリー。三幕はナチョ・ドゥアト振り付けによる八年ぶりの再演「ドゥエンデ」である。  第一幕は若手ダンサー四組によるパドドゥである。一幕全体を通して言えることだが、若さが目立つ踊りであった。剥き出し

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          狂言『萩大名』能『景清』(於宝生能楽堂、十一月十六日)

           二〇二三年十一月十六日、水道橋宝生能楽堂にて都民劇場古典能鑑賞会百十一回能「景清」と狂言「萩大名」が演ぜられた。  先行は狂言「萩大名」。シテ、山本東次郎。アドは山本凛太郎と山本則重である。  田舎の大名が召使の太郎冠者に連れられて萩の美しい庭園を有するある人の下へと行く。亭主は美しい庭園を見せる代わりに、来る人には必ず歌を所望することを習いとしているが、田舎の大名であるから歌の心得などはない。太郎冠者はそんな大名を慮って「七重八重九重とこそ思いしに十重咲きいづる」とい

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          新国立劇場『Don Quixote』千穐楽雑感

          『ドン・キホーテ』は実にオーソドックスなナンバーであり、コンクールにおいてもそのバリエーションは踊らない人はいない。  他の番組と比較して華美な『ドン・キホーテ』は、それだけあって時として煩く感じてしまう事も多々あるが、流石は吉田都が舞台芸術監督を務める国立と言わねばならない。実に繊細に纏め上げ、練りに練られた振り付けである、という印象を受けた。 舞台はほぼ定刻通りに開幕した。 プロローグ。物語の発端たるドン・キホーテが騎士道物語に魅せられてサンチョ・パンサと冒険へ繰り

          新国立劇場『Don Quixote』千穐楽雑感

          世界の中に日本があって...

          日比谷の野音は百周年を迎えて、そこで恒例のエレファントカシマシの野音が開かれた訳であるが、そこでプレイされた楽曲「星くずの中のジパング」はファンの中でも知り人ぞ知る、というよりも殆どの人間が鑑みない作品であり、それは作詞作曲者たる宮本浩次も同じようで、実際当該曲が発表された20年前以降、アルバム発売に伴うツアー以外演奏されなかった楽曲であり、それは半ば忘れられた曲であった、といっても過言ではなく(それは何も悪口ではなくって)もう二度とやられないナンバーであると誰しも思っていた

          世界の中に日本があって...

          De la chance. #1『「「私」という現象」から「「私たち」という現象へ』或る稿へ至るメモ

          「すべての人間は知ることを欲する」(『形而上学』)とアリストテレスはかつていった。そしてその契機は間違いなく「驚きの情緒」(『情緒の系譜』九鬼周造)が起因していることは言うまでもあるまい。 驚きの情緒は、この世に自分がいるという知覚からへの驚きに他ならない。この世に我が身がある偶然性。驚きという情緒は常に、その原初には偶然性という誇大な現象が横たわっており、またその大きさは可能性という「論理空間」(ウィトゲンシュタイン『論理鉄学考』)を本質的に隠している。 可能態から現実

          De la chance. #1『「「私」という現象」から「「私たち」という現象へ』或る稿へ至るメモ

          小高い丘からの眺め

          狭山丘陵の行き方を私は知らない。 武蔵野台地を考える者にとって件の場所は是非とも見なくてはいけない場所ではあるのだが、如何せん東京の郊外の、それも埼玉となると、生まれも育ちも東京の私は、僅かに進むべき道を知らないのである。 とは言え、周辺に行った事がないという事はない。いつも目前までは行っているのだ。武蔵村山の貯水池には度々その足を運ぶ。 恐らくながら彼処は狭山湖も近かろう。 かつて私の外祖父は代官山に住んでいた。さらに以前は京都にあったらしいが、その事は餘りにも私か

          小高い丘からの眺め

          『牟射志野徜徉記』第一章「武蔵野について」

          私がいう「武蔵野」というのは、それは行政区画を指しているわけではない。例えば武蔵野という行政区画を考えた時にそれは自ずと「武蔵野市」になる。私が言いたいのはそれよりも遥かに広い。文化単位としての武蔵野といっても差し支えはないというべきだろう。 私のような武蔵野の魅力に取り憑かれる者の宿命、というか目下の課題というかは、武蔵野の範囲がすこぶる大きい事であろう。そして、武蔵野を規定する際に明確なる規範がない事であろう。 我々、つまり 開国以降の西洋文明を享受しているものにとっ

          『牟射志野徜徉記』第一章「武蔵野について」

          『牟射志野徜徉記』序章「私の好きな街」

          街。人々はそこに住む。そして暮らし、営む。人間が定住して以後、人類はそのように暮らして来た。時にそれは猜疑心働く愚かな場となり、また時には人の優しさの極限を働かせた場所である。 そして今日。日本には街がある。そして歴史を紡ぎ、次世代へ、まだ見ぬ、否、見られぬ、あるのかも分かりはしない次世代へ、まるで一縷の望むを託すが如く、希望を未だ来らざる極点に託すのだ。 街。私は郊外の、ある山村に近き場所にて育った。私はかの街に対して愛着はないと、そう言わねばなるまい。別段、そこに理由

          『牟射志野徜徉記』序章「私の好きな街」

          大田南畝 花のお江戸に遊ぶ人 『跋 南畝の後先 或は大田家系図徜徉記』

           跋 南畝の後先 或は大田家系図徜徉記 大田南畝は明和八(一七七一)年、富原理与を妻とする。翌年、女児が生まれるが夭折。その後、幸を生む。幸は後に金兵衛と結婚しその姓を冒し富と仲、二人の子を生む。更に安永九(一七八〇)年、長男・定吉誕生。後、冬と結婚。寛政十(一七九八)年、妻、死亡。享年四十四歳。享和元(一八〇一)年、定吉に長男・鎌太郎生る。その後、定吉と冬は富、磯、鉄次郎、合計四人の子供を育てた。鎌太郎は長男・正吉を夭折して失うと、家督を相続する直系の男児がいなかったので

          大田南畝 花のお江戸に遊ぶ人 『跋 南畝の後先 或は大田家系図徜徉記』

          大田南畝 花のお江戸に遊ぶ人 『第四章 大田南畝没後二百周年に遭う』

            二〇二三年四月二十九日から六月二十五日まで墨田区は押上の「たばこと塩の博物館」にて『没後200年 江戸の知の巨星 大田南畝の世界』が催されている。私はそこに赴いた。五月九日火曜日のことである。天気は終日快晴にしてやや汗ばむ程度の気温であった。 この展覧会は彼の没後節目となる本年に合わせて個人蔵、大学蔵、或いはその他蔵、問わず様々な場所からコレクションを集めた展示内容となっている。セクションは十個に分かれていた。「南畝の文芸」、「情報編集者としての貌」、「典籍を記録・保

          大田南畝 花のお江戸に遊ぶ人 『第四章 大田南畝没後二百周年に遭う』