邪道作家十八巻 悪意の限界点 星を撃ち落とせ!!
作品テーマ 非人間讃歌
ジャンル 近未来社会風刺ミステリー(心などという、鬱陶しい謎を解くという意味で)
簡易あらすじ
アンドロイドが自我を持ち職を奪い作品すら書き上げる時代───非人間の殺人鬼作家が、作者取材という戦いに挑む!!
当然ながら依頼は嘘まみれ、行き着く先には困難ばかり••••••得られる「利益」が見えずとも、不屈で書き抜いた事だけは「真実」だ。
天上天下において並ぶもの無い、唯我独尊の物語だ───他に書ける奴がいるというなら連れて来い!!
過去未来現在において、唯一無二の
「悪意」
だけは「保証」しよう!!!
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実際、無理だとか無駄だとか、そんなセリフは聞き飽きた───そんなありきたりの発想で納得する奴が、業界の改革案まで企画書仕様書込みで、それもシリーズ完結23冊分まで書き上げる訳が無いだろう?
言うまでもないが、中途脱落は読むだけ「無駄」だ。
縦書きだけなら有料分全てを1000円で売ってやるのだから、それに金も払えず読み漁るだけの奴に、輝かしい未来なんてある訳が無いだろう───人間讃歌の恥晒しだ。
非人間讃歌であれ人間讃歌であれ、
何もしなければ何も言う資格がない
のは共通だ。
いい加減行動するんだな、読者共!!!
小銭も払えねー読者なんぞ、いてもいなくても同じ事だ!!
ちなみに、久々に見たが十八巻の終わりは中々の出来だった。
私自身が言うのも何だが、邪道作家の旅の過程、連中風に言うなら
真実に向かおうとする意志そのもの
とでも、いうべき過程を描き切った•••••
その「意志」だけは、「保証」しよう!!!
邪道作家十八巻
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出来は保証しない。
だが悪意だけは保証する。
それが私の作家道、即ち「邪道」だ。
物語などというのはすべからく虚構だ。嘘八百を飾りたて、有りもしない夢希望を魅せ現実には無い素晴らしき人間性を表現する。
つまり、作家とは詐欺師だ。
どころか私は邪道作家。であれば読者を騙し、読者から搾取して、読者の苦しみを願うのは仕事における責務だと言える。仕方なく、作家としての責務を果たす為、読者の不幸を実現せんと行動しているに過ぎないのだ。
などと、冗談を交えて噺を進めよう。
だから作家らしさなどどうでもいい。そもそも作家らしさとは何だ? 原稿に追われる事か?
生憎筆が早いので、その悩みなら無縁だ。
だからって売れなければ徒労にしかならない。それは御免だ。筆が幾ら進もうが、売れなければ何もしていないのよりも酷い無様だと言える。
人間には、作家であれば尚更、何かしら不幸や不遇が必要になる。あるいは欠落と言うべきか。富か人格か待遇かいずれにせよ世界に相容れないのは確かだが、それにしたって全てとは。傑作を書くには必要な条件かもしれないが、しかし傑作であるか否かなど売り上げで決まるものだ。
多少、それで筆が早くなって、何になる?
嬉しくない。筆の遅い奴の信条など、それこそ理解出来ないが・・・・・・私の場合不真面目にその場の勢いで書くだけだからな。
王道の作家共のやり口など、私には無縁だ。
邪道であればその苦しみは無いが、その分金にならないのではむしろマイナスだ。作家が何故、物語を書くのかだと?
まず、金の為だ。
そして、読者に何かを刻む為だ。
何より、人の無様は面白い。
だからこそ、我々は、いやこの時代にはもう、作家と呼べるような奴は絶滅しているが、だから作家は物語を書く。要は悪趣味の結晶だ。
作家という人間の失敗作共が、その悪性の結晶である腐れ精神を雑巾のように搾り取り、そしてその絞り出した汁を固めて薄めれば完成だ。
どうしたって当人そのものよりは濃くならないが、それでも、読むだけでその非人間特有の世界を汚く見る方法が、読者の随まで染み渡る。
これ以上は無い悪行だろう。
いわば、魂を汚す行為だからな。
この世に存在しない夢想を魅せる事で、世界に夢や希望があると錯覚させ、あるいは現実にある理不尽の数々を無理矢理直視させる事で、読者に未来にある落とし穴へ直行させる。まさに神をも恐れぬ行為だ。神仏なんぞを恐れる奴を作家とは呼ばないので、すべからくそうだと言える。
非人間に信仰など有り得るのか?
信じたところで、それは人間の信仰なのだからあまり意味も価値もないとは思うが、それはそれで作品のネタになりそうだ。取材したい。
面白そうだからな。
私には、それが全てだ。金と、ネタと、あとは強い者いじめが出来れば大抵満足できる。
楽しみなど欠片もないが、それも在り方だ。
私が定義した以上、そこに何の快楽もなかろうが、そもそも人間性による感性が存在しない私にとっては、それが一つの「生態」だ。
故に、何の問題も有りはしない。
強いて言えば、売り上げだけだ。
そこだけなのだ。私には精神面による欠落など意味を成さない。誰かに愛されたいだの、誰かに必要とされたいだの、誰かに認められたいだのとよくもまあそんな些末な事で悩めるものだ。
財布の中身の方が、どう考えても大事だろう。 他者がいるなら金を奪え。
そんなのは、当たり前の事だ。
今回はその「何に重きを置くか」こそが依頼の対象だ。人を取るか技術を取るか、あるいは未来という先の繁栄を選ぶのか。いずれにせよ人間のエゴである事には変わらない。それなりの見せ物にはなるだろう。
破壊か懐古か。
いずれかを選ぶ、のではない。読者諸君が未来において、どれだけそれを選ぶ事すら出来ず失敗を繰り返し、後悔し絶望するのかを教えよう。
なに、お代は全財産の半分でいいぞ。
良心価格だ有り難く思え。貴様等の財布の事情など私には関係ない上、少なくとも仕事によって得られた実利ではないのだ。泡銭だと言える。
ならば構うまい。
貴様等の財布を消費し、語るとしよう。
何も食べるな飲み物も遠慮しろ、金だけは払い感想は言わなくていい。文句があるならむしろ、作家にとっては成功だ。文句が出るような物語で札束を毟り取れるのであれば、それこそが一流の作家だと言えるだろう。
まあ一流二流はどうでもいい。
金にさえなれば、それで勝利だ。
物語など信じるんじゃない。所詮嘘八百による虚構に過ぎない。だが悪意だけは刻んでおけば、それなりに役には立つだろう。
つまり、まあ、こういう事だ。
貴様等が未来に犯すであろう失敗談を先んじて私が書いてやる。この私の、ささやかなストレスすら許さない平穏なる生活を、豊かで充足する形で実行できるように改善して貰おうか。
さあ、開幕だ。財布の中身を忘れるくらいに、没頭して楽しむといい。無論、その間に読者共の財布をくすねるのが、作家というものだがな。
1
物語には皮肉が必要だ。
今ある何かを否定する、今ある何かのまだ見ぬ汚い部分を明るみに出し、それを知らしめる事が物語の役割だと言えるからだ。
誰にでも個性があるからそのままの貴方でいいなどと、そのような妄言は個性と呼べる物を手にしてからほざけ。私の冗談よりキツいぞ。
さて、その皮肉って奴で語るならば、人間社会にはそれが溢れている。誰かを差別したり何かを破壊したり進歩した技術こそが大量虐殺に繋がり人類を否定する結果になるものだ。いってしまえば、人類は頑張って人類史を破壊し続けている。殺しても殺してもカビの様に増える人類は、その増殖度合いに相応しい成長速度で同じように人間を攻撃し、破壊しているのだ。
破壊と創造は表裏一体というが、これは単に、破壊を創造が上回っているだけだろう。だから、いつの日か破壊が創造を上回る時は来る。
いや、既に上回っているのか。
だからこそ、人類はどんどん死に向かっていることに気づかない。技術の進歩がどれほど自分達を追いつめているのか、見ないフリをする。
進めば進む程、死に近づいていく。
その点、私はどうなのだろう? 物語を実利に変える行いは、私の死に繋がるのだろうか。だが金にならないまま消えるなら死んだ方がマシだ。そもそも金にならないままであればただ死ぬだけだが、金に換えればあの世でも印税の金で極楽を買えるかもしれない。
地獄の沙汰も金次第だ。
そういう逸話は多い。払った金額で天国行きを決める宗教もあるそうだから、あながち比喩表現だとも言えまい。ならば私は金が必要だ。
欲しい、のではない。
必要なのだ。
私には我欲、という概念が無い。何かを欲する行いが共感出来ないからだ。まあそれはいいが、別に悟りを開きたいわけではないのだから、幸福を定義する基軸は必要だ。それが私の場合物語を金に換える行いであり、それによる豊かさを享受することで、まるで人間のようにその幸福の定義を肯定する行いを指す。
だからこそ、金だ。
あって不便はあるまい。ありすぎると身動きが取れなくなるが、ならばその全てを作品の宣伝に使えば良いだけだ。成り上がりの有名人など基本金で動くのだから、そういう連中を札束で叩き、喧伝させるのも悪くない。
そこまで余力があるなら、だが・・・・・・いっそ、作品の売り上げ以上に支払っても良いくらいだ。まあ、作品を以て世界を覆すのであればそれなりに資金は必要になるのだが、それもこの電脳世界が幅を利かせる世界ならば、国家予算並の金など使わずとも何とかなるだろう。
その辺は読者任せにしたいものだ。
面倒だからな。邪道だからって、領分ではない行いを全てやりたい訳ではない。
疲れるだろうが。
書くだけでも結構疲れるのだ。私は王道の作家と違い登山しながら執筆出来るような作家だが、だからって疲れることは好きではない。
その後に休めば極楽があるか?
それなら執筆作業だけで十分だ。あるいは休日にどこかへ赴けばいい。販売宣伝の労力などを、私が負担しているのが既に異常なのだ。世の中の編集者って生き物が絶滅してからというものの、傑作は大分減ってしまった。
あれではゴミを増やしているようなものだ。
子供の遊びは余所でやれ、余所で。
仕事の邪魔をするんじゃない。
己の間違いを笑って肯定し、突き進む事。
それこそが悪党の条件であり、生きる上で必要な責務だ。過去に引きずられたり裏切りの百二百で被害者ぶったり、自身の境遇を嘆いたりして、それが何になるというのだ馬鹿馬鹿しい。まして仕事という意識もないまま自分達の行いが偉大であると錯覚し、理不尽の一つにも挑まず出来る事を右から左へ流すだけで「仕事」だと自惚れる様には虫酸が走る。
他にやることはないのか?
あるはずだ、探せ。
出来なければ死ね。生きる価値など無い。
人類社会が危惧して、拡散を防いでいるのではないかと思う程に失敗続きの私ですら、やるべき事はやっている。貴様等恥ずかしくないのか?
まあ人類全てが私の物語を否定するなら、人類の意思全てを「説得」するまでだ。「今まで色々あったがやはり邪道作家の物語は人類の進歩の為必要なのだ」とでも思わせればいい。人類の意思などかけ算したところで大した物ではないので、助力させたところで底が知れる気もするがな。
何せ、私の物語を売る事すら出来ないのだ。
人類の総決算など、邪道作家の物語を売る事も出来ない。どころか、物語という概念に金を払わず読もうとし、そのくせ評論家を気取り出す。。 人類の意思など、その程度。
人間社会にとってガン細胞なのであれば、尚更引く訳にはいかない。そのガン細胞を広める為に私は存在しているのだ。小綺麗な細胞ばかり見て現実にある負の側面を見ようとしないのならば、それを直視させるのが作家の「役割」だ。
まして私は邪道作家。
たかだか免疫になど負けられるか。
その免疫すら私を認めざるを得ないように説得してやる。私が説得すれば、相手に心がある限り必ずそいつは了承する。
させてみせる。
その為の、己の道だ。
出来なければそれこそ死ぬしかない。いいや、死んでいるも同義だ。私はまだ、生きるという事を出来ていない。私は死んでいるのだ。
己が役割を示せない。
それでは死体よりタチが悪い。
今まで綺麗事で誤魔化してきた全てに、悪意を知らしめ認識させる。相手が神仏であろうが妖怪であろうが人間であろうが運命や世界そのものだとしても、やらねばならない。勝算など無いが、それもいつもの事だ。
勝算のある戦いなど、戦いではない。
それを覆してこそ、だ。
まあ楽な道であるに越したことはないが、私にそのような楽な道はない。余裕ある持つ側が現実を見ずに愚かしい妄言を垂れているのと違って、私は手抜きなど許されない。生きるか死ぬかを、直視し進まねばならないのだ。そういう意味では楽な道程が羨ましい。
肩書き。
種族。
能力。
配られたカードが幸運に満ちているだけで己の力だと錯覚出来る。それは恵まれている持つ側の堕落そのものであり、そこに価値などない。
ゴミの方がマシだ。
何せ、売れば金になるからな!
何者であれ、仕事を成さねばならない。大体、仕事をせずに何をするのだ? どれだけ全知全能であり偉そうに振る舞えたところで、やるべき事がなければただの暇人ではないか。偉そうにするだけなら酔っぱらいと変わるまい。
第一、偉ぶるというのは最も遠い。
真に何かを成し遂げたならば、そこに評価など必要ない。他者がどう思うかではなく他者にどう認めさせるかだ。それだけで十分だろう。
逆説的に、何も成し遂げていないからこそ権威を求めると言える。真に何かを成し遂げているのであれば、そんな物必要あるまい。
認めざるを得ないのだ。
わざわざ口にする必要があるのか?
己を人間だと、いや生命の輪にいると感じない以上、私には神仏というのは他人の家にいる犬のようなものだ。働かず、貢ぎ物だけは貰い、破壊や文句だけは一人前。これでは敬いようがない。私なら、その在り方に姑のようにケチをつけて、廃人、いや廃神廃仏に追い込む自信がある。
祈りを捧げるだけでは、依存と変わるまい。
神仏が何者であれ、それは指針としてだけ扱う必要がある。自分達と違う能力を持つ連中に人間の未来を託せる訳があるまい。その在り方を指針として参考にするのはいい。だが己よりも優れた某かに依存して頼るのは、ただの「甘え」だ。
噺が逸れたが、要するに、相手が何者であろうと私は物語を売る必要がある。今回の依頼はその「特別性」という物の極みが対象だ。
さて、それでは物語を始めよう。
感想は不要だ。しかし金だけは置いて行け。
それがただの虚構か知りたくもない真実なのかそれは読者が決める事だ。だが、たった一つだけこの邪道作家が保証しよう。
これが、人間性を否定する物語である事を。
1
ここに一人、いい女がいたとしよう。
成る程、人間は、いや人間でなくとも、その女に対して欲情したり魅了されたりするのだろう。どちらも同じで、要するに誰かに何かを感じ取りそれを己の感性で味わおうとする行いだ。
私には、それがない。
わからない。いい女がいたとして、それはそれとして利用すれば良いではないか。あるいは血縁が大切だとか、友情を裏切るべきではないとか、喜ぶべき悲しむべき怒るべき哀れむべきだとか、そんな無駄な行いに共感しないし、出来ない。
しようとすら思わない。
理解は出来る。だがそれだけだ。あくまでも、人間を真似ているに過ぎない。人間を理解しても人間に共感する事だけは無い。
何故だ。
女を抱く事に喜びを見出す、というのも私には分からない、いや共感できない噺だ。別に、どうでもいいではないか。適当に満足したという体で進めては駄目なのだろうか? それでは満足せず「他者の温かみ」を感じなければ生きているとは呼べないのか?
だとすれば、他者の温かみを必要としないのは「悪」なのだろう。暖まりたいなら布団でも用意すればいいと考えてしまう私には、理解されずに悲しみに暮れる奴の考えなど、共感出来ないのだ・・・・・・故に、それはそれで楽な道だと考える。
何せ、少し困れば悲嘆するだけでいいのだ。
無駄に優秀だったりするおかげで、少しばかり時間を無駄にしても後から幾らでも取り返せる。悲しみがあれば悲嘆に暮れ、喜びがあれば疑いもせずに感動する。何と楽な道程か!
失敗すれば毎回致命傷を負い、敗北すれば毎回実利を見逃した。横から恵まれた愚か者が半分も労力を費やさずにそれを手に入れる様を眺めて、少しでも吉報があればそれは必ず私を貶める為にのみ存在する、不運の用意した釣り針だった。
たかだか一度二度で絶望できるとはな。
だからこそ、異形の存在がさして計画性もなく「人間に裏切られた」などと抜かす様は、非常に鬱陶しい限りだ。当たり前だろう。貴様等は実利を手に入れる為に、他者を出し抜く計画の一つも立てる脳味噌がないのか?
まして、連中は優秀だ。
それこそ神仏ではないが、超常の能力を持ち、物理現象すら従える。それが原因で人間に迫害をされる噺は多いが、ならば更にそれを利用すれば良いだけだ。人間は奇跡に弱いからな、何であれ人間が指を指して迫害する何かがあれば、それは転じて人間が崇める物にも変質できる。
要は使い手次第だ。
それが無能だからそうなるだけで、要は知能が足りていないのだ。異形であればそれを利用し、金を取ればいいだけの事。私なら、口先を動かすだけで、その辺の地方に住む神だとでも偽り金に変える自信がある。
これこれこういう理由で、今まで神様が表には出なかったのだが、今回の村人達の危機を感じ、こうして表に出てきたのだ、とでも言えばいい。 噺なら、幾らでも捏造可能だ。
いや仮に露見したとしても、それこそ変化なり何なりで今まで迫害し刃を向けてきた連中の中にそしらぬ顔で混ざればいい。そして難度でも繰り返す。無論、成功するまで何度でも、だ。私には朝飯前の行いだろう。
そういったあれこれを、尽くさない。
なまじ優秀だからなのか、少しばかり裏切りを味わったりすると、途端弱気になって諦めるのだ・・・・・・いいか、よく聞け。
弱気になっていいのは金に関してだけだ。
貯金残高が少なければ、絶望する権利がある。仕事が上手く行かなければ尚更だ。私にはそんな感性すらないが、もし仮にこの世界で絶望するに値する何かがあるとすれば、それは貯金残高だ。 信頼した奴に裏切られただと?
良かったではないか。裏切りは早い方が良い。後から実利を貪られれば被害総額は甚大だ。友も恋人も仲間も、使い捨ての関係に過ぎまい。
どれだけ愛があろうが、裏切りはあるものだ。 いや、むしろなければならない。真摯な気持ちの為に身を滅ぼすなどそれこそ相手に対する侮辱だろう。裏切る必要があれば、例えどれほどの愛があろうが、裏切らなければならない。それは、生きる上での当たり前の義務であり、必要な行いだと言える。
それを無視して身を滅ぼすのは、相手を見ないからこそ出る行いだ。一方的に相手を信じ続け、かつその信頼を以て支えるなど、それこそ物語の中にしか存在しない。してたまるか。そんな都合の良い世界の中で何故私の物語が売れないのかと無関係の奴を斬り殺す自信がある。
何にしろ、裏切られれば裏切られたで、それはそれとして新たな候補を探すしかない。人材など掃いて捨てる程あるが、優秀な奴は中々発掘するのが難しいからな。嘆いている暇など無い。
恋人も友人も仲間も、さっさと探せ。
私にはそのどれも要らないがな。
恋人も友人も仲間も、何の共感もしないからな・・・・・・そもそも、現実にそういう縁など、私には存在しない。絶縁体には関係のない噺だ。
故に、それで悩むなど、楽で羨ましい。
私も一度、そんな暇な理由で悩んでみたいと、そう思わなくもない。金に余裕があり、先行きに確信があるからこそ出来る娯楽だ。誰かに裏切りを受けたとか、誰かに迫害されただとか、或いは何かを信じられなくなっただとか。
そんなどうでもいい理由で、よく悩めるものだ・・・・・・・・・・・・他にやることはないのか?
別に、構わないではないか。
些細な事だ。怪物属性とはとかく精神が脆く、己の理不尽を世界の一大悲劇のように捉えたがるものだが、それはただの勘違いに過ぎない。
よくある噺だ。
どこにでも、その辺りに転がっている二束三文の物語でしかない。自身だけが特別酷い目に遭うと思う怪物は多い。私か? 言っては何だが作家が売れない物語を書き続ける以上に残酷な事が、他にあるのか?
あるなら是非教えて欲しいものだ。
それはそれとして金に換えてやる。
私はまだ、生きていない。
当たり前だ。心の有り様に共感せず、その上で目的すら果たせていない。生命の輪に混じれないのは大いに結構だが、その一方で恵まれた怪物のように人間性と相容れぬが故の利点がないのだ。どころか、私は怪物とさえ相容れない。
むしろ、連中の方が心は豊かだしな。
それでこの様では笑えない噺だ。かといって、この先に「希望」などという調子の良い何かなどある筈がない。間違いなく、理不尽な災難だけがそこにはある。今まで散々そうだった物が、急に変わるなど有り得ない。
それなら今まで何をしていたのだ。
だが、個人の意志や行動など、少なくともこの私には無駄な行いであるのも確かだ。私の行いで何かを変えられるなら、既に変えている。
真摯に生きていればその労力が報われ、正しく評価されるとは羨ましい噺だ。労力は報われず、評価とはこちらにとって必ず都合の悪い形でのみ行われるもの。生まれついて常にそうだった私が言うのだ間違いない。
それで何とかなるのは、ただ運が良いだけだ。 当人の意思など関係ない。
それを己の力だと勘違い、いや思い込みたがる奴は多いがな。間違いなくそうなる。少なくとも私の未来は必ずそれだ。何かが報われるなど調子の良い妄想に過ぎない。強さも弱さも併せ持たずここまで来たが、やはり欠点しかないらしい。
それによる利点など、有った試しがない。
長所は短所、というのも恵まれた発想なのだ。いいや違う。生憎そのような楽な道程など送っていない。そんな「楽」は出来なかった。
文字通り、何も無かったのだ。
私には、何もない。
この物語とて、このままではそうなるだろう。売れなければ無為に消えるのみだ。生きた証こそ一時の栄誉に勝ると考える奴は多いが、私の場合その両方が存在しない。生きた証は理不尽に敗北し、その上で栄誉も実利も有りはしない。
御免だ。何故こんな目に遭わなければならないのかと言えば、私の存在そのものが最悪だから、かもしれない。自分で言うのも何だが、生まれや種族に関わらず、何者として生まれようとも私は世界にとって害悪だ。実際、心を持たずに生物に擬態し、その上で全ての悪性のみを肯定して相手がどれほどの存在であろうが等しく叩き斬り目的を果たす。まさしく最悪だ。
何者に産まれようと、同じだろう。
人間でも悪魔でも神でも仏でもあるいは鬼でも良いかもしればい。種族名が変わるだけでやる事は同じだ。いや脆弱で無力な人間でなく特別性を利用できる他種族で産まれれば、更にタチの悪い存在だったろう。
あるだけで絶対悪だ。
何せ、今そこにある全ての善なる概念を否定し悪性のみを肯定するのだから、その有り様の時点で救いようがない。救われる覚えもないが、私はその概念そのものが「世界に対する敵対者」だ。 しかし、だからって金が無いのは困る。
仕事に成果が支払われなくとも良い理由など、あるものか。例えそれが私でも、いいや、私なら尚更だ。それだけの仕事への自負はある。
だがきっと、未来はロクでもない。
悲観ではない。事実だ。間違いなく最低の環境で、あらゆる労力が無駄に終わり、全ての評価はこちらに最も都合悪く、目的を果たす為に必要な行いこそ遠回りになるだろう。遠回りが実は近道だった、という事も無い。
ただ無駄足を踏まされるだけだ。
私はそれを、よく知っている。
嫌というほど味わったからな。
いつも言っている事だが、仮に神仏という存在があったとして、私の味方でない事は間違いない・・・・・・大体、それらは人間の信じる物だ。自分を人間だと感じない私には他人事だが、そのような高い所に座っている奴はただそれだけで私の敵になるのだ。
私でもそうする。
かもしれない。考えるだけ無駄だがな。善なる存在にとって世界の裏側を語る私は、この世界で最も「都合の悪い」存在だ。だからこそ都合良い悪役として迫害されるは道理だろう。
それはいい。私でもそうする。
その方が楽だしな。
だが、それで金が入らないなどあってたまるか・・・・・・ある意味「都合の良い悪役」としての仕事すらも果たしているのに、二重に支払いがないという事を容認するとでも思うのか? 他でもないこの、私が。
上手く行かないものだ。
絶対など無いと人は言うが、まさか、だろう。絶対はある。少なくとも明けない夜はこの最悪である私には存在する。放っておけば永遠に暗闇のままだからこそ、こうして動いているのだ。
間違いなく未来は暗い。
絶対に。
それが、私だ。
経験しなくとも良い最低の経験だけは、絶対に経験している私が言うのだ間違いない。未来は、その当人の運次第で決まるものだ。
そして私には幸運など無い。
悪運だけは全ての敵対者を集めても足らぬ程にあるのだが、それだけだ。悪運はある種敗北者に特有のものだからな。金にはならない。
いいか、よく聞け。
未来に希望など存在しない。
絶望だけが人生だ。
友情は裏切りの為にのみあり、恋愛は破滅の為にこそ存在する。愛とは机上の空論であり現実に与えてくれる奴など存在しない。貴様等読者共が何を見ているのか知らないが、少なくとも物語に見る幸福論など全てが虚飾に過ぎないと知れ。
ただし、金だけは信じろ。
世界が滅び金という概念が消えてもだ。
その場合はいつも通り己だけを信じればいい。他者との協力で出し抜けるなら、他者を利用して己を助ける事を考えろ。要領よく行くだけだ。
持つ側の言葉など、鵜呑みにするな。
どれほどその言葉が輝こうが、貴様等よりほんの一滴分でも豊かさや力を持つ奴の言葉に信じる価値など有りはしない。上から物を言う奴に世界の理不尽の何がわかるというのだ? 所詮恵まれた場所で口を動かしているだけだ。
そんな戯言を信じるな。
悪意だけを盲信しろ。
悪魔程度では生温い。少なくとも私なら、口先だけで破滅させる自信がある。力があるから示す悪意など、底が知れるというものだ。
私なら、悪意だけで切り刻む。
お高くとまっている連中に悪意を刷り込み善を否定し世界の敵対者を量産する。心という概念を破壊する、のではない。最初からそのような都合の良い概念など存在しないと、現実という崖下に突き落として知らしめるだけだ。
悪を自認させればそれでいい。
悪を自認せずに済むというのは、それだけ楽が出来るという裏返しでもある。でなければ正義や善など語れるものか馬鹿馬鹿しい。正義だと?
善だと? 人間性による勝利だと?
結局は、力あってこそだろう。
無力なまま世界を変えた奴などいるものか。
まあ私は楽が出来ればそれでいいのだが、そう上手くは行かないだろう。何度も言うが、未来を予知など出来ずとも、最低なのは確かだ。
見るまでもない。既に確定している。
その点、私には「思い出」などない。であれば生きているとも言えないだろう。何一つとして、思い出すべき事柄が無いのだ。あれは良かった、懐かしい、酷い目にはあったがそれでも得られる何かはあった。
そのような楽が出来るとは、羨ましい噺だ。
実際、暇で羨ましい。
何かを思い返す余裕があるとはな!
思い出すまでもない。すべからく最低の目だけに遭っただけだ。私なら一行で終わるぞ。何せ、作家などを目指すくらいだからな。
過去も未来も、地上最悪の自信がある。
絶対に「良い事」が降ってくる事はない。
必ず、放っておけば、いや、放っておかずとも最悪の目に遭う。それこそ絶対に希望などという楽な道は存在しない。確定した未来なのだ。
良い事は何もない。
最低最悪の目だけが存在する。
それもまた、「私」だ。
いい加減嫌になる噺だ。しかし実際、こうまでロクな目に遭わず改善する為動けば動く程最低の環境になるのであれば、外的要因がなければどうにもならない気もする。だが、外的要因が助けてくれるなど、私には悪い冗談だ。
私の冗談より酷い。
子供の妄言の方がマシだ。
何かを信じるなど馬鹿げている。信じるという行いは、余裕があるからくるものだ。信じられるほどに恵まれているから信じたがる。
あるいは、相手に全てを預ける場合だが、私にそのような都合の良い相手はいない。殆どの場合会話をする余地もなく敵だしな。
何事も、挑戦権すら無い。
大体いつもそんな具合だ。
それに、相手を信じて全てを託したところで、やはり私は失敗するのだ。誰かの手を借りても、必ず最低の状態だけがある。最早、理屈ではなく呪いなのかもしれない。あるいは月並みな台詞ではあるが、私が私である限り、なのだろうか。
だとすれば、お手上げだ。
文字通り、どうしようもない。
それでも止まれない。とはいえ私も止まれないだけで、儲からなくて嬉しい訳ではない。だから何とかして、そんな方法は存在しないが改善する必要はある。不可逆を可逆にしたところでやはりその行為自体が無価値なゴミに後付けの理由から変わるのも私なので、それもただの徒労だが。
ふん、どうしようもないな。
空から幸運が降るのでも待つべきなのか?
待ったところで、無い事も確かだ。であれば、どうしたものか・・・・・・そもそも何故作家がそんな理由で悩まなければならないのだ。物語を売るのは編集者の仕事だ。その編集者と呼べる生き物が絶滅している以上、私は滅びつつある世界で既に死に絶えるしかない生物なのかもしれない。
私が産まれた時点で、全てが終わっている。
変えられる筈がない。
とりあえず、金だけは稼ぐとしよう。稼ぐだけで何の未来も無いが、私に出来るのはいつもその程度だ。未来とは、理不尽の為にのみある。
苦しむだけが生の証だ。
徒労こそが真理なのだ。
不運のみが世界にある。
それを味わわずとも良い特等席。何者であれ、生まれついて優位性があるかどうか。それは種族であり能力差であり地位でありそれら幸運という理不尽を避けられる楽な道程にいる奴に、世界を語る資格はない。だが、資格などなくとも力さえあれば押し通せるのが世の中だ。
私が言うのだ間違いない。
最低最悪の場所で、常に見てきたからな!
忌々しい連中だ。すべからく死ねばいい。
面白ければ生きる価値があるが、大抵そういう奴は面白味がない。面白味のない持つ側などに、生きる価値があると思うのか?
私が断言してやる。無い。
高貴な生まれだと自惚れている奴に限ってそういう奴は多い。その幸運が何故私にはないのか。やはり、性格が悪いからかもしれない。
それが悪なら、私は悪でいいがね。
そのおかげで、執筆速度だけはあがったからな・・・・・・適当に書いていても一時間で十ページ程度は書ける。基本不真面目なのでそこまで真面目に書く事などないが、単純な執筆速度だけで言えば人類史史上最速だろう。
人類史史上、最も使えない技術だ。
売れない物を早く書いて、何になるというのか・・・・・・やはり遠回りは遠回りだ。何の役にも立たない。無駄な徒労こそ私の軸なのだろう。
やれやれ、参った。まるで進まない。
それもやはり、いつもの事だが、
元より、物語なぞ勢いで書く物だが、私の場合更に技術も何もない悪意だけだからな。見た目の麗しさなど欠片もなく、感動させる要素など微塵もない。ただただ悪意だけなのだ。早く書けても当たり前だろう。
美しさの描写など、やる意味がないのだ。
書いても良いが、書かなくともいい。邪道作家の物語に必要なのは悪意を刻みつける言葉だけだ・・・・・・・・・・・・読者が悪に染まればそれでいい。
それが「私」の「役割」だ。
私は世界の除け者だ。
私を認める奴など見た試しがないし、何よりも大抵存在しているだけで石を投げられ、人間的な社会とでもいうべき中においては、存在そのものが相容れない。それはいい、どうでも。問題は、それに見合う利点がまるでない事なのだ。
せめて怪物連中みたいに楽して生きられる能力でもあれば、噺は簡単だったのだが・・・・・・だが、もしそうであれば「邪道作家」などという在り方など、選ばなかったのも確かだ。
嬉しくないがな。
だから、何度も言うが、石を投げられる程度で利点を得られる怪物連中が羨ましい。どれだけ楽な道なのだ。たかが世界に迫害される程度で力を得られるならば、私にも御利益の一つ二つあってもいいと思うのだが、所詮あれらは持つ側の物語という事なのだろう。
なので、我慢ならないのは被害者ぶってる癖に何かしら人生を楽できる特殊な能力を持っている連中だ。自分達は酷い目に遭わされたから誰かを酷い目に遭わせても良いのだ、などと。
仕事に報酬が払われなくなってからほざけ!
史上最低の気分だぞ、まったく。
人間でも神仏でも散々殺し合っているからこそ今の時代がある。能力にかまけて偉そうに迫害を行うなど太古の時代からある常識だ。正義という名の悪を行うからこそ、「善良」や「道徳」などという妄言を押しつけられる。
所詮持つ側の都合に過ぎないが、しかしそんなのは当たり前の事だろう? 力があれば何をしても許させる事が可能だ。それこそ、神仏の歴史を見れば一目瞭然だろう。
説得して争いを収めた神仏や英雄など、生憎と聞いた試しがないからな! 要するに暴力で事を収めてから、自分達の正当性を語り己を誤魔化しあれこれ言い訳しながら「自分は悪くない。世界が悪い」と嘯くからこその神話であり英雄譚だと言えるだろう。
人類が肯定する全てが、それを認めている。
神仏や英雄、今まで歴史が作り上げてきた人間社会の法律、規範、文化。全ては、暴力ありきの押しつけに過ぎない。力があれば何をしても許させる事が可能であり、殺人は「天罰」や「栄誉のある戦い」に変換され、むしろ「良い行い」だと言い張れるからだ。
そしてそれでいいと、当人達も思い込む。
事実がどうであるかなど、何の関係もない。
何よりその楽して生きる為に必要な力とやらがどうすれば手に入るかというと、運不運以外には何の要素もありはしない。楽してそういう力などを手に出来なければ、私のように手を尽くした所でこの様だ。
私が言うんだ間違いない。
そういう愚か者共を騙してでも味方に出来れば噺が早いのだが、何者であれ力を持つ輩というのは「必ず勝つ側」に味方するものだ。現実に苦難や理不尽を経験していないからこそ、自分達はというと楽して勝つ方法しかそもそも知らない。
要は遊び人の集団だ。
仕事をする私に味方しろ、というのが無理なのかもしれない。堕落しきった脂肪分の固まりに、何かを成す行いが理解できるとは思えない。
そんな知能があるなら仕事をしているだろう。 風よ吹け、ただし追い風に限り、かつ自分達の隣の家が火事になる場合のみ我らを利せよという具合だ。連中は仕事という概念が何であるのか、既に覚えていないのだろう。天の気まぐれが彼らを偶然味方している時には「立派な行いを我らはしている」と嘯くが、その実隣の家が火事になる事で得られる桶の販売利益で食っているに等しい汚行だと言える。
人とは金という妄想に振り回されて、北風より太陽を望み、しかして何の労力も払わずその恩恵を得ようとする乞食の集団に過ぎない。人間性という賛美されるべき行いは、如何にして乞食共が空から降ってくる恩恵に振り回される無様さを、自分達にとって都合良く解釈できるかを競い合ういわば詐欺師としての能力値だ。
人間性とは、あればあるだけ人から遠ざかる。 であれば、案外私は人情味溢れる好青年なのかもしれない。いや、私が青年とは限らない。学生という線も有り得るし、女流作家が己を誤魔化し作風を操作しているのかもしれないぞ。
いずれにせよ、言える事は唯一つ。
若いと思っている内は、まだ若いという事だ。 聖なる剣が我々を若返らせる事は無い。もし、そういう効能があるとすれば、それは仕事を行い生き甲斐とする事だけだ。仕事さえしていれば、我々は永久に若く生きられる。生きるという事は仕事を探し出し、己でそれを定義し、その行いを例え全知全能の存在が目の前で偉そうに振る舞い命令したとしても、臆する事無く己を貫き仕事の成果を示せる在り方だ。
そこに才能などを挟む余地など無い。
かくいう私も、才能などとは程遠い存在だった・・・・・・何せ、手書きで書き始めたはいいものの、字が汚過ぎて読めなかったからな!
あれなら象形文字の方がマシだ。
燃えさかる執念はあれど、実行するのに必要となるのは勇気だけでなく己を利する環境であり、何よりも金に対する因果律だ。愛や友情を得られ周囲が味方する楽な状況であればいいが、まさかそれほど都合良く物事は運ぶまい。
逆境が人を利する事など無いが、ただし人間の思い上がりを諫めその勝利の全てを己の力なのだと勘違いする愚行は止められる。何事であれ幸運がなければ成り立たない。どれだけ才能があり、それを活かせる人材だとしても、運の風向き次第では、あっさりと没落し死に至る。
苦しめれば苦しめる程傑作を書くのも作家ではあるが、私は御免だ。大体、売れない傑作などに何の意味があるというのか。雨風を吹かせる事で豊作を祈るのは勝手だが、土地の所有者に許可を得てから降らせろという噺だ。
神仏にとって人など農作物の様なもの。試練を身勝手に与え、連中の自己満足な喝采の為に浪費される消費娯楽だ。農作物に愛情を砕く奴は多いものだが、しかしてその生命を尊重するなど絶対に有り得ない。
所詮、刈り取り腹を満たす為の作物だ。
であれば、毒を持ち神仏を殺すも人の権利だと言えるだろう・・・・・・こんな発想だから連中を敵に回すのだろうと思わなくもないがな。
まあいい。どの道勝ち馬を支援するだけの連中に過ぎない。役には立つまい。足置き程度の役にも立たないだろう。上から偉そうにするだけで、実際に理不尽を克服した事もない連中に、何一つ変えられる理不尽などある筈もない。
実りを出してこそ、その権利が芽生えるのだ。 そもそも生来の作家など非人間のロクでなしでなければ成り果てまい。作家を志すから成るなど哺乳類が卵で子供を産めるようになりたいと口にするに等しい。生憎と種族が違う。
いいか、良く聞け。試練など与えずとも作家に貴様等と同じ世界など存在しない。世界を見るに必要な基準が違い、世界を感じる際の感覚器官が別物なのだ。どうやっても物語の為に全てを売る性悪になるのは明白だ。
苦難を蒸留し酒を造り、酒を燃やして大気汚染を行い、汚染された世界を楽しむ輩が作家なのだと言えるだろう。全身が既に、色も臭いも味までもまみれている。その身が苦難を体現する果実に成り果て、それを絞る事で得られる果汁。
それこそが「物語」なのだ。
要は既に手一杯だ。余所に売りに行け。
私はもう買わんぞ。
絶対に御免だ。賠償金を要求する。私は楽して売れればそれでいい。言葉に力など無く、読者はその場凌ぎで生きるというのが現状だ。
その中で物語なんぞ書いているのだから、それに相応しい金を払え。現実逃避の妄想日記などを書く暇がある自称作家にでも売ればいい。
訪問販売お断り、だ。
持参金を持って来い。二秒は考えてやる。
考えるだけだがな。
とはいえ、それはそれで無ければ困る物らしい・・・・・・科学技術が進歩し生活は豊かになったが、その一方で世界が進めば進むほど、それも豊かな連中に限って無気力症とでも言えそうな脱力状態に陥る事が多い。
例えば、ここに豊かな男が一人いたとする。
その男は仕事、いや労働も順調で何もかも成功を収め、金には困らず女にも愛され端から見れば何一つ不自由が無いように見える。
だが、その一方で「休日にやる事がない」と、そう言い出すのだ。「金の使い道がない」だとか「気力が沸かず何をすればわからない」といった具合で、ただただ向かうべき道筋すら無いままに迷走し続ける生涯を送るのだ。
それを生きているとは言えまい。
それが生きる事なら、私は死人で結構だ。
年中頼みもしないのにネタが降ってきて世界を呪い読者を呪い出版業界を呪いながらひたすらに書き続ける宿業を負った私からすれば、羨ましくはある。仕事もしないで生きられるとは、それ程楽な人生はあるまいに。
何故文句が出るのか不思議だ。
仕事など、得ようと思えば幾らでも得られる。いや無論、生涯を費やして一つの方向性を得て、それを金にしなければならない。以前口にした気がするが、何者であれその方向性を獲得している奴からすれば、例え他の業種を選んだとしても、必ず頂点に立っているという自負があるものだ。 他の道を選ぶ事など有り得ないのだが、しかしその一方で確固たる自負を持つ。
作家の場合は方向性が作家毎に違うので、己の物語が示す某かの表現性に対して、その頂点だという自負を持つのが基本だ。とはいえ、そういう目的意識が無いからといって、何もしたい事が、一つも無いなど有り得るのか?
今までの人生何をしてきたのか。
「それは簡単ですよ。「何もしてこなかった」という事です。人間は怠惰ですから、甘やかされれば幾らでも堕落します。貴方の様に真剣に人生に向き合うなんて、今では「恥ずかしい」行いなのでしょうね」
私は火星にある放牧地域が観光できる、空飛ぶレストランにいた。人間というのはどうしてこう無駄な技術に熱を入れるのか不思議だ。食べ物を空で食べる事に、一体何の意義があるのか。
「わかりきっているじゃないですか。こうして、リッチな気分で食事を味わう為ですとも」
相席に座るのはエリーゼという仲介人だった。人とそうでない者の間を繋ぎ、時には殺人依頼で時には救出依頼だったりする案件を斡旋している便利屋のような存在だ。相変わらず派手な服装をしており、今回は中華風らしいチャイナドレスが黒と紫の趣味の悪い色で輝いている。
料理が運ばれてくるものの、何が良いのか私に分かる筈もない。感性が存在しない私にとっては毎日栄養食だけでも問題はないからだ。あくまで「人間の真似」をしているだけという証左の一つでもある。美味しい物を食べて精神の充足という事にしているだけで、正直毎日軍用の栄養食でも何の不満も持ちはしない。
バランス良く栄養が取れ、健康でいられる。
素晴らしいではないか。
「・・・・・・偶に、貴方って私でもドン引きする様な事を話しますよね」
「何がおかしい。風情を解さない訳ではないが、風情に共感する心も無いだけだ。大体、空を飛ぶレストランに風情などあるのか?」
手をテーブルで組み肘を乗せながら、その上に顎を乗せて彼女はこう言った。
「勿論ですわ。空から下々を眺めるだなんて人間特有の優越感に相応しい玩具です。自分達の方が下々にある何かより秀でている、いえ、違いますわね。自分達がその何かよりも秀でているから、ではなく自分達よりも惨めなそれを見て、哀れみや同情を施す事で「自分達が如何に道徳的な生物なのか」を言い聞かせる。高い所から見下す行いとは、元より自分達が優れた生物であると、そう思い込みたがるエゴから来るものです」
「随分穿った物言いだな。余程人間不信らしい」「貴方にだけは、言われたくありませんわ」
残念な物を見るかのように、肩を落としながらエリーゼはそう答える。何故だ。最近私は貴方にだけは言われたくない、という台詞を割と何度も聞いているのだが、私個人は自分の事をそこまで大層な悪人だとは思っていない。
そうだとしても、何も支払わないが。
「そこが貴方の最悪たる所以ですよね。貴方は、本気で自身を「そこまで大層な存在じゃない」と思っている。けれどその一方で人間の分を越えた悪意、いえ思想を以て世界を覆そうとし、そこに人間特有の倫理や道徳を一切持ち込まず、何一つ躊躇せずに平気で死線を踏みにじる」
「それがどうした。別に普通の事だろう?」
だが、どうも彼女には納得がいかないらしく、エリーゼは居たたまれない様な顔をし、手慰みなのかワインを右手で揺らしながら「それが普通なら、人類はとっくに滅んでますわ」とだけ答えた・・・・・・割と真っ当な事を言ったつもりなのだが。「いいえ、貴方のそれは異常です。言葉は無力と貴方は仰りますが、まさかでしょう。その言葉で何度も王朝は滅び、人類史は書き換えられ、戦争すら起こされたのです。正直、貴方を危険視する気持ちも、わからなくはありません」
肩を落としてそこまで言われる覚えは無いが、とりあえず私は、
「それこそ馬鹿な噺だ。言葉そのものよりも権威に力があっただけだろう」
「いいえ、弱者と呼ばれる人達でも、一つ二つのかけ声一つで反乱を起こすものです。貴方自身、そこには気づいておられるのでしょう? もし、貴方の物語が中々売れないのであれば、それは、もしかしたら世界に危機をもたらすからかもしれませんね」
「・・・・・・漫画じゃあるまいし、あるわけがない」 本一冊でそこまで世界が動くものか?
第一、書いたのは私だぞ!
見る目がないとしか言いようがない。
「どうでしょう? 蓋を開けてみなければわかりませんよ。少なくとも貴方の悪意は稀、いいえ、今まで人類史で類を見ない物です。非人間である事を誇りとし、悪意だけが世界と語り、人間性や魂の有り様を丸ごと否定する。これほど最悪だと評するに相応しい物語もありません」
「嬉しくない。売れればそれでいいのだがな」
「それも嘘でしょう? 貴方の物語には、確かに確固たるテーマがあります。売れればそれでいいと語る反面、貴方は世界を諦めきれない。人間に見切りを付けても、語るべき事柄に嘘をつけず、だからこそ不器用な物語を語っているのです」
「尚更売れて欲しいものだ。何にしろ売れないのであれば存在しないのと変わらない。貴様の言う影響力など有りはしないが、金は必要だからな」「けれど、貴方は物語で世界を覆すつもりだと、そう書かれていましたが?」
ああそれか、と私は飲み物(茶だ)を飲み干し一呼吸休んでから「私の豊かさのついでにな」と答える。いい茶だ。金さえかければ美味いのは、茶でもワインでも変わらないらしい。人間世界の良い所は、金を肯定するが故に、鐘さえあれば、それが人間そのものでも手に入る点だろう。
売れる物なら、何であれ売っている。
良くも悪くも、便利な時代だ。
「興味が無いからこそ成し得るというのが貴方の持論でしたね。見たところ本当に興味がなさそうですが、本当にどうでもいいのですか?」
「当たり前だろう。人間社会に生きているという実感が無い奴に、社会への興味などあるものか。それこそどうでもいい些末事だ」
強いて言えば、少しでもマシになれば私が楽な生活を出来るだろうというだけだ。
それ以外に何がある?
「・・・・・・そんな理由で、よくそこまでの行動力が持てますね」
やはり呆れたように、エリーゼは答える。
何故だ。
これこそ最重要事項だろうに。
「当たり前だ。保身以上に大切な事など、作家にあるのは執筆のネタと売り上げくらいのものだ」 私の場合は売り上げが最優先だ。
保身には売り上げが含まれる。己の充足だけでなく豊かさもやはり必要だ。
金、金、金だ。
世界は金で出来ている。
「あら、でしたら貴方も金の為に誇りを捨てたりするのかしら」
「金とは手段だ。何者であれ、誇りを買う為に金を使う。その誇りを売るのでは本末転倒だろう」「どうやらお金に対する在り方を弁えてるご様子です。では、安心したところで今回の商談を始めましょうか」
言って、皿が下げられたテーブルにエリーゼは資料を取り出した。
「はい、今回の依頼内容ですが・・・・・・
ズバリ、星を打ち落として欲しいの、デス!
さあ、お仕事でじゃんじゃん稼ぎましょうね」 やれやれ参った。今回も面倒事が多いらしい。 私はため息を付きながら、エリーゼの話を聞き物語が売れない故の悩みを逡巡させつつ、話半分で聞く事にした。
「いや、ちゃんと聞いてくださいよ!」
そのノリには付いていけなかったが。
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例の記事通り「悪運」だけは天下一だ!! サポートした分、非人間の強さが手に入ると思っておけ!! 差別も迫害も孤立も生死も、全て瑣末な「些事」と知れ!!!