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『牟射志野徜徉記』序章「私の好きな街」
武蔵野の坂の上 歩いた二人 そう 遠い幻 遠い幻…
悲しい気分じゃないけれど ニヒルなふりして笑う男の
電車にガタゴトゆられてたら まるで夢のように蘇る
武蔵野の川の向こう 乾いた土 そう 幻 そんなこたねえか…
街。人々はそこに住む。そして暮らし、営む。人間が定住して以後、人類はそのように暮らして来た。時にそれは猜疑心働く愚かな場となり、また時には人の優しさの極限を働かせた場所である。
そして今日。日本には街がある。そして歴史を紡ぎ、次世代へ、まだ見ぬ、否、見られぬ、あるのかも分かりはしない次世代へ、まるで一縷の望むを託すが如く、希望を未だ来らざる極点に託すのだ。
街。私は郊外の、ある山村に近き場所にて育った。私はかの街に対して愛着はないと、そう言わねばなるまい。別段、そこに理由がある訳でもないのだが。
では、談は自然と私の好きな街、に及ぶ。意識の閾に浮かんで来た、街の情景がある。それは、かつて訪れた忘れ得ぬ街に他ならない。
まず、憧憬としての海外、就中西洋が思い出される。それも美の都・パリである。モンマルトルのあの丘を、モンパルナスのラビラントを、必然的に思い出すのだ。次いで眼差しは国内に移った。
それは、千葉の真間の情景であった。あの、静かな、それでいて、かつてよりの香りが漂うあの郊外。向島もあろう。文人墨客が足繁く通った優雅なる巷。東京の赤坂も捨てがたし。あの、繁華にいずれは私も身を置きたしとぞ思ひけれ。小手指だに美しき。武蔵野の面影を多分に蓄えた古戦場跡。
武蔵野。これほど甘美なる響きは未だかつてなし。私はこれより、荒漠たる武蔵野の中心、府中について記すのである。そこには、今なおかつての、茅原の野広がる紫草の、あの往昔を偲ぶ所があるのである。
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