De la chance. #1『「「私」という現象」から「「私たち」という現象へ』或る稿へ至るメモ

「すべての人間は知ることを欲する」(『形而上学』)とアリストテレスはかつていった。そしてその契機は間違いなく「驚きの情緒」(『情緒の系譜』九鬼周造)が起因していることは言うまでもあるまい。

驚きの情緒は、この世に自分がいるという知覚からへの驚きに他ならない。この世に我が身がある偶然性。驚きという情緒は常に、その原初には偶然性という誇大な現象が横たわっており、またその大きさは可能性という「論理空間」(ウィトゲンシュタイン『論理鉄学考』)を本質的に隠している。

可能態から現実態への変転は可能性の不可能化を意味する。つまり、その分の論理空間が減退するという意味だ。

ところで九鬼はその著書『偶然性の問題』において、「太古にロゴスありき」(『創世記』)という言説を語るのではなく、そうではなくって、「原始偶然」なる概念を持ち出している。それはスピノザ的な汎神論に類似しているのであるが、ある意味で「国家」という狭まった論理空間から「私たち」という開かれた論理空間への、あらゆる可能性へと直結出来るカオスな偶然的現象へ、どの様に転じられるのか、それを思考する事が目下の課題である。

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