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働き方改革という教師の仕事の矮小化
働き方改革に逆行することを公言する派としては、今の教員の働き方改革、主にマスコミで主張されることのどこら辺に問題があるかを提起することも非常に重要かと思います。
昨日の続きです。
今の働き方改革は学校内部的に分断を引き起こしています。それは間違いない。働くことに対して個人的な事情を主張することは間違いではない。そもそも主張できなかったこれまでの状況に違和感を感じて異議申し立てをすることには
働き方改革という空気感
働き方改革に逆行することを公言する派としては、今の教員の働き方改革、主にマスコミで主張されることのどこら辺に問題があるかを提起することも非常に重要かと思います。というか何度か提起してきたことをまとめておきます。
名古屋の内田氏などは教育現場における働き方改革の専門家を自称しているが、まずこれがおかしな話である。
彼の使う数字のエビデンスと使い方に問題があるし、非常に恣意的運用をしている。さ
「教育用」マイクラと桃鉄
教育を興味とやる気だけで語るようになった「主体性」を「本質」とすり替えることは非常に危険。というか確実に間違っている。この問題はオルタナティブスクールが学びをすり替えたことと非常によく似ている。
問題をすり替えることで「できた」と言い張ることは子どものやり方です。
学びはそれでもいいかもしれない。
学びの趨向性はさほど日本では劣化していないから。
簡単に言えば、まだ日本の学校では学ぶこ
既存の学習をICTに置き換える
ICTの取り組みはヒトを幸せにはしない。
ICT好きには衝撃のヒトコトかもしれない。
かくいう私もICT大好き人間を自称しています。
しかし情報教育から始まって以来、一人1台タブレットというおそらく夢のような予算措置が降って沸いたにも関わらず、結局ICTは学習を変革するに至らないのは、そして全く思ってもみないような的外れな実践が作っては打ち捨てられているのはいくつか理由があるのだろうと思っている。
研究授業におけるツッコミという名の指摘〜発問の難易度〜
小学校の研究授業において発問は結構ツッコまれます。
一つの宿命として発問が適切がどうかが常に付きまといます。特に主発問ということで一番メインになる発問の重要性がよく問われます。質問と発問の違いは既習事項の確認と話し合いの起点という違いで良いと思います。というかあんまり区別する必要がないのかなと思いますが・・・
今回あんまり教師の方が話さない授業にする方向性を示していたのですが、さりとて教え
ペーパーティーチャー活用の取り組みと若手の離脱で40代に負担が増えるという話の組み合わせ
どちらもやってることはいっしよ。タコの足をタコが食べる行為です。こんなことしかできないのが教育委員会制度と学校管理職の発想だということです。
そもそも文科省はVUCAという言葉を好んで使います。良く分からないことを指せるので言い訳には最適の言葉です。教育委員会制度は黎明期に威力を発揮するシステムですがVUCAでなくても改変が必要になったときや非常時には対応できない組織形態です。コロナでいやとい
研究授業におけるツッコミという名の指摘〜事実とは何か〜
小学校の授業は正しくなくてはならない。
このことはSNS全盛の世の中ではなかなかコマった状況をうみだしてくれます。そこまで批判される筋合いはないとは思いますし、笑えるものも多くあるので・・・とは思うのですが。
一番有名なのは「夏の大三角」ですかね。私は夏の大三角形と書いても考慮はしますけどね。そもそもこれは夏の大三角が正解なわけではありません。歴史的に言えば。翻訳の問題なので。しかし残念な
そもそも学校教員から大学教員になることに意味があるとは思えない
もっとそもそも言ってしまえば大学教員に意味があるとは思えない。なんの役に立っているのかよくわからないからだ。
大学教員が片手間にnoterをやっていることもあるだろうから反論があればお伺いしたい。大学教員の意味とはなんだろう?
職業としてそういうものがあることはお好きにどうぞ。色々な職業があって良いでしょう。しかし必ずしもマネタイズされないものに公費が投入される意味はよくわかりません。しかも
命を軽視するに指導する「理由」
命を軽視する児童への指導があった件について。
そもそもこれが授業内においてどの程度の影響を及ぼすことであるのかということになってくるのだと思う。
「一緒に死のうか」
これって仕事で言わなければならない言葉なのでしょうか?多分私より若い教員が言ったのでしょうが、意図と感情がわからないけれども、口にするには少し重い言葉だと思います。もちろんふざけて言った可能性もあります。しかし後出し体罰指摘があった
研究授業におけるツッコミという名の指摘〜目標の達成編〜
小学校の先生は研究授業をやっている。
これは間違いなく中学校や高等学校より数が多い。
学期末にも関わらずこんなことをやっています。
どっかの記事でもないが休憩時間も授業の空き時間もなくそして個人懇談の最中なのに・・・・
研究授業におけるツッコミというかもはやイチャモン。
自分もたまにやってるなぁという自戒も込めて。
というかこれしかないのかなぁという目標が達成できていたのかというハナシ。これが
個人懇談ではこんな話をしましょうみたいな記事を読んで思うこと
そんな記事を読んで、個人懇談に何をしに行くのかなあと考えました。個人懇談をするばっかりで我が子の懇談には行った事がない。1度だけ苦言を申し上げに行ったことがあるけど・・・それは今考えてももうどうしようもなかったからだと思う。親で教師である同じ立場でも学校がどうしようもない時というものはあるものです。
たった10分の懇談でわかることってそんなにないです。子どもの学力と言いますが担任が学力を把握
閑話休題 実写化ブラック・ジャック
いや〜イジってたなぁドリル優子。
漫画かよ!死亡フラグが立ってました。多分死なないだろうけどと思ってはいたが・・ブラックジャックは基本いい人は死なない。クライマックスを除いて。
それと見た目にこだわる不細工な旦那というイジリも良かった。これは皮肉が効き過ぎているが。
ピノコは秀逸。アッチョンブリケはあれが正解なのだろう。あのインネーションも良かった。不規則に入り混じった幼児語もそういう不
声の大きなポジティブ人間
これは今さら言うことでもないでしょう。
声の大きいというのは言い換えれば影響力を誇示したがる人間で良いと思いますが、元来老害や年嵩の女性を指すのに使われました。
特に小学校現場ではこれが遠慮なく跋扈していることが常態化していましたので、私などはこれをターゲットにして暴れまわっていたという今考えれば恥ずかしい若気の至りがあったわけです。
現代日本社会にいる「声の大きな人間」の特徴
しかし現