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惜別は冬の気配に運ばれて

序に記

この大都会・東京で知己に会うは易からざる事なるべし。況や情交ありし人に於いてをや。東北の偉大なる大詩人は人と人との別れ難きを説かれられしが蓋しそれ即ち真理なるべし。

木枯らし吹き葉が落ちる。そんな秋の終わりはいつだって寂しいものだ。独り夕暮れの商店街を歩んだ時にふと思い出す過去。甘い追憶を絆される秋の夕暮れ。内省は幾度と無しに繰り返されて私と私以外との輪郭は次第に明瞭になっていく。個を感ずると共にそれはつまり孤独を感ずることであもある。去りゆく季節の別れを惜しみ去りし人々を思い出す。それが晩秋の一夜である。

変わり易きが女心と秋の空。吹きゆく風に芒が揺れる様になんとも実感のない間に間に人の心は移ろいでしまうのだ。
私は晩秋の一夜に些かセンチメントな心持ちになっている。末枯れの街路樹なんぞが目に入りそのなっているのか、はたまた破れ芭蕉を見て「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客。而浮生若夢、為歓幾何。」としみじみ感じ入っているのかも知れない。否、この際率直に告白しよう。私がセンチメントたるは昨日、かつての恋人に偶会したからに他ならない。

度々夢に出る女であった。それは熱情冷めしその後だに変わらざるものである。彼女のその影は色濃く私の実存のその内部へと分け入って居た。だからと言って彼女を責めている訳ではありはしない。今まで数々の人と出会い別れ又出会いその中で不義理なる別れ不本意なる出会いはあった。それが人生であろう。彼女は丁度、その中で特別に愛した女。ただそれだけである。
中学三年生の頃に、若く沸る情動の渦中に彼女は沈みそして消え去ったのだ。

私は日常の無聊を慰めんと新宿の歓楽街を徘徊して居た。秋も終わりに近づきし或る日である。日本の病巣は果たして何処なりや。あるいはここではあるまいか。
詰まらぬフィルムを二時間も見せられてしまった。暗黒の一室で隣人も誰かもわからぬ独特の雰囲気が私は好きである。フィルムは詰まらなかったが時空の歪みを模したあの時の進行を感じられるあの雰囲気が堪らない。エスカレーターを降り歓楽街を一望する。来た時よりも明らかに雑踏は甚だしくなり夜に至って初めて活動を始めるこの界隈は既に胎動を始めて居た。私がいるべき時間ではそろそろなくなる。
さて、帰ろうとしたその時。聞き慣れた声が私を呼んだ。その声の主こそかつての恋人であった。桃華はあの頃の制服とは真逆の派手な格好をしていた。

論語の有名な一節に「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」と言ったがそれをパロディした江戸時代の文人・柳沢淇園は「むかしの色友達ならば格別」と宣いける。大凡近き感慨あり。私は桃華との邂逅に時の過ぎゆきたるを忘れまるで未だに恋人同士かの様に歓喜した。恐らくは彼女もその如き感慨であっただろう。
歓楽街から程離れた静かなる喫茶店にて彼女と対座した。全てが変わった。その化粧も服装も匂いさへも。されど彼女は又逆に何も変わって居なかった。
桃華は現在の労働を話した。それは春をひさぐ仕事であり暗黒に沈澱する様な存在だと自称した。痛々しい笑顔はあの日、放課後に私に見せた顔と同じであった。その闇の中で彼女は尚一層、美しく咲くのである。それが私が彼女に惹かれた最たる理由でもあったのだ。
九時、彼女は私に別れを告げて雑踏増したる繁華街へと入っていこうとした。どうしても彼女の未来が心配になった私は引き止めて周辺の人目も憚りなく彼女を抱きしめた。しばしその突如なる行動に意表をつかれた様に硬直して居た彼女であったがやがて氷解すよる様にゆっくりと私に手を回した。
どちらともなくキスをすれば遠い背中の果てにあったあの日々が恰も今の様に蘇ってきた。しかしその時はいつまでも今には居てくれはしなかった。ゆっくりと離れゆく私と彼女の間は何よりも時が経過しているという証拠であったのだ。
「死なないって約束して」
私は彼女を助ける事はもはや出来ない。然し昔の馴染みだ。約束を取り付ける事は出来る。私が施した約束事、それは再開や復縁などよりもよっぽど重要である。彼女は目を潤ませつつも静かに肯んした。そして最後に一つささやかな笑顔を。
私は、今度はこちらから背を向け日常の住処たる川沿いの家へ帰る事とした。

夜。東の空にオリオン座が見えた。諸手を温めてくる恋人もおらざる私は消えかかる街頭立ち並ぶ寂しい街頭を独り歩いた。

(了)



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