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待望の暖気

路傍の梅花は満開となり、都下には桜花開花宣言がなされた。三月中旬のことである。二十一回目の春を迎えて、私は初めて迎春を喜ぶという事態になった。何も今まで、意固地になって春を否定していたのではない。私にとって春とは何ら意味をなさない退屈の季節であったし、暑きよりも寒きを喜ぶ体質なのである。

華やかよりも地味なものを愛玩する私であるはずなのに何故、今日に及んで春の暖かさを喜ぶのか。それは、己が体調というのが最大なる要因に他ならない。

恥ずかしながら私は元来、病がちなる体質である。短い生涯を反省すれば随所に病の記憶あり。もちろんいずれも質の悪い風邪の領域を超え出はしないが、それにしても累計は一般的な人よりは多い事だろう。つい先日も由わからぬ高熱に煩わされ三日ほど辱中にて煩悶を余儀なくされた。
私の病のうちで最も厄介なのは腹痛である。正確には胃痛だ。一人散歩している時、女と戯れている時、やらねばならぬ事を為している時、ゆくりなくそいつは襲来するのだ。そうなると手立ては無い。ただ目を瞑り痛みの減退するを待つ他、術は無いのである。

「一番好きな季節は?」
一月の初頭。或る女と青山通りを歩いている際、及ぶともなくそんな話に及んだ。空は雲一つなく、寒風は凪いでいる。日差しは強い。勿論、冬らしき気温でありながら、それにしても、強い日光が厚手のロングコートを着ている私に振りそそぐものだから、額は僅かに汗ばんでいる。
「んー、やっぱり冬かな」
その女は言った。
私の友人は皆一様に温かい季節を順に好んでいる。冬を好む人間は稀だ。ささやかな共通点を見出した事に(我ながら可笑しいが)喜んだ。繋ぐ手に僅かながら力が加わっていたことだろう。
だが、彼女と同様に冬を好んではいる事に変わりはないのだが、その時も内心、腹具合を慮って暖かきを望んでいたというのが本当のところ。

巷は次第次第に春めいている。暖かくなっている。連日、もう一週間。否、二週間になるか。それまでの寒波が嘘のようだ。
めでたし、めでたし。
と簡単にいかぬのが浮世の定め。寒波に変わって襲来した花粉の嵐。しかも例年の比にならぬ程の。
私は重度の花粉症患者ではない。だが、今年の花粉にはやられている。特に頭痛が酷い。目眩を喚起させる程だ。今は一日も早く春の過ぎるのを待望している。花見なんぞもってのほか。できる訳があるまい。
夏だ。夏よ、早く来てくれ。照りつける太陽の下、我が鍛え上げた筋肉を茫漠と広がる真っ青な海に見せつけたい。一糸まとわぬ我が腹にも、何ら慮る必要はあるまい。


暖かき自部屋にて 淼众 識


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