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大震災の超克としての『君の名は。』―<セカイ>から<世界>の眼差しの転換―

目次

・1.研究目的

・2.『君の名は。』以前の世界

・3.『君の名は。』が描く「セカイ」と「世界」             

・終わりに 我々しかいない世界で ―『君の名は。』と『雲の向こう、約束の場所』―                           

 

1.研究目的


 新海誠は今や国民的映画作家である。2019年に公開された『天気の子』では日本国内においての興行収入が142億円を超え、2022年の最新作『すずめの戸締まり』においては147億円を超えた。

 彼が世間一般に認知されたのは2016年に公開された『君の名は。』以降のことである。同作は国内興行収入250億円を超えた。

 漫画原作でもなく、有名映画監督の新作でもない本作がなぜ、これほどまで大衆に受け入れられたのであろうか。それは、ただ単純に「おもしろかった」だけでは片付けられないものがある。「その価値を語るには「物語の分析」だけでは不十分」〔氷川 2017:178〕と氷川は述べている。筆者は、『君の名は。』が受け入れられた背景として「おもしろさ」はもちろんのこと、それ以上に東北大震災の被害経験がある、と考える。

 確かに、『君の名は。』と東北大震災と並列に論じたものは多い[1]。だが、それはいずれも、それら二つの関係を論じたに過ぎず、新海はその災害をあつかった同作から、観客に何を受け取って欲しいのか、また我々が受け止めたのか論じているものはない。

 本稿では、『君の名は。』が東日本大震災を起点として作られた事実を背景に添える。そして新海作品のこれまでの語り方に注視しつつ、同作において語ろうとしたこと、観客がその映画から何を受け取ったのかを述べた。具体的には、二節においては「セカイ」を物語っていた新海誠の特徴を記し、三節においては「セカイ」から「世界」に視野を広げた『君の名は。』での彼の語り方に注目し論じた。

 結論として、本作は震災による死者(それのみならず普遍的な別離)のある、残酷な世の中で我々は生きていかざるを得ない、という現実を巧みに観客に突きつけた作品である。そして、その一見残酷な現実は東北大震災を経験した我々(生存者)の罪悪感、「サバイバーズ・ギルド(Survivor’s Guilt)[2]」にカタルシスとして、作用したのである。


 

2.『君の名は。』以前の「セカイ」



 新海誠は長らく「セカイ系[3]」作家の代表格とされていた[4]。藤田直哉は新海誠の劇場公開された8作品をそれぞれ「セカイ期」、「古典期」、「世界期」[5]〔藤田 2022〕に分類しているが、『星を追う子ども』は死んだ思い人との約束を果たすことを目標としており、『言の葉の庭』は、その企画書「『言の葉の庭』 - この作品について思うこと」[6]に震災を受けての感想が述べられているものの、全編を通して現実社会、世界との関わりは希薄だ。また主人公・秋月がヒロイン・雪野に対して述べる「まるで世界の秘密そのものみたいに彼女は見える」というセリフからこの物語は「きみとぼく」の物語であり「セカイ系」分類される。


 

3.『君の名は。』で描かれた「世界」



 『君の名は。』は新海誠の集大成と言っても差し支えない作品だ。彼自身、「AnimeJapan 2016」にて公開されたインタビュー[7]において「今までの自分の映画のベスト盤のようにしよう」[8]と述べている。彼は「間口を広げて」と述べたが、それは誰しもが抱えている共通のトラウマを描くことを意味していた。その共通したものこそ東北大震災である。

 震災後、新海は被害の甚だしかった宮城県名取市を訪れた際、その情景を認めた日記を『3・11 7年目の真実』〔TBS 2018〕において公開している。


  津波にごっそりさらわれた名取の市街を形容するに良い言葉はないが。英語ならばbreathtaking(息を呑む)というかもしれない。日没間近の広く青く高い空が美しくその下にどこまでも続く荒地が広がっている。何か些細な違いで僕は長野ではなく仙台に生まれていたかもしれない。この町に育ったかもしれずであればこの土地を愛していただろうしならばもしかしたら津波に遭っていたかもしれずとにかくも自分があの日ここにいたという世界は十分にありえた。


 彼はここでの発見、特に「自分があの日ここにいたという世界」を大いに『君の名は。』に流用したのである。

 『君の名は。』において新海は、全くの他人が災害の当事者になる、という図式を取った。それは現実の世界の我々も同様であった。画面の向こうで津波に流される町や人々は、技術の発達により何よりも生々しく、映画以上にリアリティを持って放映されていた。そして原子力発電所の事故は日本全土にその問題が波及し、もはや誰しもが当事者になったのだ。そんな中、我々は誰しも、あの東北大震災がなければよかった、とそう強く念じていていた。「災害を人間の手でなかったここにする」という結末を『君の名は。』は描いている。だからこそ我々は『君の名は。』に対して大いなるカタルシスを感じることができたのだ。そしてまただからこそ、同作は日本社会に広く受け入れられたのである。


 

終わりに 我々しかいない世界で ―『君の名は。』と『雲の向こう、約束の場所』―



 新海誠の『君の名は。』は確かに、それまでの彼のエッセンスが随所に散りばめられた「ベスト盤」である。しかしながら、新海は一つの作品を語り直そうとした、とも語っている。その作品こそ2004年に公開された長編第一作目『雲の向こう、約束の場所』である〔東宝 2016:84〕。

 『雲の向こう、約束の場所』の物語は、愛する人を、故郷をなくしてしまった後、なおも生き続けなくてはならない我々の心情を(今となっては)最も的確に表現したセリフでとじられている。そのセリフは「約束の場所を失った世界で、それでも、僕たちは生きていく」である。

残酷でも、何もかもがなくなってしまった世の中でも、前を向いて生きていく必要がある。新海は、何もかもを失った震災の後だからこそ、『雲の向こう〜』を語り直す必要性があると考えたのであろう。そしてそれは、『君の名は。』において見事に成功したのだ。


参考資料
あきさかあさひ 2017『小説 星を追う子ども』角川文庫
東浩紀 2007『ゲーム的リアリズムの誕生 動物化するポストモダン2』講談社現代新書
東浩紀他 2007『コンテンツの思想―マンガ・アニメ・ライトノベル』青土社
映画ナタリー 2016年「新海誠最新作「君の名は。」はベスト盤!?AnimeJapanでインタビュー上映」https://natalie.mu/eiga/news/181161最終アクセス2023/08/09
榎本正樹 2021『新海誠の世界 時空を超えて響きあう魂のゆくえ』KADOKAWA
大場惑 2016『小説 ほしのこえ』角川文庫
加納新太 2018『小説 雲の向こう、約束の場所』角川文庫
興行通信社 2023「歴代興収ベスト100」http://www.kogyotsushin.com/archives/alltime/最終アクセス2023/08/09

TBS 2017『3・11 7年目の真実』TBS
東宝 2016『新海誠監督作品 君の名は。 公式ビジュアルガイド』角川書店
東方 2017『『君の名は。』コレクターズエディション 4K UltraHD Blu-ray同梱版5枚組初回限定版』
新海誠a 2016『小説 秒速5センチメートル』角川文庫
新海b『小説 言の葉の庭』角川文庫
新海c『小説 君の名は。』角川文庫
新海誠 2019『小説 天気の子』角川文庫
新海誠 2022『小説 すずめの戸締まり』角川文庫
谷家優子 2022『こころに傷を負うということ 阪神淡路大震災被災者と臨床家のレンズから見るトラウマ』ちとせプレス
津堅信之 2019『新海誠の世界を旅する 光の色彩と魔術』平凡社新書
津堅信之 2022『日本アニメ史 手塚治虫、宮崎駿、庵野秀明、新海誠らの100年』中公新書
土居伸彰 2022『新海誠 国民的アニメ作家の誕生』集英社新書
長山靖生 2017『「ポスト宮崎駿」論 日本アニメの天才たち』新潮新書
氷川竜介 2017「日本のアニメーションと新海誠作品」『新海誠展「ほしのこえ」から「君の名は。」まで』朝日新聞社
藤田直哉 2022『新海誠論』作品社
前島賢 2010『セカイ系とは何か ポスト・エヴァのオタク史』ソフトバンク新書宮台真司 2017『私たちはどこから来て、どこへ行くのか』幻冬舎文庫




[1] 土井は「本作(引用者註:『君の名は。』を指す)のこのようなシリアスな設定は、二〇一一年の東日本大震災とそれに続く原発事故を意識したものでしょう。」〔土居 22:37〕と述べ榎本は「二〇一一年三月一一日に発生した東日本大震災は、文学や映画や演劇、漫画やアニメなどの領域において、多くの表現を生み出した。『君の名は。』もまた、3・11後の想像力に根差した震災アニメである。」〔榎本 21:355〕と述べている。

[2] 「「サバイバーズ・ギルド(Survivor’s Guilt)」」はDSM-5によるPTSDの四症状(侵入症状、回避症状、認知と気分の陰性変化、過覚醒と反応の著しい変化)のうち「認知と気分の陰性変化」に含まれる概念とされている。」〔谷家 2022:119〕

[3] 「たとえば、この数年、ブログを中心に、ライトノベルやその周辺作品に現れる想像力を形容するものとして、しばしば「セカイ系」という言葉が使われている。それは、ひとことで言えば、主人公と恋愛相手の小さく感情的な人間関係(「きみとぼく」)を、社会や国家のような中間項の描写を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」と言った大きな存在論的な問題に直結される想像力を意味している」〔東 2007:96〕

[4] 東は西島大介、新海誠との鼎談「セカイから、もっと遠くへ」において新海の劇場デビュー作『ほしのこえ』(2002年)の冒頭のセリフ「世界っていう言葉がある。私は中学のころまで、世界っていうのは携帯の電波が届く場所なんだって、漠然と思っていた」を指し、「セカイ系的想像力の特徴をよく表していると思っています」〔東・西島 2007:18〕と述べている。

[5] 「セカイ期」に該当する作品は『ほしのこえ』(2002)、『雲の向こう、約束の場所』(2004)、『秒速5センチメートル』(2007)でありその特徴として、閉ざされた世界で感情の機微を描いた作品としている。「古典期」に該当する作品は『星を追う子ども』(2011)、『言の葉の庭』(2013)、『君の名は。』(2016)であり、日本の古典を独自の読み方で作品に反映している。「世界期」は『天気の子』(2019)、『すずめの戸締まり』(2022)で、社会や世界に自発的に繋がろうとしている作品である。

[6] 〔新海図録 2017:103〕

[7] 映画ナタリー2016年3月26日「新海誠最新作「君の名は。」はベスト盤!?AnimeJapanでインタビュー上映」https://natalie.mu/eiga/news/181161

[8] さらに同インタビューにおいて新海は「繰り返し描いてきたテーマをもっと深めて、もっと間口を広げて、もっとクオリティを上げ洗練させて飛びきりのエンタテインメント映画に仕上げたい」と述べている。閉ざされた「セカイ」を描くよりも開かれた「世界」を描こうとする企図があることが分かる。

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