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半生の記録と記憶

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今まで生きてきた記録、感じたこと。表に出せなかった思い。蓋をしてきたこと。
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#社会不安障害

安心できる居場所と自己主張。その①

安心できる居場所と自己主張。その①

今になって思うのは、とにかく、子供の頃からずっと、安心できる居場所や環境が、家庭にもどこにもなかったということと、我慢ばかりして、自分が悪いとうちにこもり自己主張したり自己表現、自分の意思を示すことができなかったということ。

自分から何かを選んだり、逃げたり変えたりとかしてこなかった人生だった。

限界まで我慢してもう無理…ってなることが、人間関係でも仕事でもいろいろあった。

古くは、母方の祖

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好きだったこと、楽しかったことを思い出してみる。②小学生

好きだったこと、楽しかったことを思い出してみる。②小学生

小学生の頃、好きだったこと、楽しかったことを思い出してみる。

相変わらず、虫取り、ザリガニ取りなど生き物が好きだった。自然の中で遊ぶのが好きだったということなのか。

近所に今はなくなってしまったが沼があったり、大きな田んぼ、畑があり、その用水路などでザリガニ取りをしていた。

夏になると、クワガタ取りに行った。住んでいる地域は住宅街で、少し遠出して、ほんの小さなクワガタが取れる程度だったけど。

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志望校をめぐって母親に泣かれる。

志望校をめぐって母親に泣かれる。

高校受験の時の話。

中学まで勉強を頑張っていた。

勉強のできる子、というのが、当時の自分にとって、唯一の取り柄かつ存在意義&アイデンティティ、みたいになっていた。

テストでいい点をとったときや、いい点をとって周りから褒められたり認められたりするのは嬉しかったけど、勉強しているその内容に興味関心や好きがあったわけではない。

楽しかったのは、唯一社会の歴史の部分、戦国時代くらいだ。

周りから

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こそこそ陰口を叩かれる中学校時代 思春期の女子との関係②

こそこそ陰口を叩かれる中学校時代 思春期の女子との関係②

不幸、地獄のはじまりは、中学校入学と同時にその予感をぷんぷん匂わせていた。

わたしは、Aと同じ中学校に進み、なおかつ、一年時に同じクラスになった。

嫌な予感がした。

複雑な感情だった。

同じグループだった仲間は別の中学へと進学していた。

グループから、Aと自分だけが抽出されて同じ空間に閉じ込められた感じだった。

気まずい空気となってしまったAとは、別の中学へと進みおさらばしたかった。

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バレンタイン 思春期の女子との関係①

バレンタイン 思春期の女子との関係①

バレンタインの少し前から予兆はあった。

仲良くしていたグループの女子、Aがこはだのこといいって言ってた…

みたいな話は耳に入っていた気がする。

そして、ある日、手紙をもらった。

告白された。

正直Aは好みでなく、好きではなく仲良くしてるグループの一員以上には思っておらず、むしろ他にいいなと思う子がいたくらいだった。

Aに友達でいましょうとの断りの手紙を書いて渡した。

ここからが恥ずか

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母の布団に入った夜

母の布団に入った夜

大学入試、どこの大学だったかは忘れてしまったけれど、とても緊張してナーバスになって眠れない日があった。

どうしても眠れず、落ち着かず布団の中にいることもできず、母親の寝室に入ってベッドに入ったことがある。

当時18歳。

母親に眠れないと告げるが、あまり相手にしてもらえず、あんたいい歳して…みたいに呆れられた気がする。

母は、自分の睡眠を邪魔されることを嫌がっているような感じだった。

どう

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2度目のカウンセリング、カウンセラーとの別れ

2度目のカウンセリング、カウンセラーとの別れ

転院してからは、将来のことを棚上げして生きることにした。

そして、それまでの勉強、座学的なコースから外れてしまったことから、全然違う道、違う生活や生き方をしようと思ったように思う。

それで、運送会社の倉庫で仕分けの仕事を始めた。あまり人目を気にすることもなく、しかも頭よりも体を使う、人間関係や接客、人を扱うのではない仕事についた。

といっても派遣労働者としてだ。

この倉庫での肉体労働は、当

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家庭内暴力

家庭内暴力

高校生の頃、こんなことがあった。

ある日の夜、2階の母の部屋からドンドンと大きな音と大声が聞こえてきた。

どうも、母の部屋で、兄と母親が言い争っているらしい。

なんだか、とても落ち着かなくて嫌だった。争いごとが嫌だった。母と兄が揉めてるのが嫌だった。

物を投げている音も聞こえる。母の悲鳴に近いような声も聞こえた気がする。

誰か止めて欲しいと思った。

ただ、父親は単身赴任で家にはいなく、

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転院先の病院

転院先の病院

新しい病院での初診、医師は、よく話を聞いてくれている印象だった。

そこで、今までの経緯を話すと、医師から、社会不安障害と、抑鬱状態との診断がくだった。

診断名がついたときはなんだか少しすっきりとしたような気もした気がする。

そして、今までの治療であまり効果が感じられなかったことなどを話し、薬も変更して処方してもらい、さらに、クリニックに常駐のカウンセラーとのカウンセリングも勧められた。

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転院

転院

鬱とカウンセラーから宣告され、心療内科の受診を勧められて、クリニックに訪れた。

このクリニックに訪れたのはこれが3回目だ。

1度目は、大学時代のカウンセラーに受診を勧められた時。

2度目は、会社員生活で、対人恐怖症のような状態になってしまったときに、どうにかしたくて受診している。

その時は、

日常生活に困ってるわけじゃないんでしょ?仕事に差し障りがあるわけではないんでしょ?

と言われて

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仕事のことを愚痴る父

仕事のことを愚痴る父

父親は、私が中学校3年くらいから二十歳を過ぎる頃まで、東北に単身赴任していた。

ちょうど私の思春期〜大人になる時期には父親が不在だったことになる。

当時はそのことについて何も思わないというか、父親がいてくれたら…と思うこともなかった。一度ある出来事があるまでは。

その件はまたの機会に。

それほど、父親との関わりや信頼関係やら、関係性そのものが希薄だったのかもしれない。

父は月に2度ほど、

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それが鬱です。

それが鬱です。

その当時、そのカウンセラーは皇居に近い一角の建物に勤務していた。

その場所へ時抱くから向かうには、地下鉄に乗り換えて出かける必要があった。

その地下鉄の乗り換え時、長い階段を上り下りしている時、自分の体に異変があった。

体が妙に重く、足が進まない。めまいみたいなものもして、少しの距離が進めない…。

なんだかカラダがおかしい、動かない。

やっとのことでカウンセラーの元へ辿り着き、途中にあっ

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退職〜職業訓練校〜再カウンセリング

退職〜職業訓練校〜再カウンセリング

新卒で入った会社を辞めて、その後の話。

記憶が朧げだけれど、失業保険の手続きをして、パソコンの基礎スキルを習う職業訓練校に通った。

これも、今考えると、失業した人が通る、レールに乗っかっていたように思う。

特にパソコンスキルを習いたいという意思もやる気もなく、なんとなく、何にもしないで過ごすことに抵抗があったり、家で親の目があったり、自分自身、外れたレールに早く戻らねばという焦りみたいなもの

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新卒で入った会社を辞める

新卒で入った会社を辞める

新卒で入社した会社を辞めることにした。

退職願を出したときは、介護の仕事をしたい〜云々の理由を社長に伝えたけれど、それが本当の理由ではない。結果後に介護の仕事に就くことになるんだけど、それはそれから何年も先のことだった。

本当の理由は、社会に出て、対人職業、仕事ができないことがつらくて、情けなくて、自信をなくして、嫌になったのだ。

思い描いていた、イケてる社会人…には、なれなかった、そういう

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