記事一覧
対話について考えたこと1 「対話って,ひとりでするものじゃないか?」
対話について,の対話に出ることになったので,出る前にいま考えていることを書いてみようと思った。
最近,対話って「ひとりでするもの。自分がするもの。」ではないか,と考えるようになった。
2人かそれ以上の人数で対話できているような気がするときも,それぞれが自発的に,その場にでてくる「刺激」を参照しながら,やはり自分と対話している,ということなのではないか。
同じ場に居合わせた人々が,テーマを共
私とアイデンティティ感覚 -青年期の揺れの記憶と「私は生きてるさくらんぼ」
『私は生きてるさくらんぼ』という絵本がある。ちいさな女の子が,その日にみた景色,人々,色彩の中にとけこむように,「わたしは 木 わたしは 猫.」「わたしは あお わたしは 金.」と,自由にすきなものに同一化して,うたう。そして「わたしは いつも わたしでしょう. わたしは いつも あたらしくなるのよ.」としめくくる。
この本に出会ったのは25才の頃だった。京都の素敵なセレクト本屋さんで何気なく
哲学対話体験記#04 「哲学対話についての哲学対話」 ドッグランとコミュニティボール
5月2日。1週間前までは想像もしなかった「哲学対話漬けゴールデンウィーク」に突入していた。私は,悩み事や恋愛に限らず,なんでもかんでも考えたいと思うようになってきていた。
子どもの頃,科学のふしぎ,社会のふしぎ,みたいなQ & A的「なぜなに本」が好きだった。「宇宙のはじまりは?」「どうして子どもはお年玉がもらえる?」「万博ってなに?」みたいな,切り口バラバラ・興味があるのかないのか自分でもよく
哲学対話体験記#03 「 勉強とからだと心 勉強と、からだ・心に繋がりはありますか?」新しい扉,哲学対話で出会う "自己たち" について
私が出させて頂いた哲学対話の第3回目レポートです。日付は4月29日,祝日のお昼14:00-。
この企画は,のちに始まったこまば哲学カフェ【シリーズ 勉強とからだと心】の世話役をつとめられている石川信行さんと,のちに【シリーズ セックスと性の〈なぜ?〉を考える】を主催される二村ヒトシさんの共同主催であったかと記憶している(以下は「こまば哲学カフェ」,リンクは過去のイベントですが,今後も続けて開催さ