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白木蓮

 そこに意味などないのだが。身辺雑記、四方山話、問わず語りと。いずれの呼び名でも言い難く又、時として適切に思うのは、恐らくはそれに大した興味を抱いていないからに他なるまい。この記事の命題についてである。


 季節の変わり目か、或いは単にわたくし生来の特性か、春の予感は一日置きに姿を隠すこの頃に身を病に冒されている。判然ならぬ、覚醒もままならぬ頭で木目の天井の一点を見つめていると、まるでわたくしのみが世間から隔絶された仙人の様な気がして、一体何時私が誕生したのか朧に霞む。病床で最後を迎える末期の患者は一体何を思うのだろうか。体内に入る点滴のその一雫ごとにきっと何かを思うのだろう。いよいよ、臨終が間近に迫るとそれすらにも意識は行かず、四六時中ただ微睡の中にいる。それは詰まるところ「私」という意識が世界という偏在する空間に溶け出す準備でもあるのだろう。

 年々花への愛着が湧く。何時の頃からだったか定かではない。多分にそれは所謂、文学の影響下でそうなったのだが。だとすると俳句か。昔から、それは文学が好きだとは言える以前より、所謂定型詩が好きであった。覚えやすいからだろう。

 病臥、辱中にて岩波文庫の『定家八代抄』なる藤原定家が編んだアンソローを開いて見た。


 ほのぼのと春こそ空にきにけらし天の香具山霞たなびく


 大凡、巻頭直ぐ目に着く歌である。「新古今和歌集」から撮られている様だ。難解な歌ではない。蓋し実景と言うべき歌であろう。

季節は空に映る。或いはそうかもしれない。近景から視線は走る、遠景へ向かって。木々に咲く花々、山並みの木々、そして空と、そしてそこに浮かぶ雲。


わが心春の山辺にあくがれてながながし日をけふも暮しつ


これは紀貫之の歌である。また、同じく「新古今」から取られたものだ。

この歌にもある通りだが、春は確かに心中でイメージすると憧れるべき季節ではある。況や、最近の寒空の下に於いてをや。だが豈図らんや実際春が来てしまうと花粉に苛まれるのが現代人の宿命。悲しい哉。

 暮らす、という事。わたくしは「暮らす」という言葉に大いなる詩趣を感ずる。例えば郊外(これも又わたくしの好きな言葉だ)の丘の上に立って街を見下ろす時、点在する家屋には暮らしがある。海外だに事情は変わるまい。パリのモンパルナスの裏通りにて目撃したアパルトマンからゴミ袋を抱えた七十代ほどのマダムが出てきた。朝八時ごろであったから。わたくしはそこに彼女の暮らしを感じたのである。

 ところで、芭蕉晩年の句に次の如きがある。


 旅に病で夢は枯野をかけ廻る


季語は「枯野」で三冬。ざっくり言えば冬の句である。詳らかなるは失念したが彼が下痢でどこぞに臥していた際の句らしい。旅にその命を燃やし尽くした男は残念の中でも今度は心の中で旅をする。しかしそこは現実のものとは異なった、枯れ果てた荒野がそこにあるのみ。悲しく美しきものだ。

まだ元気な折、円覚寺を参拝した。無学祖元禅師を初代住職に鎌倉時代に創建された日本有数の禅寺でその舎利殿は国宝に指定されている。根岸線の北鎌倉駅よりほど近く。というか根岸線自体が不遜にも円覚寺境内をブチ抜いた形で施工してしまったのだが。鎌倉特有の岩山に囲まれたそこは別天地と言っても過言ではないほど静かで、風が通っていた。隠龍庵の最も高所まで上り眺め見たその景色はどこまでも青々と、そして空には霞が棚引いていた。帰路、路傍に咲いていた白木蓮の美しさに流涙を催し、老いたな我ながら、そう自嘲せざるを得なかったのである。


長く臥していて何事もないと、そのまま入眠する。それに驚いて目を覚ますと自分が今生きていのか、それとも死んでしまったのかが分からなくなる。病の時ならば尚の事。然し、それでもやっぱり生きていた。そう思い速やかなる快癒を祈るだけであった。

(了)

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