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邪道作家第六巻 貧者の牙を食い千切れ 分割版その1 続話リンク付

新規用一巻横書き記事

テーマ 非人間讃歌

ジャンル 近未来社会風刺ミステリ(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)

縦書きファイル(グーグルプレイブックス対応・栞機能付き)全巻及びまとめ記事(推奨)


簡易あらすじ

弱者とは何か? ただの「呼び名」だ。
何でも、昨今では「呟く」とかいう謎の行為によって、権力も金も女も(それも、一人だけではない筈なのに)持つ側の輩が死ぬらしい。
精神的苦痛がどうのと、非人間には分からん話だ。
もしかすると、何かしら呪的効能でもあるのだろうか? だとすれば、是非それを取材してはみたい。可能なら出身地・性別・名前・経歴の全てと何を思って下らん「呟き」とやらを出したのか見たいくらいだ••••••反抗的な呟き手には、それなりに少々、かなり、大分、衝撃的な「痛い目」に合わせると言っておく。
そのような面白い連中を取材しようと思うのは悪いことだろうか? いいや、多少悪かったところでやるべきだ。なのでやった。それが今回の物語だ。
さて、言ってしまえばそれだけだが、そうでもない。というのも、あくまでこれは「非人間」としての私の目線の物語だ。なので、人間の悪性を余すとこなく、全てを悪意で書いている。
非人間から見た人間の「弱さ」の品質──────興味があるなら読むがいい。
無論有料だ、金は貰う!!
払わん読者は、回れ右だ!!!




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 「弱さ」とは何だろうか。
 愚かさとはとは違う・・・・・・ただ考えることを放棄したり、耐えることが賢いと思い込んだり、あるいは自分のことを自分で考えなかったり、それは愚かしさであって、弱さではない。
 誰にでもある内側だ。
 「それ」を恥じることはそれこそ「愚か」だ。誰にでも弱さはある。もし、弱さが無いならば、それこそを恥じるべきだろう。
 弱さのない人間など、マネキンと同じだ。
 弱さがなければつまらない。
 弱い、ということは負けることと同義ではない・・・・・・仮初めの強さ、肩書きで強く振る舞う馬鹿はどこにでもいるが、そうではないのだ。
 弱さを知り、克服しようとするからこそ、人間は輝きを放つのだ。最初から強い奴が勝つのは当たり前のことであって、自転車に乗れたと大の大人がはしゃぐような見苦しさがある。
 強ければ勝つのは当然だ。
 弱くても勝つからこそ、面白い。
 現実にはなかなか上手く行かないがな。それに私には弱さから生まれる強さも無いかもしれないので、弱くても勝つ方法など知らない。
 だが、弱い人間の不遇は理解できる。
 強さ弱さなど、結局のところたまたま身についているものでしかない。磨き上げた「強さ」を、天性の才能だとかそういう「便利なモノ」を使わない強さの証明。己の人生を賭けて磨き上げた、魂の結晶を武器にしたもの。人に強さを誇りたいならば、まずは人生を賭けて「何か」を成せ。
 それしか道は無い。
 少なくとも弱い人間には・・・・・・弱ければ、時間と手間と労力を費やすしか、道は無い。私自身、馬鹿みたいに長い年月を掛けて作家になった。
 なったところで、金になるかは別問題だが。
 つまり夢を叶えるのは簡単だ。夢を売るのが難しい。だから弱者は環境の整っている強者に敗北しやすいのだ。認められないし、認めさせることが異様に難しい。
 それが原因で不遇を嘆く。
 当然だ。生きていれば上を見る。無論私のように平地でも金があれば満足な人間はいるだろうがしかし、金が無くても良いわけではない。
 誰だって己の道を歩いていたいモノだ。自分の満足する結果を得て、満足する結果を作り、順風満帆に生きたい。
 才能、だとか幸運だとか、そういう「下らなくてどうでも良いもの」によって、遮られるのでは不平不満が募って当然だろう。だが、この考えは半分正解で、半分間違っている。
 環境が怪物を育てることもある。
 無論、そうでなくても、平和な環境下で傑作を作り上げる人間も、無論いる。ただ、抑圧された環境下では、何故かアイデアが出やすいらしい。 私は何時でもアイデアに困らないが。
 私の場合今までの生き方と先を見据えて思想を固めるからだろうが・・・・・・絶望する環境が、悪魔のような地獄が、悪辣な思考回路が、傑作を生むことがあるのだろうか? だとしても、当人からすれば迷惑極まりないだろうが。
 生き方は選べないと言うことか。
 だとしたら、本当に迷惑な噺だ。
 心の底からその人間のことを「どうでもいい」と思っておきながら、「道徳」とか「正義」とか「普通」とかを説いて、物事を要求する奴が居たら、そいつは「強者」だ・・・・・・自信の身勝手な都合を押し付けられる存在こそが邪悪だ。
 だから強者とは「邪悪」のことなのだ・・・・・・そもそもが、強いからといって何かを押し付けて良い理由はどこにもない。「社会」における強者であれば、この世界は何人死んでも、どんな汚い手を使おうと、どれだけ理不尽でも、許される。
 それが邪悪でなくて、何なのだ?
 道義的正しさとは、とどのつまりそういうことなのだ。道義を押し付けられる側の都合でしかない。ただの言い訳だ。
 人を踏み台にしている事への。
 踏み台にして、尚、彼らは「良い人間」でありたいのだろう。きっと「人を殺して」でさえも。 良い人間だと、認められたい。
 気持ち悪い、生理的嫌悪感をむき出しにせざるを得ない醜悪さだ。強い人間とは、所詮そういうものだ。
 なら、弱者とは何なのか?
 これはそういう「物語」だ。
 弱さを武器にすること、一概に「悪」だと断言は出来まい。それを武器に誰彼構わず踏み台にし利用するなら紛れもない「悪」だが、弱さを克服し、あるいは受け止めて前に進むことが出来るのならば、どうだろう。
 無論、弱さというのは個性のようなもので、完全に克服し「己の内から消し去る」などと言うことはできっこない。だが、受け止めることは、できなくもない。
 なんて、ただの綺麗事だが。
 弱さを武器に戦うことは簡単だ。だが弱者が勝てるように、この世界の社会構造は出来てはいない。戦えば応戦され、悪意を以て挑めば悪意を以て返される。
 それが世の中だ。
 弱者が勝つ方法は、一片たりとも無い。
 最初から勝てないことが義務づけられている・・・・・・極々一部の「勝者」の為、花壇に入れられる肥料のように。
 ならば勝てない弱者が挑むことに「意味」は無く、「価値」は伴わないのか? この物語はその答えを探す物語だ。
 さあ始めよう。とはいえ勝てない側は勝てないで終わるかもしれない・・・・・・何を学ぶことになるかは重要だが、勝つことだけが全てではないが、願わくば「希望」を持てる結末があるように、この場を借りて祈るとしよう。
 

   1

 誰だって加害者だ。
 問題は被害者ぶって「正しさ」を押し売りする輩が多いと言うことだ。そういう連中は決まって社会的には「正しい」から厄介だ。
 正しいと言うよりも、ただ都合を押し売りできるだけなのだが、それを「自分は成功者だ」とか「自分の考えが間違っているとは思わない」だとか「ついてこれない奴こそが悪」だとか、要は自分以外の「正しさ」を一切許容しないのだ。そのくせ相手には許容しろと強要するのだから、かなりタチが悪い。
 「自惚れ」ほど厄介なモノは無い・・・・・・その自惚れが社会的地位に基づいている場合は、特に。 社会の構造的に、自惚れた成功者の尻拭いは、成功できていない人間たちが補うことになる。その上、成功者は失敗しても、その責任を負うことは絶対にない。
 下に押し付けられる。誰か自分よりも弱い人間に「おっかぶせれば」いい。誰だってそうだ。少なくとも、社会という歯車にいる場合は。
 ともすれば社会構造は実質的な「奴隷」を作り上げることに特化している。社会構造全体が進めば進むほど、成長すればするほど「奴隷」の数は非常に多い。
 そして社会的強者の言い分が「正しく」なるのだから、私から言わせればただ我が儘なだけだ。奴隷を増やして喜んでいる奴というのは、自分が奴隷商人だと言う自覚は無いし、むしろ「彼らの望むモノを用意している」だとか「それが社会では当然」だと思い込む。
 思い込まれても迷惑だが。
 正しさなどというモノが実質、存在すらしないことと同じく、「権威」や「権力」といった「偉さの基準」など、無理矢理それを暴力や金で押し付けているだけだ。子供が小さい奴を虐めておもちゃを巻き上げているのと、何も変わらない。
 金を払っても「奴隷になれ」などそうそう言えることではないのに、金すら払わない奴が多いというのだから、人間社会における「社会的正しさの基準」というのは、「殺人許可証」であり、その上「奴隷所有証明書」でもあるのだ。これは事実であり、目を背けられても困る。
 背ける奴は多いが。
 奴隷に金と権力をちらつかせて「自分たちは望んでこの環境にいます」と言わせることで、何というかそう「良い事」をしていると思うのだ。信じられない神経だが、奴隷を保有することは、彼らにとってステータスであり、誇りなのだ。
 薄っぺらい誇りだが。
 皆が言っているから合わせた誇りなど、子供が多数決で決めていることと変わるまい。ま、どうでもいいがな・・・・・・。
 とはいえ、弱いことはマイナスだけではないのだ、と言う人間は多い。少なくとも弱くなければ、創意工夫を凝らそうとはしない。そういう試行錯誤こそが勝つ為に必要だと、そう言うのだ。 実際は試行錯誤したところで、圧倒的な才能や権力の前では無力だが・・・・・・弱ければ何をしたところで「無駄」でしかないが、人間という奴は、いや読者共は「弱くても創意工夫で勝つ」物語を好んで読むのだ。きっと、自分にも出来そうな気がするからだろう。
 実際には無理だが。
 少なくとも私は出来た試しがない・・・・・・創意工夫を凝らしたところで「負けるべくして」負けてしまう。どれだけ計画を立てようとも、その通りに事が運ばないのでは意味がない。想定外に対応しようにも、そもそも想定外の事態に対応できるだけの力があればこんな苦労はしていない。
 乱暴に纏めてしまえば、やはり「強い」方がどう足掻いたって勝つものだ。少なくとも社会という奴は「勝つべくして勝つ側が勝つ」ように出来上がっている。負ける側が、奪われる側が、搾取される側が居なければ、社会は成り立たない。
 一部の人間が美味しい思いをする、社会は。
 社会という存在が、そもそも一部の人間の為にあるものだ。その中で全員が幸福になることはありえない。最初からそう作られているからだ。
 ならば「弱い」存在は奪われて搾取されていいように食い物にされるしかないのか? そうかもしれない。少なくともサボりがちな「神様」とやらが助けてくれるなんてことは無いだろう。
 ならばどうするか。
 強さではなく強かさを手に入れるのだ。それも想像を絶する強かさでなくてはならない。強いだけの人間では考えもしないだろう事を考えると、やはり弱い人間というのはハンデを負いながら生きているのだろう。そう思える。
 実際問題生きているだけ無駄だ。
 いったい何の意味があるというのか・・・・・・勝つ側に搾取されるための人生など、ない方が遙かにいいだろう。実際にはそういう人間の方が多く、無駄だが、自分を騙して「頑張れば良いことが」とか騙し騙し生きるしかないのだが。
 そんなものは無い。
 良いことは、持つ側のモノだ。
 金を持つ人間にしか「良いこと」は無い。
 生まれついての問題だ。持つ側か? 持たざる側か? それだけで人間は幸せになれるか決まってしまうのだ。これは事実だ。
 金があれば男も女も言いなりなのも事実だし、金で殺人の罪は消せる。何人地獄へ送ろうが、地獄の沙汰は金次第。金で買えないモノは、真実どこにもないのだ。
 持たざる人間の言い訳でしかない。愛や友情などまさにそうだ。結局金で全てが解決するこの世界に、言い返せなかっただけだ。
 それが事実だから。
 金が全て。
 大切なモノは金だけだ。
 大切なモノが無いのではなく、金が唯一世界で大切なモノなのだ。他に大切なモノがあるなど、ただの逃避だ。押しつけがましい。
 作家も同じだ。本物か偽物かはどうでもいい。問題は「金になるか」だ。だが、金になる物語というのは、中身がなくて何の役にも立たず、犬が書いた方がマシみたいな内容だが、しかし具体的にどうすればそこまでレベルの低い、カスみたいな作品を書き上げ、薄っぺらい感動を起こせるのか・・・・・・私は内容が無くても売れればいいので、その方が気楽なのだが。意識的にカスを書く、捨てたことを忘れたゴミみたいな、中身のない物語で儲けた方が嬉しいのだが、しかし、意識して、そういう物語を書くのは難しい。
 どうすればそこまで底の浅い物語を書けるものなのか・・・・・・底が浅すぎて真似が難しい。
 まぁ、底が浅いだけでは駄目だろう。問題はそんなゴミを一流の傑作だと「騙しきる」ことなのだから。騙して儲ければ勝利なのだ。
 少なくとも、中身が無くても読者は買う。
 これは事実だ。
 「流行」とかいう頭の悪い病気にかかっている人間は、簡単に金を払う。頭が無かろうが金を払えば客は客だ。私としては、ただ人を騙して道ばたに落ちた犬の糞以下の物語を売り払っても、何の罪悪感もないのだが・・・・・・神様って奴がいるとすれば、何故私にその役割をくれないのか。
 あちらの方がいいではないか。
 言っても仕方がないが・・・・・・しかし、何時だって考える。中身が無くても、人間性が薄っぺらくとも、ただの幸運の産物だとしても、「金」になればそれが勝利だ。
 綺麗事は空しいだけだ。
 現実にはカスが勝利する。金の力、権力の力、権威の力、幸運の力、暴力の力で、勝利する。人間性がゴミ以下でも、その方が美味しい思いを出来るなら、私はそちら側を目指していきたい。
 嘘くさい道徳はこりごりだ。
 何の役にも立ちはしない。
 金があれば何でも買えるのだから。
 男も女も金で買える。そも労働は人を奴隷として買うものだ。人の心は金で買われている。結婚するのも金のためだ。友情を育むのも、そこに金が絡むからだ。あるいは、金に余裕があり、趣味として楽しんでいるだけだ。
 人間関係など、金次第でどうとでも転ぶ。
 金で動かないモノは何一つ無い。
 希望も絶望も金で買える。
 国の指導者の地位も、道徳を決める権利も、幸福になれる人生も、皆、口に出して言う勇気もないだけで、金で買えることは誰にとっても明白なことでしかない。
 無論、金を持つことの出来る「持つ側」はあらかじめ決められている。だから「持たざる側」は頑張って奴隷になるしかない。誰の奴隷になるかは自由だが、比較的マシな奴隷になるしかない。 金のない人間はただの奴隷だ。
 金がある人間は奴隷の支配者だ。
 殺しても、奪っても、犯しても、誰もそれを認めないだけで、事実そうだ。持つ側は何をやっても許される。金があるからだ。
 金があれば殺人も「不幸な事故」だ。警察機構ほど金で動かし易い存在はあるまい。そもそも組織である以上、金が絡む。金が絡む以上、金で動かせない道理は無い。
 無駄、ということだ。
 持たざる側に産まれた時点で、何をどう足掻こうが無駄だ。それは事実。確固たる事実だ。
 生きることに意味はない。強いて言えばたまたま持つ側に産まれるかどうかのギャンブルだ。ギャンブルに勝てば、一生美味しい思いが出来る。負ければ、一生奴隷になる。
 人生とは、ただそれだけのことだ。
 サイコロを振っているだけ
 後は消化試合でしかないのだ。
 それでも諦めきれずにあらゆる手段を用いて、あらゆる方向から敗北し続けて来た私が言うんだ間違いない。
 全く、何の結果も残さない、無駄な作業だった・・・・・・実利が伴わないならただの浪費だ。
 努力だとか、そういう「崇高みたいなモノ」の噺はするつもりもない。大体が本当にその道を志しているのなら、「気がついたら作品を執筆していた」くらいの感覚に陥るものだ。非常に迷惑な呪いだが、作家である以上外せないのか?
 書きたくもないのだが。
 いつのまにか何万文字と書き連ねているのだから、少なくとも私の場合は執念だとか信念だとかそれこそ誇りがあるからだとか、そんな綺麗事で納められてたまるか。ただの呪いだ。非常に性質が悪いし、はっきり言って金にもならないのに迷惑至極、面倒なことこの上ない。
 ああ、書きたくない。
 大体が何故、背負った業だろうが何であろうが私は、そんな呪いに付き合わねばならないのか? 私は適当に読者を騙して、カスみたいな作品を売りつけるだけでも良いというのに・・・・・・迷惑な噺だ。読者のことなどどうでもいい。どれだけ内容がカス以下でも、売れればそれでいいのに。
 実利があれば真実など価値もない。
 言っても仕方ないが、だからといって不満が消えるわけでもない。実に嫌な気分だ。
 何かを押し付けられるというのは。
 作家としての業など、誰か代わりが居なかったものか。
「いませんよ」
 そんな奇特な性格をしているのは、地球上でただ一人、貴方だけです。そんな失礼な台詞を、依頼人の女は掃き掃除をしながら言うのだった。
 私は境内にいた。
 無論地球の、である。いちいちここに来るのは非常に面倒だが、しかし「寿命」がかかっているのだ、仕方がない。テクノロジーで「寿命」そのものは幾らでも延ばせるのだが、「運命による結末」を延ばすには、流石に神の力でも借りるしかない。まぁ、この女が神かどうかは知らないが。 どうでもいいが。
 神であろうと悪魔であろうと、この「私」の利益にならなければ、同じ事だ。何かを成し遂げたからと言って、それが金になるわけでもない・・・・・・私は長い長い回り道を経て、作家として物語を書けるようになったが、意味はなかった。
 嬉しくもない。
 神も仏もいるかは知らないが、いたところで、少なくとも作家の労力は見る気があまり、ないらしい。迷惑な噺だ。何事につけそうだが、因果が応報しないならば、誰がやる気を出すというのか・・・・・・少なくとも魂を賭けた物語の数々は、私に富を運んでくれた試しが無い。
 まごうことなき「本物」である自信はある。
 だが、金が付随しなければ、空しいだけだ。
 自己満足とは金があって初めて成り立つのだ。「本当にそう思うのですか? 幸福とは欲から手に入るものではないでしょう」
「だが、欲がなければ空しいだけだ。私は、立派さなんてものは欲しくもない。立派さに酔って己自身を犠牲にするよりは、その方がいいだけだ」 思うのだが、私は「幸福」を追い求めて旅をしてきたが、やはり私には「幸福」など最初から手に入りっこない「運命」なのではないか? そうとしか思えない。だとすれば「何をどう足掻いても」無駄ということなのか・・・・・・。
 だとしたら、本当に無駄な頑張りだった。
 私の人生に、始めから意味などなかったのか。どれだけ手を尽くしたところで「無駄」ならそういうことになるのだろう。
 事実だ
 それが事実なら、下らない結末もあったものだ・・・・・・幸福になれるかは「運不運」だというのだから。人間の意志など、ない方がいい。あったところで苦しみ、見せ物として偉そうな連中に、勝手に楽しまれるだけだ。
 大抵の人間は、現実、事実として生きることは辛いことしかないし、苦しいことしかないと悟ると、酒や煙草に逃げることで現実から完全に逃避し、苦しさを麻痺させながらこなして、死ぬ間際辺りに後悔しながら死ぬ。
 何も成し得ないまま。
 なんて楽そうな人生なんだ。羨ましい。
 成し得るかどうかなど楽かどうか、金になるかどうかに比べればどうでもいいしな・・・・・・生きるということをまじめに考えず、他人の道徳に従って、悪いことがあれば解決しようともせずに酒や煙草で忘れ、無かったことにする。
 思考を放棄するから苦しみもない。
 そんな人間の人生など、考えることの無い人間の人生など、あっという間だ。
 何一つ成長しないかもしれないが、しかし実際成長したから何なのだ? あの世で誉められるのだとして、それが何だ。
 作家をしていて思うのは、無意識下で「そこ」へアクセスできれば、誰にでも物語は書けると言うことだ。同人作品とかあるだろう? 本家との違いは深さでしかない。誰にでも、生涯を賭ければ出来ることでしかない。
 特別ではない。
 それに憧れるなどどうかしている・・・・・・何事も眺めるのが楽しいのであって、実際に物語なんて書くものでは無い。執筆が如何に面倒か、読者は知らないのか?
 無論、私はそれを生き甲斐にしているが。私の場合最近は無意識に近い。気がついたら終わっている。無論、嬉しくもないが。
 金にならなければ。
 金になれば喜んでやってもいい。
 完全に自動書記というわけでもない。ただ単純に「書くべき事」が私の今まで歩いた道のりから決まっているだけだ。ただのそれだけ。才能だとかそういう便利なものでもない。大体が才能があろうが無かろうが、金にならなければ一人で遊んでいるのと変わるまい。
 所謂「本当に大切なこと」とやらは、少なくとも私の人生には「存在しない」のだ。そんなありきたりな幸福が存在しない、というのにそれを求めることこそが「幸せ」などと・・・・・・迷惑だ。
 少なくとも、この「私」にとっては。
 何事に付け「持っている人間」なら何とでも言える噺だ。「余裕」があれば綺麗事を言える。だからこそ、本来は余裕の無い人間が「それ」を口にして、前を向いて生きる姿が「希望」に成るべきなのだろうが・・・・・・最近の人類には、期待すべくも無い噺だ。
 まったくな。
 まぁ私は説得力が欲しいとは思ったことはないし、説得力がない人間でも、豊かなら構わない。 他者の感じる説得力など、どうでもいい噺だ。「貴方は、変われると思わないのですか?」
「変わる・・・・・・」
「ええ。どのような人間でも、時が経つにつれ成長し、変わるものです。変わることから逃げているのではないですか?」
「変わる、か。少なくとも私からすれば、あるのか無いのかはっきりしない変化を望むなど、有りもしない空想を見ることと変わらない。「変われるかもしれない」と思うのは勝手だが、変われないかもしれないし、別に、何か変われるという保証をくれるわけでもあるまい?」
「ええ。ですが、良い方向へ変わろうとすること・・・・・・それもまた「生きる」ということですよ」「思うのは自由だ。しかし今のところ、そのとっかかりもないのでな。まぁ、他でもないこの私の歩く道に、そんな「希望」みたいな便利なモノ、それが偶々手に入るなどと、楽観的になれないだけだ」
「そうですか」
 掃き掃除をしながら、女は答えた。
 女の意見というのは、どうも根拠のない希望に満ちている気がしてならない。脳の形の違いなのだろうが、根拠もないのに希望を押し売りされても、困る。
 根拠が全くないと動かないのでは、見たくても希望を見れないのだろうが・・・・・・この「私」には今のところ、根拠どころかそんな可能性は元から無いのではないかと、感じているところだ。
 むしろ、だからこそなのか?
 こんな希望のない時だからこそ、信じる。
 馬鹿馬鹿しい。私はそういう試みは既に試し終えている。何をどうしようが、失敗するときは失敗するし、負けるときは負ける。
 個人の策など、なんの力も持たない。
 これはただの実体験だ。
 ただの「事実」でしかない。
 成すべきを成せば後は天命を信じるのみと良く言うが、しかし並の作家5年分位の作品量を、ここ最近書き上げたばかりだ。まぁ、並の作家と比べるべくもない出来映えであるのも確か。
 私からすれば当然だが。
 だとすれば私にはやるべき事、成すべき事などとうに済んでいる。作家なのだから書くべきなのだろうが、しかし書いても書いても金にならないのでは、噺になるまい。
 作家に出来ることは書くことだけだ。
 それ以外をそもそも期待するなという噺だ。これ以上何をすればいいんだ? 宣伝か? それを個人で出来ていれば、苦労しないと思うが。
 ここで言いたいのは、このように「それ」に人生を賭けて生き、「それ」を成し遂げたところで世の中は所詮「運不運」だと言うことだ。全く以てやる気の失せる現実だ。
 この世界は、この様で「信念には力がある」などとほざくのだろうか・・・・・・どうでもいいがな。 この世界に「絶対的な尺度」が存在し得ないように、生きることに対して「納得」などという言葉は幻想でしかない。「自己満足」なのだ。全ては・・・・・・その自己満足を金の力で「肯定できるか否か」いや、「無理矢理肯定させる」と言うべきか・・・・・・それが「正義」と呼ばれるモノだ。
 世界は事実に沿って出来ている。
 だからこれらは全て「事実」だ。変えようのない事実。それを「道徳」で計るのか、「客観的事実」で計るのか、ただそれだけの違い。道徳で計れば「崇高そうな」雰囲気がでるだけだ。
 ただのそれだけ。
 意味はない。
 そこに人間の美しさなど、有り得ない。
 人間、少し物足りないくらいの方が「満足」出来ると言われているが、生憎私にはそれすら無い・・・・・・だから金だ。何を置いても、金。
 幸運とは金を手にすることだ。
 幸福は金ではないかもしれないが、幸運は金そのものだ。まずはそちらを手に入れなければな。 金、金、金だ。
 私は金の力で「幸福」に生きてみせるぞ。
 私の人生にはそんな便利なモノは無かったが、大抵の人間は「自分の思う理想の英雄」や「その英雄が唱える夢」などに、すがることで夢を見ることが出来る。
 他人の夢だ。
 他人の信念だ。
 他人の意志だ。
 しかしそれにすがることの出来る卑怯さを持つのも人間だ。私からすれば楽そうで羨ましいが、しかし彼らはそれで「幸福」になれるらしい。
 すがる対象が倒れたとたん「こんなはずは」だとか言って現実逃避する辺り、底が知れている気もするが・・・・・・そういう人間、弱いことを省みず堕落した人間が多いのは、事実だ。
 弱いと言うより、狡いと言うべきか。
 狡くて、強か。そのくせ自分を立派だと「思いこんで」いる。そういう人間は多い。
 楽そうで羨ましい。
 誰かに思考を預けるのは、さぞ楽なのだろう。 後を絶たず、そういう人間は出てくるものだ。 いずれにせよ人の都合で動く「労働」も似たようなものかもしれないが・・・・・・だが、「作家」としての金の供給が安定しない限り、労働、去れかの都合で動くこともやらざるを得まい。そして人の都合で動くことに対して「満足感」だとか「やりがい」だとか「充実」など望むべくも無い。
 人の都合で動く時点でそこに「納得」など有り得ない。そういう意味では私は「作家」として金を荒稼ぎしない限りは「幸福」には決してなれないのだろう。精々「マシな奴隷」として少しでもマシな奴隷労働者として動くだけだ。
 いい加減解放されたいモノだ。
 人の都合で動くことは。
 皆、己の都合以外は考えていない。労働などその最たるモノだ。自分の都合で動くことを正しいと思えと、強制されるだけだ。
 押しつけがましい宗教みたいなものだ。
 幸福も同じだ・・・・・・家庭だとか愛情だとか友情だとか言われたところで、私にはそんなゴミを幸福だとは全く思えないし、できない。
 無理なモノは無理だ。
 私はそういうモノで幸福になることは、未来永劫有り得ない。そう出来上がっている。
 最初からそうだった。
 所謂「普遍的な幸せ」は、私にとって相容れないモノでしかない。だからこそ、幸福が充実感だというならば、仕事を「生き甲斐」にすることで幸福になれるのならば、やはり作品を書き続けるしかないのだろう。
 私は作家だからな。
 書くことでしか、幸せになれないのかもしれない・・・・・・元来、作家とはそういう「生き物」だ。 それを考えれば不自然でも何でもない。
 思うのだが、「成るべくして成る」というのが「運命」ならば、私のこの生き様すらあらかじめ「決定」されているのだろうか? だとすれば、我々の行動に、意味はあるのか?
 断言する、無い。
 だからこそ私は「宿命」や「運命」といった存在を克服することに血道を上げているのだが、しかしなかなか上手く行かない。いや、どう足掻いたところでやはり、変えられないのかもしれない・・・・・・運命とはそういうものだ。
 美しくはあっても、運命にあらがうことそのものは、何の結果も得られない。
 全て、無駄。
 弱者の運命ならば、苦しむしか無く、勝者に産まれれば楽しむしかない。それが真理なのか?  その答えを探すために、私は物語を書くことを続けている。いつもだ。いつも、考える・・・・・・だが、最近はそれも疲れてきた。私が作家として、いや人間として呪われていても知ったことではない。ならばそれに見合う幸福をと、長い長い道のりを歩いてきたが・・・・・・答えは見つかる気配も無いままだ。
 努力すればいつか幸せになれるなどと、苦労も知らない「持つ側」は言うが、ならばいつだ。
 百年後の未来か?
 馬鹿馬鹿しい。
 今、この瞬間にでも報われなければならないのだ。「いつか訪れる」など、ただの言い訳だ。いつかと言わず今、寄越せ。
 宿命から取り立てられようとする人間は多いが私は逆だ。今までの因果に見合う、あるいはそれ以上のモノを求めている。だが、どうも宿命というのは取り立てられる側になると、払う気がないらしい。
 迷惑な噺だ。
 身勝手な噺だ。
 嫌な、噺だ。
 もういっそ真面目に「生きる」と言うことと向き合うのを辞めてしまおうかとさえ思う。何も考えずに人から聞いた「道徳」みたいな聞こえの良い言葉を何も考えていない脳味噌で話し、何一つ実行せず、何一つ知らず、何も成し遂げていないのに社会的な立場だけは媚びを売ることで一人前になり、奴隷の素晴らしさを説き、金を見栄と恥のために浪費し、金がないと叫びながら浪費し、その社会的立場も当人の脳内で立派なだけで、自分たちが人を貶めていることに気づかず、口にする綺麗事だけを支えに、豚のように生きる。
 ああなれたら楽だろうな。
 私には無理だが。
 そこまで頭が悪くなれる方法を、知らないし知りたくもない。私は曲がりなりにも人間だ。失敗作かもしれないが人間だ。豚ではない。
 あれは生きているとは呼ばないしな。
 彼らは生きていまい。
 自分達の一生が、ここに一度しかないかもしれないことを、思わずに「あの世」などという妄言を信じている。あの世があったとして、そんなロクデナシのクズ共に、行き先があるのか?
 今、この瞬間を生きてすらいない豚に。
 恐らく死んでも治るまい。彼らには現実を認識する能力がないのだ。ゲーム感覚、とでも言うべきなのか。個性の薄い人間というのは、大体そういうものだ。
 自分が無い。
 それすらも唯一の個性だと、思い込んでいる。 型にはまっていると言うのか、それも駄目な方向にばかり、だ。
 馬鹿じゃないだろうか。
 駄目な部分を受け継いで、どうするのだ。
 人間の意志は受け継がれるべきだ。親から子へ子から孫へ、それが「生きる」ことの目的の一つのはずなのに、皆が皆「立派さ」みたいなモノに執着して、結果誰よりも薄っぺらいクズ以下に成り下がる。
 「立派さ」とは、クズだけが手に入れる。
 大体が立派な人間など、立派さを押し付ける奴など人間性がしれている。何故そんなモノを求めるのか。それはきっと「自分が無い」ことに起因するのだろう。
 彼らは自分に自信がないのだ。
 当然だ。何も積み上げてこなかったのだから。 そのくせ立派さだけは欲しがるとは・・・・・・厚かましい上迷惑な奴らだ。しかし、そんな馬鹿そのもの、つまりクズでも、「幸運」があれば幸福かどうかはともかく、富は手に出来るというのだから、ああいう豚以下の存在の方が儲かるのか?  本当に、嫌な噺だ。
 生きることが、馬鹿馬鹿しくなるほどに。
 別に立派だと言われれば当人の人間性が肯定されるわけでもないのだが、そう思う人間は多い。 そんなどうでも良い部分だけ進化してどうするつもりなのだ・・・・・・まぁどうでもいいか。
 どうでも良くないのはそんな連中と金がなければ同じ扱いを受けることだ。真正面から同じ道のりを歩き続け、作家としてやり遂げてきたが、どうもそれには「結果」が伴わない。
 書くことを辞めてしまいたい。が今更書くこと以外を求められても困る。だから私はこうして、「始末」の依頼を受けに神社の境内に来ている。 当人の意志と関係なく。
 ここに来ている。
 まぁ良い女の姿が見れて目の保養になることもあるのだが、だからといってこれ以上便利に使われるのは御免被りたかった。私は作家業で財を成したいのだ。断じて副業で満足したいわけではない・・・・・・最近は口にするだけ空しく感じるが。
 そうかと思えば良くわからない「幸運」で豚みたいな人間が大きな財を成したりする。金が手に入れば何でも良いが、「仕事」を「生き甲斐」とするためにも、物語を金に換えたいモノだ。
 しういう疑問のあれこれを、私は境内で神に語りかけることにした。いや、神かどうかは知らないが、人間でない視点、というのも面白そうだったからだ。
「なぁ、何故こうも「弱さ」を助長した社会に、人間社会は成ったのだろうな」
 テレビ越しに表面的なモノを眺め、薄っぺらいモノを賞賛し、祭り上げる社会。そして社会とは人間の世界そのものだ。
 思えば、最近「深い作品」というのを映画でも小説でも見ていない。昔の作品ならあるのだが、決まって馬鹿売れはしていないし、取り上げられてもてはやされるのは、決まって見た目だけやたら派手派手しいものだ。
 中身は無い。
 それでも売れる。
「それは簡単ですよ。人間とは感情で生きる生き物ですから、感じ入れればそれでいいのです。だから中身だとか、真実だとか、「生きる上でどう考察するべきか」なんて考える貴方のような人間の方がかなり稀ですよ」
「そうなのか?」
 間髪入れず彼女は首肯した。
「はい。そも、そこまで精神が成長する人間は稀です・・・・・・大抵の人間は成長しなくても生きていけますから」
「確かに」
 金があれば成長は必要ない。
 何でも買える。
 例え無能でも、金があれば勝利者だ。
「そうとは限りません」
 などと納得しかけた私の思考を中断するのだった。この女、私と逆のことを言っているだけじゃないのか?
「いいえ、違います。現世、とでも言えばいいのでしょうか。貴方達が生きている世界を終えれば終わり、ではないのですよ。貴方達の言う死後の世界のその先ですら、貴方達は貴方達として、続く世界を生きていかねばならないのです」
「ふん。要はこれで終わりではないと?」
「ええ」
 あの世、なんて知ったことではないが。しかし精神を成長させて、何の意味があるのだ? 確かにあの世に金は持って行けそうもないが、しかしそれは精神が成長したところで同じだろう。
 何が変わるわけでもない。
「そんなことはありません。貴方達は今、物質的な豊かさに支配されていますが、その先の世界ではその観念はありません。精神のみが介在する世界では、金など無意味です」
「だとすれば、同じじゃないのか?」
 どちらにせよ結末は変わらない。
 そうじゃないか?
「ですから、己の精神だけで生きることになります・・・・・・そこには金や名誉、地位や肩書きで己を誤魔化す余地はありません。精神が未熟なままであれば、物質的に完全に満たされる精神の世界でも、心が満たされることなどありませんよ」
「私には心など無いがな」
 つまり何かで己を誤魔化したところで、あの世ではそれらを持って行くことは出来ない、とそういう噺らしかった。
 精神の成長、か。
 嬉しくもない。
 私は精神を成長させて「凄いね」と言われたいわけではないのだ。金によって己の成長が阻害されたところで、必要とあらば無理矢理にでも成長するだけだ。
 金、金、金だ。
 この主張は譲らないぞ。
 譲ってなるものか。
 綺麗事で納得することが、私は嫌いだ。
 まぁ綺麗事の方が強い力を持つので、負け犬の戯れ言かもしれないが・・・・・・思えば、我ながら呆れるくらい、平坦な道を歩けなかった。
 平坦な道を歩いていれば作家業、物語を書くことも無かっただろうが・・・・・・何度も言うように、私は成長などどうでもいい。仮に作家を志さない私がいたとして(それを私と呼ぶかは不明だが)私は案外、金とか人並みの人間関係で、適当で安っぽい幸せで、妥協ではあっても「幸福」に成れていたのではないだろうか?
 私は生まれついて人として間違っていたかもしれないが、そう聞かれれば首を縦に振る人間だとしても、それで何故、私はこのような道を歩かなければならないのか。良い迷惑だ。どれだけ手を尽くしたところで妥協による幸福、平穏なる生活すらも邪魔され、上手く行かず、結局勝利するには「作家として」勝利するしかないのではと、思い知らされる日々だ。
 うんざりだ。
 だが、もう歩きすぎた。
 今更、引き返す場所もない。
 元より、そんな場所はなかったが。
 私も、平坦ではあるがそれなりの輝きを持つ、取り立てて苦悩などという苦しみのない人生を、などと、失笑だ。笑えない。そもそも私にはそんなモノを楽しむ感覚は存在し得ない。
 それがあればもう「私」ではあるまい。
 本当に失笑モノだ。
 私は、私である限り、邪道作家である限り、人並みの幸福は有り得ない。そのくせ、試練だけは一流だ。
 要領、などがあれば変わったのだろうか・・・・・・・・・・・・考えるだけ馬鹿馬鹿しいが、しかし考えざるを得ない。もし私が「世渡り上手」だったり、あるいは「天性の才能」とかでもいい。何かわかりやすい「強さ」の一つでも持っていれば、あっさり作家としても成功して、「幸福」になれたのだろうかと。
 成れないと思う。
 成功と幸福は、また別物だしな。
 だが、それでも何もないよりはマシだろう。マシなだけだが、しかしその方がいい。例え中身のない偽物、犬のクソにも劣る「駄作」でも、売れるのはあちらの方だ。「魂を賭けた傑作」が笑い話にもならないならば、道義的正しさなどただの世迷い言にすぎない。
 私は御免だ。
 数多の作家達がそうであったように、散々適当にあしらわれてから、手遅れになってから手の平を返され、あるいは死後数百年後に認められたりと、ロクな扱いを作家は受けない。
 そんなのは御免だ。
 尊さよりも、金が欲しい。
 小綺麗に「立派な作家」として誰だかも知らない奴らに祭り上げられることなどどうでもいい。生きているうちに金に換え、世を楽しみたい。
 ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活・・・・・・私はそれを、送りたい。
 金の力でな。
 金の力で可能と言うよりも、余計なストレスを排除できるというのが、正しい。金そのものは持ちすぎれば、ストレスを抱え込む厄介者でしかないからだ。
 無論、あるに越したことはないがな。
 両方、手に入れてみせるぞ・・・・・・しかし、実際問題それを実現するには、作家としての成功が、金儲けが、やはり不可欠だ。
 私は良くも悪くも作家だ。物語には「傑作」であるという自負がある。客観視すれば人によって作品の良さなど変わるものだが、己の作品の出来を完全に信じる。これは何かを制作した奴ならわかるだろうが、並大抵ではない。
 己の成果を「確信」することは。
 魂を賭けなければ、思えまい。
 だが、翻って作家業以外には何の興味も無いしほとんど「持てない」というのが正しい。実際、私が熱中できることがあるとすれば、それは物語を、傑作を書くときと、観る時だけだ。
 私はそういう人間なのだ。
 他の分野では使えまい。
 こなすだけなら自信はあるが、何事もこなすだけでは身は入るまい。本当にやるべき事を別に見据えている人間が、他の分野で成功することは、幾ら何でも出来ない。
 前を向きながら後ろは向けない。
 私は一点を見据えすぎた。
 今も。
 この瞬間でさえ、だ。
 それに何より、他でもない「私自身」が、満足できないだろう。こなすだけだ。どれだけ他の分野で金を稼ごうが、金そのものを大きく稼ぐだけその分野に力を入れることそのものがまず不可能に近い上、嫌々やることが「生き甲斐」にはならないだろう。
 だから金にならない作家業は「生き甲斐」にはなり得ない。辞めたいところだが、辞めようと思って辞めるには、歩きすぎている。
 歩みを止めるつもりもない。
 そもそもが、ここまで心血を注ぎ力を費やし、魂を描き「やり遂げた」と「確信」できることが「結果」に報われないならば、もう何をやったところで無駄ではないか。
 無駄なのかもしれないが。
 見る目のない読者と編集部だ。
「考えすぎですよ。まったく・・・・・・どんな人間であれ、己の行動の結果はついて回ります。それが運命と言うものです。貴方がそこまで作家として真摯に振る舞っているのならば、おのずと結果はついて回るでしょう」
「根拠のない綺麗事をありがとう」
「いえいえ、例には及びませんよ」
 ただの事実ですから、と普段の私のお株を奪うかのような台詞を、彼女は言うのだった。
 そうなのだろうか。
 私は自分で勝手に右往左往しているだけで、それこそ私自身がどう悲観しようが関係なく、「成るべくして成る」かのように、あっさり勝利し、作家業を金に換えたりするのか?
 信じられない。
 だが、もしそうならば、そんな私自身の気持ちさえも関係なく、事は進むのだろう。無論、現時点では信じるに値する根拠は、何一つ無いが。
 作品に何の後悔もない。
 傑作だという確信がある。
 私はやり遂げている。
 なら、後は待つだけなのか? もしそうならばこうして作品を売ろうとする試みそのものが、完全に無駄だが・・・・・・だが、錯覚ではないか?
 信念ある人間が「運命」に導かれたかのように成功する体験談は、偉人の過去を掘り起こせば多々あるものだ。だが、それと同じ、いやそれ以上に「運命に敗北した」人間の姿も、誰も観ようとしないだけで、あるはずではないか。
 わからない。
 未来が見えるわけではないのだ。私は人間かどうかは知らないが、人並み外れているモノがあるおすれば、それは精々「心の闇を暴くこと」と、「心が存在せず、感動しない」ことくらいだ。
 作家業以外は、それほど非凡でもない。
 はずだ。
 多分な。
 違っても責任は取らない。
 金も払わないぞ。
 まぁ何事も無駄かもしれない可能性はあるものだ。愛は報われないかもしれないし、恋は幻滅するかもしれない。仕事を成し遂げたところで誰の目にも留まらないなどと言うのは、ありふれた噺でしかない。
 だから良い、ということでもないが。
 良くはない。
 「生きる」という事へ真摯に取り組む意味も、そもそも不明なのだ。あの世での待遇が良くなるのか知らないが、あの世があるのか、あるいはそこでどう裁かれるかを知らない今ここに生きている人間からすれば、真摯に生きることはほとんどの場合徒労だろう。
 能力とか才能とか。
 金とか幸運とか。
 どうなのだろう・・・・・・そういう「利便性」を持っている人間は、何か損をしているのか? 生きるということと、向き合う必要性のない彼ら持つ側の人間は、「能力を持って楽した」分の帳尻を合わせられたりするのだろうか?
 とてもそうは見えないし、思わないが。
 案外神様って奴の「手抜き」かもしれない。実際神が居るとしても、人間を可愛がっているとは思えない。経営者がそうであるように、数字で、大局的に全体を見て、いらない部分は切り捨てているのだろう。
 その方が現実的だ。
 大体が神がいたとして、人間を助ける義理など無いではないか。世の中の不条理は案外、至極どうでもいい理由で発生しているのかもしれない。 なんて、戯れ言だがな。
 私としたことが苛立っているのだろうか・・・・・・電子世界の並は「なんでも」と言って良いほどに情報を伝達できるようになった。だが、なんでも伝えることが出来るというのは素晴らしくなく、むしろ「どうでもいいこと」を伝えられるようになり、そのどうでもいいことを金に換える方法が主流になった。
 だから物語も同じだ。薄っぺらいほど伝達はしやすい。内容が浅ければ浅いほど、儲かる。
 弱さを助長する社会とは、何とも嫌な世界になったものだ。真面目に物語を綴るのは、確かにこれでは馬鹿馬鹿しい。
「どうして人間には差が出来る? 同じ生き物である以上、少なくとも他生物は、性能にそれほど差がないと言うのに」
「それは簡単です。単純に人間というのは別々の生物だからですよ。生物は本来「群れ」ですが、人間はそれぞれが種類の違う「群れ」なのです。人間には種類があり、ただ自分たちで分類せず 同じだと思っているだけ・・・・・・違う生き物なのですから、能力に差があるのは当然です。複数種類の「人種」があり、それは皮膚の色などではなく人格に起因するものなのですよ。クラスに一人はいる人気者然り、一人はいるいじめっ子然り、一人はいる面白い奴然り、全てパターン化されています。似たような、ではなく根底は同じ種族の人間が、他のクラスにもいる。ただそれだけです。雛形は「人間」という「枠」で作られてこそいますが、少なくとも心理傾向はある程度似通った存在になり、「同じような人格の人間」が出来上がりますが、環境と目的が違うので「違う人間」に見えるだけです」
 つまり、人間はそれぞれ全く別の生き物であると同時に、思考回路はある程度似通った、いや全く同じ生き物だと、そう言うのか?
 人気者は「人気者」という雛形で作られただけ・・・・・・根底が同じ人間は、数多くいる、と。
 アリの役割分担みたいなものか。
 人間はそれが複雑化しただけ。
 その複雑さの極地が「個性」なのか。
「それに、本来そういう「弱い生物」は淘汰され居なくなりますが、人間社会は平和で天敵のいない状態が続いたため、生き残ったのですよ」
 つまり有能な「成功例」からすれば、「私」のような存在は邪魔だという事か。
「そうなりますね。少なくとも社会に置いては・・・・・・社会を維持する上では、個性は邪魔でしかありません」
 女はそこまで言って、話を区切った。
 お前なんて必要ない。
 真正面からそう言われる機会が私ほど多い人間も、そうそういないとは思う。だが、ただで消える気は無いし、「どちらが淘汰される側」か問いただしてやるのも「面白い」かもしれない。
「ですが」
 そう区切って、彼女は話を続けた。
「そういうつまはじきでしか、創造的なモノを作れないのも、また事実です」
「本当か? 私から言わせれば、別に豊かな生活の中で面白い話を書けない、というのはハッキリ言って意味不明だ」
「そうでしょうか? そもそも芸術性というのは際だっていなければなりませんから。そして、その他大勢の中ではその他大勢の知るモノでしか、作り上げることは出来ません。貴方のように・・・・・・失礼。離れた視点からしか、わからない事は多い、というだけのことです。それに芸術性は、その経験からくるもの。感性だけでは限界があります」
「そうか?」
 とりあえず反論する私だった。別に芸術性がどこから来ようと勝手だが、しかし「才能」という便利なオプションで生きている人間達を、多数目撃した私からすれば、何とも嘘くさい。
 天性の感性だけで、芸術は作れるのでは無いだろうか・・・・・・苦悩とか苦痛とか、そんな些末なことで作品に影響が出るものなのか? 
 苦悩がなければ傑作は書けないのか?
 その理屈で行くと私は永遠にネタ切れにならないと断言できる。だが傑作かどうかよりも、実際に売れるかどうか、評価されるかどうかだ。
 ミケランジェロは素晴らしいのか知らないが、別に芸術家でもない人間が、その素晴らしさを等しく全員、理解できているとは思えない。ミロのビーナスもモナリザも、大抵の人間は「何が良いのか」すら分からないはずだ。
 だが、全体で「それこそは素晴らしい」と言われれば「それ」が素晴らしいことになる。それが社会と言うものだ。誰か上から「傑作」だと評すれば、そうなる。実態などどうでもいい。
「仮に感性だけでは駄目だとしても、売れれば関係あるまい・・・・・・世の中「結果」だ」
「そうですね、しかし・・・・・・感性だけの芸術家には、信念がありません」
「・・・・・・それが?」
 信念ほど役に立たないモノはない。私は作家として生きてきて、これほど痛感した事実も無かったと思う。実際、あったから何なのだ?
「信念がなければ、人の心には響かないものです・・・・・・それでは芸術とは呼べませんよ」
「よく、わからないな」
 悪いが綺麗事にしか聞こえなかった。目に見えない「信念」よりも「金」の方がわかりやすい。 ただでさえ私には「心」が無いのだから。
 無いモノを説かれたところで、分からない。
 信念か・・・・・・「読者が吐き気を催す物語を」いやこれは違うな。これは私のただの趣味だ。
 作家としての信条か。
 少なくとも「書くべき事」と「書きたい事」を両立できる希有な作家としての私は、一つのテーマに対して醜い部分を穿つように心がけている。 醜い部分。
 皆が、見たくもないと背ける部分だ。
 そこをついてやるわけだ・・・・・・面白くてたまらない。無論、本がもっと売れればさらに面白いのだが。
 後は「金」だ、これは言うまでもないが。当然ながら「物語」など「金を稼ぐ手段」に過ぎないし、そこに尊さなど求めるべきではないと、私は考えている。余裕ある人間の戯れ言でしかない。 百年先まで、あるいは人類が終演を迎えてですら、読み続けられる物語。どんな時代でも読める物語を、私は書き上げているが・・・・・・傑作かどうかなど作家であるのならば「自身の作品が世界で最高の傑作である」という自負を抱くのは当然であり、そんなのはパスポートみたいなもので、無いなら成ろうとするなという話だ。だからそんな前提条件よりも「金」が欲しい。
 そうでなくては嘘ではないか。
 世の中金だ。
 少なくとも「平穏」は金で買える。
「何かを得れば何かを失う。この世界はそういう風に出来ています。金は必要かもしれませんが、過ぎれば破滅を招くだけです」
「それは分かっている。それなりに手に入れば、それでいい」
「なら、分を弁えることです。神も人間も一個人であることには変わりありません。過ぎたモノを求めると、結果何かを失いますよ」
「・・・・・・私が求めているのは「ささやかなストレスすら許さない平穏なる日常」だ。それが分不相応だと言うのか?」
「完全にストレスのない生活など有り得ませんよ・・・・・・ですが、貴方は「作家としては」正しい道を歩いている。それはいずれ報われるでしょう。ただ大切なのは「報われた後」なのですよ。そこから何を成したいのか。それが肝要です」
 絵に描いたような綺麗事をありがとう。そう皮肉を覚える反面、そうなのだろうかと疑問を覚える自分があった。
 そうなのか?
 仮にそうだとして・・・・・・しかし、こう言っては何だが私に「欲しい物」など無い。「平穏」位なのだ。金があれば少なくとも「余計な」ストレスを感じることは減るだろう。だが、あれが欲しいこれが欲しいと、思うモノは私には無い。
 一切無い。
 無欲だとかではなく、単純に分からないからだ・・・・・・「幸福」を感じる為の「心」が無い以上、当たり前のことだが。
 ブランド品で「見栄」を幸福には出来ないし、女を侍らせて「権威」で楽しむことも出来ない。金の力で「権力」を使う相手など、作家である私にはそもそもいない。
 酒も煙草も駄目だ。その上女どころか人嫌いであり、これといった趣味など、物語を読むことくらいのモノだろう。まぁ、私からすれば、だが・・・・・・物語を書くために必要な「仕事」という感覚で読んでいるので、遊びではないが。
 執筆しかない。
 コーヒーを楽しむ「フリ」をしているが、しかし本当に楽しめるわけでも無い。だから私が金を求めるのは、そんな人間が「無難に」生きるためと言っても差し支えないだろう。
 欲しいモノは何もない。
 一見すると聖者かと思うくらい崇高そうに見えるが、何のことはない。この世の何にも興味を持てないだけの話だ。少なくとも、物語以外は。
 物語、物語、物語だ。
 私にはそれしか無い。
 いっそ適当な金儲けの才能を持ち、意味の分からないブランド品と酒と女とで「満足」してしまえる底の浅い人間であれば、楽だったのだが。
 浅い人間が羨ましい。
 楽なのだろうな、と思う。
 素直に羨ましく、そう思う。
 内実を何とも思わない世界では、彼らのような「人間のゴミ」こそが本当に勝者なのではないかと、そう思えるくらいだ。実際、彼らは苦悩という苦悩を人生で経験していまい。
 生きることに。
 違和感を感じないのだろう。
 とはいえ、そんな私でも「金」は「基準」だ。金はあるに越したことはない。というのも違うのか・・・・・・私の傑作が、魂を賭けた物語が、金にすらならないなど屈辱ではないか。
 誇りを傷つけること。
 それは死刑に値する。
 少なくとも当人にとっては・・・・・・だから私は金を求める作家になったのだろうか? 案外そんな理由だったのかもしれない。
 だからといって、金を求めること自体は、やめるつもりは毛頭無い。私は作家だ。物語を対価にして、金を貰うのは当然だ。
 金にならない物語など、書いてられるか。
「そこまで分かっていながら・・・・・・何故貴方は、そんな生き方をしているのですか?」
 呆れ混じり、というか、ため息混じりに、彼女はそんなことを言うのだった。
 私は当然のようにこう答えた。
「面白いからだろうな」
 金があれば色々な「面白い何か」を手に出来る・・・・・・それが悪いことだとは、どうしても思えないのだ。私は、金で人生を楽しみたい。
 ただの、それだけかもしれない。
「はぁ・・・・・・まぁいいです。仕事の話に移りましょうか」
 男も女も口だけの奴は嫌われるが、女の場合それを咎める人間がいない。いずれにせよ綺麗事を言うだけならば坊主で十分だ。
 実際にやっている人間は、間違っても綺麗事を言わないものだしな・・・・・・眺めているだけか、実際に苦痛を伴うか、それでここまで感想が違うものか・・・・・・やれやれ、参った。それでも綺麗事の言い分が通るならば、私の労力など、真実無駄かもしれないのだった。
 誰かの幸福は誰かを踏みにじった「傲慢」の上で存在しうるものだ・・・・・・根底から考えが間違っていたのか? 「誰か」を地獄の底へたたき落とすことでしか「幸福」にはなれない。あながち鼻で笑えない話だ・・・・・・現実問題として、富もそうだが「誰かの絶望こそが誰かの至福」というのはただの事実だ。現実には、そうなる。
 私は幸福を求めて躍起になっていたが「自分の代わりに生け贄になる誰か」がいないから、成功できなかった、ということだろうか。
 先ほどの綺麗事よりは、説得力がある。
 そのうちいいことあるなんて、誰にでも言える価値のない台詞だ。言うだけなら自分で言えばいい・・・・・・だから価値のない台詞は聞かない。
 生け贄か。
 ぱっと思いつくのは「搾取」だ。誰かを口車で動かして、自分は責任を負わず、安すぎる賃金でこき使えばいい。何、それで人が死のうが資本主義経済は、何一つ関知しない。
 誰が何人死のうが。
 金の前では無力だ。
 これは事実で現実だ。信じなくても別に構わないが、私は現実の利益を取る。
 考えておくか・・・・・・会社を興すとなると、それなりの資本が必要だが・・・・・・「何人死んでも構わない」という姿勢であれば、私は無事だろう。
 無事なのか?
 そういう人間がまるで「天罰」にでもあったかのように凋落するケースは多い。無論、そうでない人間も多いが・・・・・・どうしたものか。
 やはり能力差や運不運なのか?
 本を売るだけで、何故ここまで悩まなければならないのか・・・・・・出版業界がまともなら、私は作品を書くだけで良かったのだが。はっきり言って私の作品は一流、それくらいの価値は当然だ。はったりでなくそう思う。いや、思うのではなく、それもまた事実か。
 売るのには傑作具合が関係ないことも含めて。 あれこれ策を弄して成功した試しがない。運不運の理不尽さを身を以て知っている私だ。こういう努力ほど無駄なモノはないと、分かっている。 屈辱だ。
 金がないということは「理不尽な屈辱を受け入れる」ことと同義だ。だから嫌なのだ。金がなければ幸福など有り得ない。
 勝ちたい。
 だが、勝てる人間は決まっている。
 つまるところ私が何をどうしようが「敗北する運命」ならば、何をしようが「無駄」だ。私という存在そのものが、苦しむためだけに存在していることになる。
 少なくとも現時点では「事実として持たざる者は何をどう足掻こうともその行動自体が無駄」というのが現実のようだ。
 だとすれば。
 私が、作家として志したモノも無駄だったのだろうか・・・・・・今更敗北の一万や二万で何かを感じるほど、私は人間をやっていない。だが。
 負けることが、良いわけでは、決してない。
 この思考も、また無駄なのか。
 だとすれば、本当に下らないモノに力を割いてきたものだ。いつぞやのアンドロイドには悪いが・・・・・・「心」に価値は無い。
 愛。
 友情。
 信念。
 誇り。
 徳。
 そういったあれこれは所詮綺麗事、クソの役にも立たない戯れ言ということなのか。もし、私のこの行動に何の意味もないならば、さっさと私をこの世から消し去って欲しいものだ・・・・・・・・・・・・綺麗事ではなく現実にやり遂げられないならば、あるいはそのやり遂げた対価を手に出来ないならば、作品など、書きたくもない。
 物語など。
 眺めるだけでいい。
 金にならないならば。
 生きていないも同じなのだから。
「それで、依頼内容は何だ? 金になるなら誰を始末しようが罪悪感など無いが、出来れば簡単な仕事を依頼して欲しいものだ」
「・・・・・・投げやりですね。信じられませんか」
「信じるかどうかはともかく、ありもしない夢物語を現実に持ち込んでも仕方がない。お前の綺麗事を信じてもいいが、あくまで子供の戯れ言レベルであって「親戚の子供が将来パイロットになれると思っている」ことを信じるくらいには、信じているさ」
 心外そうに「随分と小馬鹿にしてくれますね」と女は憤慨するのだった。当然か。私がこんな綺麗事を言うときは大抵自棄になっているだけだが・・・・・・この女の場合、本気らしいからな。
 信じられない話だ。
 綺麗事を信じるなんて。
「貴方の言う「事実」ですよ」
「その場合、何故私の作品は売れていないんだ」「時が満ちていないからでしょう」
 どうとでも取れる解釈だった。そしてどうとでも取れる解釈ほど、役に立たないモノはない。
「そうかい・・・・・・精々待たせて貰うさ」
 期待せずにな。
 期待できるほど、この世界は綺麗じゃない。
 汚らしい。
「・・・・・・・・・・・・」
 随分と不満があるらしかった。しかし事実だ。綺麗事で世の中を信じられるほど、私は恵まれた人生を送っていない。
 送っていれば作家には成っていまい。
 少なくとも、本は書かない。
 

 いままで多くの存在を「始末」してきたが、死して何か、彼らには後悔とかあるのだろうか?
 私には無い。
 何も。
 無い。
 そんな上等なモノがあれば作家にはなるまい。私には失えるほど大層なモノは、無い。私という自我が消えるのは何だか嫌ではあるが、しかし消えてしまえばそんな感覚もあるまい。仮にあの世で極楽な余生を送れたとしても、私は「ささやかなストレスすら許さない平穏なる日常」を手に入れたなら、こなすだけだ。
 欲しいモノは、何も無いのだから。
「それは嘘ですね」
 と、間髪入れずに女は言った。
「貴方は愛情が欲しくて友情が欲しくて理想が欲しくて人間らしく生きたいだけですよ」
「だとしても、手に入らなければ、それは存在しないことと「結果的に事実として」変わるまい」「それは・・・・・・ですが」
「聞きたくない。どうせ綺麗事だろう? 聞いたところで意味のない話だ」
 私には関係ない。
 おまえ達はどこかで手に入れるのかもしれないが、それは私とは関係のない出来事だ。
 精々楽しくやっていろ。
 私には、存在しないも同然だ。
「・・・・・・いいえ、やはり違います。貴方にはそれらが見えているではありませんか」
「だから、何だ? 見えるだけならゲームでもしていればいいではないか」
「ですが」
「見ていて痛々しいか? だが仕方あるまい。私は昔からこうだからな。見えているから、何だというのだ・・・・・・それは痛々しいだけだ」
「・・・・・・・・・・・・決めました」
 何だろう。依頼に対する金額だろうか?
 だが、それは想定外の言葉だった。
「貴方は私が婿に貰います」
 神にプロポーズされるという極めて珍しい体験をするのだった。
 だが。
「断る」
 むべもなく断るのが「私」だった。
「それを断ります」
「何だそれは」
「貴方のような人間を作り上げてしまったことに対し、一人の化粧の者として責任を感じざるをえません。私は貴方を婿に貰います」
「何だそりゃ」
 意味不明も良いところだ。ギャグなのか?
 笑えないが。
 仮に家庭を持ったところで、私は幸福にな成り得ない人間だ。それは私が一番良く知っている。 愛が分からない以上、本来愛すべき家族でも、私は惨殺して何も感じないでいることができる。 出来てしまう。
 それを人間とは呼べまい。
 なので、私は色々と考えつかれていたことも重なって、適当に返事をすることにした。
「ああ、そうか。そりゃありがたいな。嫁に貰ってやるから金を払え」
「いいですよ」
 言って、札束を差し出すのだった。
 どうやって稼いでいるのだろう?
 掃き掃除をしているだけで、ここまで稼げるものなのか・・・・・・賽銭でも集めているのだろうか。 どうでもいいがな。
「では、契約は成立ですね。ああそうそう、依頼内容をお話ししますが」
 言って、資料らしき書類を取り出して、私に手渡すのだった。仮にこの女が本気だったとしても私の人生は、何一つとして「幸福」を掴めるようには成らないので、どうでもよかったが。
「ではこの小金でとりあえず契約を受けてやろう・・・・・・もっとも、お前が居たところで、私は何一つ「幸福」には感じないがな」
「なら、幸福に感じるまで側にいますよ」
 私は情にほだされたくてもほだされることの出来ない人間、人間かどうかはともかく、そういう存在なので、正直かなり時間の無駄だと思ったがしかし、とりあえず目の前の依頼を考えることにした。
「それで」
 資料を懐に入れ直し、私は聞いた。
 聞かなければ良かったが。
「誰を「始末」すればいい。大統領か? 億万長者か? 有名人か? 誰であろうと、この世界から消し去ってやるぜ」
 何ならついでに、数少ない読者も消し去って、作家なんて辞めてしまおうか。
 そんな投げやりな気分だった。
「空気です」
 だから意味不明な回答を得てからというもの、私の調子は狂いっぱなしなのだった。狂っている方が、結果が出せるのかもしれなかったが。



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