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雑記集

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雑草という名前の草はない。 雑記という名前の記事もない。
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#演奏

記帳してわかった体調管理のこと

記帳してわかった体調管理のこと

5年間つかえる手帳に、毎日音楽のことを記しています。音楽のことって、それは一体どんなことかといえば、体調管理のことです。僕は楽器の演奏や歌唱をするのですが、体調が良くないと、それらをじゅうぶんに楽しめません。録音は進みませんし、人前での本番だったら、つらくてもなんとしてでも乗り切らないといけません。いかにすれば毎日よい体調を保ち続けられるかが、最大の関心事なのです。

ですので、手帳に、この日

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リハのリハ

リハのリハ

なにかを始めてみることで、問題点がわかる。はじめてみたはいいけど、うまくいかないとなった場合、とにかくやってみたことで、その原因がわかるかもしれない。

僕は、あたまで考えたけど実際に動き出せない、ということが多いのです。そのことをここで、あえてポジティヴにとらえてみます。それは、現状を把握する分析・観察能力、未来の予測力が高いのでは?ということです。現在のじぶんをとりまく環境、現在のじぶんに

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音楽大学の生活

音楽大学の生活

僕は、東京音楽大学というところに通っていました。音楽大学には、各地から音楽を志す人がつどいます。

それぞれの出身地域では、神童と呼ばれうるような扱いをうけていたかもしれない人も、ひとつ(ないしはふたつ、みっつ…そう多くはない数)の大学に集中すると、神童といえるほどに特別な存在ではなくなります(おのおのの地方に帰れば、相変わらずの状況が続いているかもしれませんが)。そう、どいつもこいつも、演奏

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プレイヤー・キャラクター

プレイヤー・キャラクター

ぼくは作曲をして、その演奏の録音をします。決めたとおりのアレンジの演奏が録音できるまで、失敗を繰り返します。その過程でだんだん成功に近づいていって、最後には「ま、こんなもんでしょう」という「ベスト」を決めて、おしまいにします。そうしないと、終わりません。「ベスト」のテイクを決められたら、要はゲームクリアみたいなものなのです。そう、ゲームに似ていると思うことがあります。

穴に落ちたり、敵に触れ

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黙殺と音声

黙殺と音声

萩原朔太郎の詩を読んでみたのですが、なんだかよくわからず、ピンと来ないなぁ、いまのじぶんにはまだ早いのだろうかと思いました。

そこで、わたしは音読してみることにしました。言葉という記号を認識して、子音と母音をつくって発します。音波になったそれが、反響してかえってきます。お? なんだか、作品をじぶんが理解しているかは別として、ぼくはいま肉体で詩をとらえているのではないかと思えたことがあります。

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バスケとラグビー

バスケとラグビー

高校生のときに、体育の授業でラグビーを経験しました。それを経験といっていいのかと自問すると、ちょっと足りないような気もします。それくらいしか、僕はラグビーに関わる経験がないのです。

いっぽう僕は、バスケットボールを小・中・高校生と、授業やら休み時間やらにさんざんやりました。走って、跳んで、大きめのボールをリングに通すというシンプルなこの競技がそこそこ好きでした。ですが、この競技で遊ぶようにな

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大丈夫、できるから、行け。

大丈夫、できるから、行け。

生まれたばかりの小さな赤ちゃん。その子が、20年かそこらして、筋肉も骨格もたくましい大柄の大人になるところは想像しがたい。しかし、その光景が実現する可能性はある。ありえないことじゃない。「信じられないねぇ〜」なんて言いながらも、実際にそんなことになったとしたら、ぼくはその事実を笑って受け入れるだろう。幼いときのぼくを知っている親戚のおじさんやおばさんが、いまのぼくを目の前にしながら「しろうちゃん(

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しろうとの詩

しろうとの詩

僕が十字架か棺桶かのように背負っているように我ながら感じてしまいがちでいることのひとつが、器用貧乏ということです。

むかしからたいていのことは、それなりにできました。なんてじぶんで言うのは恥ずかしいことかもしれませんが、できたんです、たぶん。だから今こんなことを思うわけです。

幼い頃からピアノをやっておりました。ばつぐんには弾けないけれども、からっきしダメでもない。練習が好きと言うほど

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梅ノ雨

梅ノ雨

カレーを無心になってつくることがたまにある。スパイスの調合からはじめて、もろもろの下ごしらえをしたりなんかしていると結構な所要時間になりもする。考えながらやっていることのようにも思うけれど、いや、これはやはり無心になっているというのがふさわしい……と、ここでは言っておこう。

僕は作曲をして、その演奏を録音したりもするのだけれど、その作業も、考えているようでいて「無心のたまもの」であるような気

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現実のバッターボックス

現実のバッターボックス

僕は、曲を書いて演奏や歌唱をする活動をしています。ですので、いい曲を書き続けていくことを、おのれの命題のように思っているところがあります。いい曲が書けたときのことを必死で分析し、そのときの状況や手順を意図的に再現すれば、またいい曲がかけるはず、などと思いがちなのですが、その再現を試みて再びいい曲を書けたためしがありません。いい曲を書けたときは、いつも、運が良かっただけだとか、たまたまだとか偶然だと

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起床転尻

起床転尻

格闘技のテレビ放送なんかを、むかし実家でよく観た。大晦日に「K-1」を放送するのが恒例だった時期が僕の10代の頃にあった。ボブ・サップを日本で有名にしたのが、その放送だった。夢中になって観たものだ。

ピークは、下降のはじまりでもある。どんな最強の格闘技の選手も、かならずその強さは衰える。まだまだ強くなるとき、そこはまだピークではない。

僕は楽器の演奏や歌唱をする。今日はどうしたんだろう

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またたきのスケール

またたきのスケール

飛行機が飛ぶのは、翼の上側と下側の空気の流れるはやさの違いによって、翼が上側に引っ張り上げられるからだ……という説明で間違いがないか不安であるが、おそらくそんなようなことなんだろうと思う。

大きな質量を持った物体が空を飛ぶことなんて、発明されるよりずっと前にはにわかに信じられないことだったはずだ。その背景には、飛ぶことを目指して地面を一歩ずつ進んだ道がある。

魔法みたいなことが現実に起

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挑戦の価値

挑戦の価値

僕は、4歳の頃に初めてピアノの発表会に出て演奏したそうです。そのときの記憶はありませんが、自分の母親からそのように聞き及んでいます。それくらい幼い頃から、演奏するという行為を当たり前のようにやってきました。それでも、人前で演奏するときには、今でも緊張することがあります。

緊張してしまうときの僕は、失敗することが怖いのでしょうか。失敗しうる完成度だということは、練習が足りないのだともいえます。

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僕の実験レポート

僕の実験レポート

じぶんという存在は、もっとも身近で対話が可能な自然です。からだをつかった、ひとにお願いできない実験ができますね。なんの決議も合意形成も要りません(強いていえば、「じぶん企画会議」のようなものを通す必要がありますが)。その実験自体が、たのしい遊びにもなりますね。

運動だとか食事だとかいった、評判の健康法も、おのれのからだですぐに試すことができます。ビジネスや日常生活を助けたり、その負担を軽くし

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