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哲学対話体験記#06「自分の死について 」

こまば哲学カフェ,SHIKOさん主催の哲学対話である。90分,考えるためのルールがクリアで徹底されていた。他者の話を聴きながら,考えたいことについて自由に考えることができた。

今回は入室前から対話開始までに,職場から緊急の電話がかかってきたり,PCがブラックアウトしたり,繋がったのに突然落ちたりと,いつもにないトラブルに見舞われ,何度か,もう対話に加わることを断念しそうになった。そのたび(自分自身がこの対話を億劫がっているのかもしれない)という風にも思えて,逃げるのはイヤだなと思い,参加へのトライを続行した。

誰に看取られたいか

8人くらいのブレイクアウトルームに入れた。アイスブレイクの問いは「誰に看取られたいですか」。自分の死を想像させる問いかけである。

私は,できることなら,長年支え合っている親友を看取るか,その人に看取られるかしたいと思った。ひとりで体調が悪くなり,寒い思いをしながら死ぬのはつらいだろうな。選べるなら,静かなあたたかい場所で,チェロかコントラバスの生演奏を聴きながら死にたい。死に方は願っても叶うことが稀だろうけど,何にもイメージしてないよりはいいような気がした。

申し訳ないのか,恥ずかしいのか

対話が始まってしばらくして,"年老いて誰かの世話になることを「申し訳ない」と思う傾向が特に日本人には高いのではないか",というような話になった。それを聴いていて自分は,年老いて誰かの世話になってしまうことは,なんというか,葉っぱが枯れて地面に落ちてくるようなもので,割と自然なことなので,まあお世話になることもあるだろうけど,ある程度は仕方ないんじゃないだろうか,と思っているふしがあるなぁと思った(図々しいかもしれないけど)。そして,自分は「若者の世話になること」を恐れる気持ちはあんまりないけど,それより,身体が動かなくなってからとか,死んだあととかに「いろいろやりたかったみたいだけど,あまりなにも達成していない人の人生が終わった」ということを他者にみられるのが恥ずかしい,という自意識からくる恐れを持っている,ということが分かってきた。

亡霊の指令によって,死んだように生きること

参加者のひとりが話してくれた「身近な大切な人を亡くしてから『終活をするために生きている』というような時期があった」という話から,”まだ生きててやりたいことが強く残っている人の死”は,ごく身近にいた,受信機のようなタイプの人間の生を,一時期,死の世界とミックスさせてしまう,というようなことがあるのではないかと思った。

大切な人の突然死後,自分は『終活』はしなかったけど,仕事と勉強の予定を詰め込めるだけ詰め込み,数年間,過剰な活動をして生きた。その頃は,稀に休日になると,床に転がる以外なにもできないほど疲れていた。身体が疲れていただけだと思っていたが,あれは本当は精神?魂?がごっそり失われていたので,予定された活動以外なにもできなかったのではないかという気がする。今考えると,精神や魂に向き合うとうっかり死んでしまいそうだったので,なにも考えないですむように予定を詰め込んでいたとも考えられる。生き延びるために邪魔になった私の精神を,自分の傍にいる亡霊に投げやる。その亡霊が私の精神を食べ,私の代わりに私に指令を与える。その指令に従って自分は生きていた。多分亡霊のおかげで生き長らえた。けれども気がついたら,亡霊に任せた自分の精神は,ただの燃えかすみたいになっていた。

そんな風に精神を自分の傍の亡霊に投げ与えて,そのかわりに指令をもらい,身体だけぐるぐる動き働きまわって生き延びている人々は,多分,世の中に一定数いるんじゃないか(特殊なメガネをかけたら傍にいる亡霊が見えたら面白いのに)。

そんなことを考えていると,「僕は死ぬように生きていたくはない」っていう,昔聴いた歌の歌詞が思い起こされた(中村一義 "キャノンボール",2002)。けれども(精神を殺しておかなければ生き延びられない時期,というのもあるんじゃないか。生き延びるためなら,死ぬように生きている期間があってもいいんじゃないか。)なんてことを思い,さらに(けれども,どうして,そこまでして生き延びないといけないのだろう。)という問が残った。

この哲学対話をとおして自分は,薄々気づいていた自分の傍の亡霊について今までよりもはっきりとしたイメージを持った。また,(いま,亡霊からの指令がまだ残ってるからそれをはやくやり終えたい),(もう亡霊からの指令に従わないで生きたいが,なぜか,捨ててしまうこともできない)と思った。それは借りてる本みたいなもので,ゴミ袋に入れて捨ててしまうわけにはいかない種類の「特殊な非所有物」なのかもしれない。行きがかり上やりとげなければならなくなる仕事,というのが,ときに,人間には,課せられることがある,ような気がする。

それらの処理を終え,亡霊のたき火にくべてやって燃えかすのようになった私の精神が,指令遂行完了の合図とともに再生し,ぴかぴかの状態で取り戻されるシステムだといいな。はやく任務遂行しなきゃ,肉体は衰えたけど精神はぴかぴかのまっさらぴん,というおばあさんになるね私。