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対話について考えたこと1 「対話って,ひとりでするものじゃないか?」

 対話について,の対話に出ることになったので,出る前にいま考えていることを書いてみようと思った。

最近,対話って「ひとりでするもの。自分がするもの。」ではないか,と考えるようになった。

2人かそれ以上の人数で対話できているような気がするときも,それぞれが自発的に,その場にでてくる「刺激」を参照しながら,やはり自分と対話している,ということなのではないか。

同じ場に居合わせた人々が,テーマを共有してそれぞれ考えているとき,まるで相手「と」対話しているような錯覚を憶えるかもしれない。けれどもそれも,自発的な自分との対話が,同じ空間で同時に進行しているだけ(だけ,といいますが,これは幸せな状況だと思います)なんじゃないかと思う。

相手も自分もアクティブで,お互いの意見を参照し合いながらあるテーマについての対話が捗ると,ワクワクするし,いろんなことに気がつくし,相手とも親しくなったような気がする。だからこそ,対話ってもの自体が「平和的に分かり合うための手段」だと思われがちなんだ。けれども,多分,対話の効能は,そういう目的を持って得られるものじゃない(じゃあ対話の効能ってどんなものがあるの?という考えも浮かぶが,これはあとで考えようと思う)。なんせ「意見の対立があるから,分かり合うために一丁,対話をしましょうよ」という気持ちで対話を持ちかけても,うまくいかないと思う。

たとえば,こんなことがあるとする。

Aちゃんと散歩してて,夕ご飯どこかで食べようか。ってなった。僕が「蕎麦でもどう?」って言うとAちゃんは『えーっ,またお蕎麦?私はハンバーガーの気分。』って言うかもしれない。僕はそれをきいて(そうだな。たまにはハンバーガーもいいか。じゃ,アボカド・バーガーにビールでも飲もうかしら。)とか思う。それで僕は,「そうだね,ハンバーガーいいかも。」ってAちゃんに言う。

これなんか,ふたりで対話してハンバーガーに決まったように見えるかもしれない。だけど,僕はAちゃんの『ハンバーガーの気分』という意見を参照して,自己内で対話した結果,「ハンバーガーもいいかも。」という,あたらしい自分の意見が浮かんだのに気がついただけなんだ。

でも,自己内で対話して,別の考えが浮かぶことだってあるだろう。

僕は,(またお蕎麦?ってAちゃんの言い方,なんかイヤだったな。僕ちょっと疲れてるのかな。なんだかひとりになりたくなってきた。家に帰ってインスタント・ラーメンでも食べようか。)と思う。それで「夕飯,やっぱり今日はやめとくよ。ちょっと疲れたみたい。帰るね」ってAちゃんに言う。

「Aちゃん」の反応は,どうなるだろう。

Aちゃんは『どうしてそうなるの?ホントに,あなたって全然対話のできない人ね』と言う。僕は「・・・少し疲れただけだよ。また連絡する」と言う。Aちゃんは呆れたような顔をして『普通,いきなり帰るとか言わないわよ。ハンバーガーがイヤならイヤって言えばいいだけじゃない?』と言う。
(普通ってなんだろう)と僕は思う。それから(夕飯を一緒に,って話だったのに,急に帰る,と言われるのは,きついことなのかもしれない)とも思う。(でも,仕方ない)そう思って僕は,「ごめんね」と言う。『もういい!あなたっていつもそうじゃん』と,怖い顔をしてAちゃんは言う。
僕はそれを見ながら,(Aちゃんは自分が正しいと思っているみたいだな)と思う。( "全然対話のできない人" は,Aちゃんの方なのではないだろうか)と思う。だけど,それは言わない。

「僕」は「Aちゃん」の意見を聴いて,どう感じるか自分にたずねた。対話って「全部打ち明けること」でもないし,「あなたの意見に納得したそぶりで賛成すること」でもない。誰かが誰かとの意見を調整するために「対話しよう!」と持ちかけるとき,多くの場合は「私を観察して理解して,あなたが変わって」と,遠くの遠くに要望してるんじゃないか,という気がする。

人間は言語やみぶりや服装や匂いや,いろんなモダリティを使って,体調と好き嫌いと損得と理念と,色んなことに左右されながら,雑多な情報の混ざり合った刺激を毎分毎秒提示し続けている。相手はその中から気持ちをひかれるものを意識的無意識的にピックアップし,こんどは自分の変化を眺める。対話ってそれ自体は,そういう個人内で生じる作用を眺め続けて,自分に訊ね続ける,ただそういう行為のことなんじゃないかなぁと思う。

・・・ここまで,「1. 対話ってひとりでするものではないか?」を書いてみたら,けっこう長くなってしまった。まとまっているかどうかも分からないし,また考えが変わるかもしれないけど,いったんここまで出してみようと思う。

書いてみて眺めて思ったこと

対話はひとりでするもの・・・というよりは,「自発的にするもの。他者に強要できるものではないもの。」ということが言いたかったのかもしれない。2人プレイ,複数人プレイも成り立つけれど,誰かの「意図」が先立つと,すぐに対話じゃなくなる,ということかな。

この続きとして,「2.結論は出る場合もあるがその前に死ぬかもしれない。」「3. 対話は探検。自分で移動を体験すること。」「4. 対話はわからなさに耐えること。」ということについても,書いて整理できたら良いなと思います。