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映画や本や対話の日記:1

みた先読んだ先から忘れて行くのがなんとなく残念なので,まとめや推敲せずに書き付ける。気をつけないで書くので,いっぱいネタバレがあると思う。5本溜まったらアップする。

佐々木,イン,マイマイン(映画)

自分は,佐々木がひとりで暗い部屋でゲームしているところをみてこの人のこと愛してしまった。あれは誰だ,わたし自身か,弟かオジか誰か。映画館出て帰り道は家族メンバーの葬儀に出たあととほぼ同じ気持ちだった。

佐々木は真面目にパチプロやってたし,死ぬ前にホームラン50本打ってた。

「できるからやるんじゃねぇ,できないからやんだよ。」

をちゃんとやってた。偉い奴だった。

あとでこの映画の監督さんや俳優さんが,新井さんと一緒に制作秘話などを話している映像を見た。そしたら佐々木を演じた役者さんは全然佐々木のキャラクターとまったく違っていて佐々木のキャラクターはこの映画のためにつくりあげたものだったんだ,ってことがよく分かった。ビックリしてスゴイと思った。寅さんを演じられる役者さんは渥美清しかいないと思ってたけど,細川岳さんならできるんじゃないかと思った。

男はつらいよ 純情編(映画) 

宮本信子と森繁久弥の回。若尾文子がマドンナだけど,その話より,五島列島に旅する寅さんが赤ちゃんつれて「今夜の宿代がない」っていうきぬよに「ついてきなよ」って言う。夜,身体で礼をしようとするきぬよに妹の話して「そんなことする奴がいたら,俺ぁ殺すよ」と諭すシーン,帰りきれないきぬよに「仕方ねえ奴だ」といいながらついていってやるところ,娘をつきはなす父ちゃんに「そのとおりだ」と言いつつも,「だから俺はいつまでたっても一人前になれねぇ」「俺は帰らねぇ」「いや,やっぱり帰るなぁ」と揺れるところ,映画の最後にさくらとわかれて電車にのるとき,ふるさとってのはなぁ・・・っていう台詞がきこえなくなるところまで,すべてが秀逸。なにが,って寅さんがいつも,周りのひととの関係から,いつも自分をみつめてるから,な気がする。迷って,考えて,正直に揺れてるからな。

おならの喧嘩のところと,仲直りするまでの対話,さくらの「困った気持ちね」って台詞もよかった。

この頃はまだ寅さん,マジですきになってマジでふられてる。けどそんな恋模様はこの頃の持病みたいなもんだな。

偶然会ったり,ダメな亭主がなぜか良い奴になってたりして,めちゃくちゃ都合のいい複線回収も多いけど,寅さんシリーズだけは,どんなに強引でもいい。全部ハッピーエンドで回収してほしい。人情喜劇だからかな。

男はつらいよ 奮闘編(映画)

寅が花子を拾ってしまう回。これは最初ミヤコ蝶々がでてくる。私はこのおっかさんなんか大好き,寅の母親としてとてもぴったりくるんだよな。寅の父親もみてみたい気がするけど出て来ない。そのかわり,森川信がやってる頃の「おいちゃん」は,すごく寅の血縁の江戸っ子男性,って感じがして,観てて楽しい。

この子は心配だ,支えてやりたい,って思ったときに,葛飾柴又のとらやへ行け,そこへ行ったらなんとかなるから。って言えるのが,そんなふるさとがあることが,寅さんの強いところなんだよな。

なんせ花子は笑顔がめちゃくちゃに可愛い。それから,いつも歌を歌ってる。福井先生が好き。いなかに帰りたいけど帰りかたがわからない。寅さんは優しくて,花子が心配で仕方なくなるんだけど,福井先生役で田中邦衛が出て来たとき,その姿に,花子とのつながり,心配,とんで出て来たこと,いろんなことがもう説明いらない説得力があって,ああこれで帰っちゃうんだなぁって。

それでなんだ。最後ね,へんな手紙がきて,さくらが青森まで行っちゃうところ。あれせつなかったな。「突然家族のおかしな危機を知らされて,思ってもみなかった方面への電車に飛び乗る」って感じ。あれ知ってる,自分も何回かやったことある。知らない土地で聞き込みして,ああ,ここで花子の安否確認したのか。って足取り辿る感じもほんと,わかる。まあ,だんだん様子が分かって安心してきて,でも,あいつはどこいっちゃったわけ?というもやもやを抱えつつ,もうやれることもないから帰路につく。

でも,また喜劇だから会えるんだよね偶然。自分にとって心配かけられる家族はすごく煩わしかったのに,自分はいまこの映画が好きっていうのは,不思議なんだけど,なんなんだろうな。距離がとれたということなのか。

二本立て新開地パルシネマで学割使ったら900円だよ。50周年記念とかで,バウムクーヘンと珈琲と,フィルムケースみたいな缶くれた。シネリーブルとモトエイとパルシネ。まったく,近所にいい映画館があるよなあ。

ぶたくんのエスカレーター(絵本)

絵本を読んであげるのも読んでもらうのも好き。保育所の先生やめて随分たって,少しずつ処分してしまったけど,好き度が高いものは手元にある。自分はきゃーきゃー笑う部類の楽しさがある絵本が好きで,この本もなんとなくのんきでゆかいなんである。友達の鶴さんのすかーふを買いにでぱーとに行く話。絵はコラージュみたいになってる。

ぶたくん,でぱーとにいくのは,はじめてである。
ぶたくん,うごくかいだんにのるのは,はじめてである。
ぶたくん,れもんじゅーすをのむのは,はじめてである。

だって。ぶたくん,はじめてづくし。よかったね。って思う。アナウンス口調の文体にも惹かれる。

祝うとは?(哲学対話 on dabel)

Dabelで,音声だけの哲学対話。途中から聴けたんだけど,問いは「祝うことは人間にとって必要なのか?」だった。

話の流れから自分も思ったこと,祝うっていうのは祈りにも挨拶にも似ている。祝いはハレの挨拶っていう感じでもある。対比して日常の挨拶は家族と交わす,または好きな子とメールでやりとりしあうもの。「おはよう」「おやすみ」みたいななんでもなさそうなやりとりが自分にとってはけっこう大事。なくても生きられるんだろうけど,ないとなんか調子狂っちゃう。おはようは「起きたで,生きてるし良かったな。君のこと考えたで。がんばろな」みたいな感じ,おやすみは「寝るで,生きてるしよかったな。君のこと考えたで,またあそぼな」みたいな感じか。あと,こちらの「おはよう」「おやすみ」を相手がきく,相手が読む(つまり,受け取ってもらう)というのもけっこう大事。祝いはそれの珍しい・大きいバージョンなのかな。

あと,祈ると祝うの違いについて考えた。祈るのは誰かに向けていてもひそかに継続できることだが,祝うは派手に表出したり相手にぶつけたりするので,やや攻撃的な側面があるように思われた。『○○君,出征おめでとうバンザーイ』なんていうのも「祝い」の一形態なんだからやっぱり恐ろしい。成人式だって着物着せて君はもう大人だ,なんて突然言うのはどうかと思う。装備付けた奴も付けてない奴も一律に時間が来たら崖から突き落としてる,ような感じがする。「祝い」というものは基本的にハッピーなものであるかもしれないが,ハッピーのふりして,他者に立場の変化やそれに伴う新しい義務を問答無用でおしつけることができるものでもある。

好意のふりをした「強要」みたいなことについて考えているとなんだか怖くなってしまう。祝いについてはそこで対話時間が終わり,この話も「祝い」と同じく,なんだかきれいにまとめられているように思えた。ひとりそわそわ落ち着かない気持ちで恐ろしがって,世の中から逃げ出したいような気がした。