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哲学対話体験記#02「鬼滅の刃1と2」 "なんで こんなことに なったんだ" からはじまる旅

  哲学対話との出会いと,それを通してかんがえたさまざまなことについて書いている。対話後すぐに書かないと,そのときの考えの勢いがなくなり,なかなか書きづらくなってくるが,思い出して書いてみる。

「鬼滅の刃1と2」に参加したのは「コロナとSEX」で哲学対話に初参加した翌日,2020年4月25日の夜のことである。主催は二村ヒトシさんだった。今思うと,いきなり二日連続だったのだな。

この哲学対話に参加しようと思えたのは,テーマ説明に"1巻と2巻を読んできてください"と書いてあったおかげである。私はこの漫画の1巻の最初の方だけをweb上で立ち読みしたことがあり,興味は持っていたが読まないままでいる状態であった。それでも「鬼滅の刃」の人気のすごさや,もう20巻近くまで出版されていることは知っていたので,この哲学対話にも,やはりこの漫画への思い入れの強い方々が参加され,その"良さ"を熱く語るのだろう,1巻と2巻しか読んでいない私の目はそのとき泳ぐのだろうとイメージした。

それでも "1と2だけ読んでいればいい" という参加条件はけっこう強調されていたし,たしか,「漫画の良さについて話合うわけではありません」という注釈もあった,ような気がする。それらの文言を信じて私は参加した。

ひとまずインターネット上で,我らがジュンクドー書店に在庫があるかどうかを確かめ,取り置き予約したうえで自転車に乗って「鬼滅の刃1と2」を買いに行った。コロナ禍,短縮営業になっていたジュンクドー書店のレジには行列ができていて,普段よりむしろ密だった。

家に帰って読む。この漫画のはじまりの台詞は "なんで こんなことに なったんだ" である。私はこの,最初の一コマに共感した。「兄弟の多い炭治郎。兄弟に慕われ,親からも頼られる,働き者の炭治郎。炭をたくさん背負って町へ売りに行き,一晩明けて帰ってきたら,家中めちゃくちゃに壊れている,そこらじゅう血だらけ,全員死んでいる。」

この大惨事とリンクして私の頭に浮かぶのは,自分の家庭で起きた惨事である。ある冬の日に,生まれ育った家の台所で,やさしく明るくはたらきものの母親が死んだ。その日からというもの,私のあたまのなかでも,この漫画のはじめの台詞  "なんで こんなことに なったんだ" が,なんどもなんどもくりかえされていた,ような気がした。だから,この漫画の最初のページの炭治郎の叫びを読んだとき,この話は他人事ではないかもしれないと思った。

「炭治郎に残された家族は鬼になった妹だけ。炭治郎はこの妹をどうしたら人間に戻すことができるのか,その方法を探るための旅に出る。修行は厳しく,才能と努力と精神力が求められる。」

この日の哲学対話で自分の心に残った問いは「生殺与奪の権を他人に渡さないことは可能なのか」というものだった。鬼になった妹を守ろうとして,妹を殺さないでくれと土下座をする炭治郎にむかって冨岡義勇が言う台詞である。

自分よりも圧倒的に強い者にむかって土下座をし,大事なものを奪わないでくれ,殺さないでくれと頼み込むというのは一見,賢い方法にも見えるが,土下座された方の冨岡義勇ははっきり「苛立ちと怒り」を表明した。なぜだったのだろう。炭治郎はどうするべきだったのだろう。生殺与奪の権を渡さないとは,相手が圧倒的に強い状況でも,無様にあがき続けることなのか。それは愚かな,無意味なことではないのだろうか。

もしかしたらその瞬間,炭治郎にできた"あがき"は,土下座をして頼み込むことしかなかったのかもしれない。それは無様で冨岡義勇を苛立たせはしたが,成果はあったのかもしれない。なぜそう思うかというと,結局,冨岡義勇は炭治郎と妹を斬らなかったからだ。そして,そのあとけっこうしゃべる(心の中の呟きも含めて)。概要はこうである。「土下座などが効く相手であれば,お前の家族は殺されていない。現実は厳しい。誰もお前の気持ち,意志・願いなど尊重してくれない。闘い抜く覚悟もなしに願いなんか持つな。怒っているなら,何かを変えたいなら,うずくまって頼み込むんじゃない。現実を見ろ。手足を動かせ。」

冨岡義勇が炭治郎と妹を斬らなかったのは,彼が鬼ではなかったからであり,怒りと苛立ちを見せたのは,彼が現実を知っているからだろう。冨岡義勇は手足を動かしている男であり,土下座をする炭治郎の願いには痛いほど「憶えがあった」。そして,現実の鬼の姿と照らし合わせると,この少年がすぐ殺されるだろうということが予測され,その,近い将来起こり得る「現実」について,ゆるせない思いになったのではないだろうか。

しかしながら炭治郎は,冨岡義勇の予測した以上に「成長の速い男」であった。この次の瞬間に早速自分の手足を動かし,思い切った行動をとる。その行動は冨岡義勇の心を動かし,結果として炭治郎は,鬼と闘うための準備に欠かせない人物との人脈をつかんだ。

以上が第1話である。再読してみて,第1話の濃さに驚いた。全然出し惜しみしないじゃないか。というよりむしろ,はやく本編を話したくて,ことの顛末を手短に1話におさめた,という感じがする。どうなってるんだ「鬼滅の刃」。私はもうお腹がいっぱいだぞ。

で,続きを読んでいく。自分は,少年漫画やアクション映画をみていても,物語を追うのは好きなんだが,闘いのシーンでは眠くなるというヘキがある。それはこの漫画についても例外ではなく,闘いシーンは,読んでいて二回くらい,ぐうぐう眠ってしまった。しかしながら,哲学対話でこの漫画について自分なりの考えを話さないといけないと考えていたので,眠ってしまいながらも諦めず,目が覚めたらまた頑張って続きを読んでいった。

その後,「鬼滅の刃1と2」の哲学対話に出てみて思ったことは,ストーリーを追うのが好きな人はそれを軸に読んでいい,読むとき何度も眠ってしまったような人も対話に参加してもいい,ということである。対話することで,自分とは違うタイプの読み手(たとえば闘いシーンを楽しんでいる人)の言葉を介して,自分にとっては"もや"がかかっているようなシーンも,何とか眺めることができた。自分の拙いアンテナで受信した情報についても意見を表出することができ,自分にすこし引き寄せて味わうことができた。

また私は,この漫画の,旅のはじまりについてのストーリーは好きだったが,そこからの苦労話というのは,けっこう苦手だったのかもしれない,ということも,今振り返って思う。2話以降16話までの間にも,炭治郎の涙とか叫びとか死ぬほどの頑張りとか機転とか愛とか共感とか迷いとかが随分色濃く詰まっていたが,私はどこかで,炭治郎の頑張りを応援しきれないような気分も味わっていたような気がするのだ。

この「頑張り」について,自分のことと照らし合わせてみると,自分が家族内の問題を解決したくて心理学を学び始めたことや,家族内の不可解な事件をきっかけに犯罪加害の研究を始めたことを思い出す。自分の "なんで こんなことに なったんだ" 的な体験から旅を始め,自分なりに努力して鬼殺隊のようなものに入ろうとしてみたような気もするが,方向性が間違っていたのか,バーンアウトしたというのか,よく分からない状態に陥り,最近は頑張れなくなっていたのだった。

で,あるから, 炭治郎が頑張り続けているのを見るのは(なんとなくいやだなぁ,もう頑張るのやめてもらえないかな)というか(頑張れてない自分を思い起こさせられて,見たくないなあ)という思いをおこさせる,ということに気づいた。つまり,この物語の旅の始まりは「他人事ではない」のに,旅のうえで炭治郎が苦労し,成長していくところを辿っていくあたりで,どこか「他人事にしたくなる」気持ちが芽生えていた。それが,「鬼滅の刃1と2」の哲学対話で見つけた自分の姿だった。

また同時に,破れかぶれで頑張っている人,自分が欲しいものがはっきりしている人というのは,けっこう偶然会う人を支えるし,偶然会う人に支えられる,ということが起きるんだということ,それはこの話が漫画だからではなく,現実にもそういうことって起きてたかもしれないな,と,これもまた自分の体験を振り返って共感したり,などもしていた(対話中,こういった自分のことに関しては,なにも話さなかった。ぼんやりとこのような考えが伴走していることには気づいている,という程度だった。書くことも考えることのまとめとして,有効なのかもしれない)。

あともう一つ,この哲学対話は,自分にとって,前日に参加した「セックスについて」の哲学対話よりも,更に,単純に楽しかったと記憶している。

なぜ楽しかったのだろう? 一見して誰かや自分の悩みと直結するような(恋とか仕事とか人間関係とかの)テーマではなく,ぱっと見た感じではそれぞれの人生との関わりは特に想像できないような,漫画や本などの題材を介した哲学対話では,知らないうちにみんなの心のバリアが低くなってくれる。そのため,思いがけない面白い話が入って来たり,発見をしたりするということが増えるのかもしれない。また,自分の考え事について直接話題に出さずに,なんなら対話中は意識もせずに,考え始めることができるので,いつもより深い場所で泳いでいるような,のびのび思索できる感じが味わえるのかもしれない。

4月からこれまで様々な哲学対話に参加させてもらったが,なかでもこの「鬼滅の刃1と2」の哲学対話は,いまでも宝物のように思い返す,とりわけ印象的で大切な哲学対話の1つである。そう思うと唐突に感謝を述べたくなった。あの日,哲学対話を主催して仲間に入れて下さった二村さん,一緒に対話してくださったみなさん,どうもありがとうございました。

また,これを書いていて,後日談みたいに,それぞれの心の中で,あの日の「鬼滅の刃1と2」を通して,みんなはどんな自分に出会っていたのか,その後それはどんな風に変化して,いまはどんな風なのか。そんな話もまたいつか聴いてみたいな,という気がした。