見出し画像

小高い丘からの眺め

狭山丘陵の行き方を私は知らない。

武蔵野台地を考える者にとって件の場所は是非とも見なくてはいけない場所ではあるのだが、如何せん東京の郊外の、それも埼玉となると、生まれも育ちも東京の私は、僅かに進むべき道を知らないのである。

とは言え、周辺に行った事がないという事はない。いつも目前までは行っているのだ。武蔵村山の貯水池には度々その足を運ぶ。

恐らくながら彼処は狭山湖も近かろう。


かつて私の外祖父は代官山に住んでいた。さらに以前は京都にあったらしいが、その事は餘りにも私から遠い為、割愛せねばなるまい。そしてそれは外祖父とて同じ事だ。彼の話の中で京都が出てくるのは、ほんの僅かしかない。下鴨神社と親戚がかつてパイロットをしていた事のみだ。

外祖父はその幼少を代官山にて過ごしたから、話柄もそこに終始する。彼は東京大空襲の折、防空壕にての一夜を過ごした後、身内を頼って西部に移動したらしい。そうして辿りついた場所こそ村山の貯水池の、その近くであったそうな。

今はどうだか知らないが、かつてそこでは魚が釣れたらしい。幼き外祖父は、度々そこに出向いて魚を取る事を遊びとしていたらしい。


それから七十年以上経ち、当然ながら街の景観も変容した。かつての田園地帯は郊外のニュータウン建設により画一致化、都市化した。その変化は詰まらなさと引き換えに便利さを提供したのである。


村山の貯水池は別段、面白い所ではありはしない。単なる巨大な水溜まりである。これは何故だか分からないが、私は件の場所を訪う時、決まって時節は冬なのだ。それを狙っている訳では無いが、幾度かの訪問した記憶を手繰り寄せてみると、そこには決まって裸木が浮かび、空気も鋭い切りつけるようなものを思い出す。

あるいは、風景から冬と結びつけられているのだろう。


彼処は標高が高い。詳らかな数字までは知らぬが、とにかく多摩川からどんどんに登ってくる天辺近いから、それが分かる。

東京の北端に位置する丘で、東南に目を遣れば、新宿の摩天楼が見える。それも冬の澄んだ空気の空模様ならば殊更に明瞭な都市空間が見えるのだ。彼処まで歩けそうだ、という子供のような考えが脳裏を去来し、しばしその風景、まるで非現実的な建造物の中に私はいるのだ、という事を思い知らされる。


約七十年。かくまでビルが立ち並ぶと外祖父は予想していなかった。そもそもそんな光景は予想の範疇を超えている、と言わざるを得まい。

果たして、我が孫はこの丘から一体何を見るのだろうか。

            武埜乃萍 識

是非、ご支援のほどよろしく👍良い記事書きます。