通知表の効能

1学期も終わりに近づきました。
ということで通知表。
実は今これがよくわかんないことになっているのではないか?ということ。

そもそも通知表なんて思い出くらいにしか役割を果たさない代物なのかもしれません。
父は子どもの頃は成績優秀だった。全く勉強ができなかった。集中できないっていつも書かれていた。etc.

実は、通知表の記載方法は自治体や学校ごとに違います。そもそも廃止する学校も増えているらしい。簡素化や回数を減らすことも・・・

もはや保護者の側が通知表自体に何かを求めることもなくなってきたのかもしれません。

特に言われるのは通知表が領域別で書かれているか、観点別で書かれているかの違いです。

単元が羅列され、そこにできたかできなかったかの基準で切り分けられているのが領域別。古いタイプの通知表で少しずつ消滅してきているようです。

観点が羅列され、そこの匙加減が包括的に示されて切り分けられているのが観点別の通知表です。今はこちらに移行しているようです。

 この二つが混合になっているよく意味のわからない通知表もたまに見かけます。通知表はその学校が子どもをどう評価して、どう保護者に伝えていくかを示しています。そこには学校の姿勢というものが示されています。実は通知表を見ればその学校にどれくらい余裕がある学校か、もう少し言えば教育活動に余白がある学校かということがわかります。最近は市町村単位で統一する動きが見られますが、私はこれには賛同しません。評価に手を抜く学校というのはそれまでのもんです。評価をきちんとしないで教育のアップデートはあり得ないからです。評価することに時間を割いている学校はそれだけで信頼に足る学校ということができます。しかもそれは全員がそうしている必要はありません。中心的に労を割いている教員がいれば良い話です。そしてトリクルダウンとしてその恩恵に全教職員が浴しているということです。それは実は重要な継承行為です。そうしたプロセスがしっかり見える学校という意味での「通知表」なのです。凡事徹底の形が見える化しているかというのは勤務時間や勤務形態の見える化よりも重要なのですが日本のソフトウエアハウスというのはこうしたことに目を向けません。SaaSなどというお手軽な金儲けに走るような自治体コンサルに騙されるようなところが全市的な通知表システムの導入などという教育の質の低下に加担するような行為を市民に曝け出すことになります。

 私は通知表の価値は励ましと労いだと思います。
 それは担任から子どもへのメッセージそのものです。
 それを負担軽減の名の下に削っていくような改革を改革とは呼びたくない。そこを削るんではなくてくだらないことを削っていくべきです。本質的に使用価値へのコミットを回避していくことが教員の首を絞めていくんではないかというのはいつもの変わらぬ主張です。

 そこに手を抜きたい教員など一人もいないと信じたい。
 保護者の方におかれましては通知表を通して学校への評価の視点を深めていただきたいなぁと思います。

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