私の人生の一部であるがこれまで人にはほとんど話せなかった話#01

このことを書こうと思ったのは,4月から始まった連日の哲学対話の時間で,さまざまな方向からの考え事ができるようになったためである。

この記事は,他の記事に比べて重い内容になるかもしれないけど,私は明るい気持ちで日常生活を送っているし,哲学対話のときも,いつも,考えることを楽しんでいる。

どこでも何でも話すわけではないけど,自分の中でタブー感をなくしたい,みたいな目的での,ちょっと迷惑かもしれないトライアルです。

(痛い話が嫌いな人は,読まないでください。)

過去に,自分が育った家庭で,家族内殺人があった。

弟が,母を殺した。

殺人に使用されたのは,主に信楽焼?かなにか,骨董の重い花瓶と,SOLINGENの包丁と,灯油。

母は正面から殴られていた。頭蓋骨の左側が割れていた。

事件はx年前の12月,クリスマス近い平日午後3時頃に起きた。

家には弟だけがいて,仕事の合間に着換えかなにかするために自宅に寄った母が,殺された。

現場を見て回ると,母が頭を殴られただけでは死なず,なんとか逃げ出して助かろうとしたが,ひきずり回されて結局殺されたということが想像できた。

多分こんな感じ。母はまず台所で弟と対面し,花瓶で殴られ,外に逃げようとして車に乗って,車からひきずり出され,気絶して,灯油をかけられ,火をつけられ,熱さで目が覚め,シンクに火を消しに行き,それを阻止され,首をしめられ,壁に押しつけられ,包丁でたくさん刺されて,死んだ。

その根拠は,台所から土間,ガレージ,車の中,また車の外へと続く血痕,黒く焦げた土間の地面,灯油の匂い,包丁,散乱した鍋,甘酒,散らばった食器,引き抜かれた水栓,壁に残る無数の血痕,血痕,血痕。

それから,検死後の母の遺体を引き取りにいったときに戻ってきた,母の様子。誰なのかわからないセルロイドみたいにてかってふくらんだ顔。本体の頭のところは布に覆われて見えなかった。焦げた髪の毛が,ちいさなビニール袋に入っていた。

私がなぜこれを書こうと思ったかというと,自分には「人に言えない話」が多すぎると思ったからである。

特にこの話はなかなか残酷だし,恥ずかしい話でもあるし,聞いた人が,一体なんと声をかけてよいかわからなくなる話でもあるだろうし。

おそるおそる話してみたこともあるし,トラウマ治療でも扱ったけど,未だに私は,この話を消化することができない。なにかのきっかけですぐ,このことが頭をよぎる。この話をすることができないため,私は(心ここにあらず)の状態になり,その場をやりすごすことになる。

別に,理由づけや慰めがほしいわけではない。ただ,連日の哲学対話を通して考え事が捗るようになり,それをきっかけにこのことが書きたくなって,追い追い,これにまつわるたくさんのことも,少しずつ書いていきたくなった。

それは,自分の中にある「社会的な"自分"」と「思索する”自分”」の不一致さに,不自由を感じていることに気がついたから。

「社会的な"自分"」で人と関わっている限り,私は孤独であり続けるのかもしれない。それならば,これを書くことで,なにか,動かないものか。

そういう,「なすすべなし」の中で思いついたトライアルである。

続きを少し書く。

この殺人を行った弟は,現在刑務所にいる。この弟もまた,自分にとっては大切な家族の一員であった。どのような立場をとることがこの最悪の事態の中で最善であるのか,選択すること,また実行することは苦しかった。また,一方で,珍しい体験もいくつかした。それらについても,追い追い書いていけたらいいなと思う。

それから,私は犯罪についての研究を習うようになったが,いまのところ,それが自分にそれほど向いた仕事とは思えていない。自分ではじめたはずなのに,コミットしきれないのは,単に自分が怠け者なのかもしれないと考えていたが,犯罪についての研究が,自分がこの事件との関わりで得た疲れや無力感を思い起こさせるから,なのかもしれないとも思う。

そして,唐突だが,

お母さんあなたのたましいはいまどこにあるのですか

と呟く瞬間が希にある。そういう瞬間,自分は泣いている。母への思慕の感情は,日常ではだいたい凍り付いているため,そのような瞬間は,自分にとっては貴重だと感じられる。

もう一度書くけれど,この記事が,他の記事に比べて重い内容であったとしても,それは仕方ないのかもしれないけど,私は明るい気持ちで日常生活を送っているし,哲学対話のときも,いつも,考えることを楽しんでいる。

だから,なんでもない話なんだけど,タブーをなくしたい,みたいな目的での,ちょっと迷惑かもしれないトライアル,でした。