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プレイヤー・キャラクター

ぼくは作曲をして、その演奏の録音をします。決めたとおりのアレンジの演奏が録音できるまで、失敗を繰り返します。その過程でだんだん成功に近づいていって、最後には「ま、こんなもんでしょう」という「ベスト」を決めて、おしまいにします。そうしないと、終わりません。「ベスト」のテイクを決められたら、要はゲームクリアみたいなものなのです。そう、ゲームに似ていると思うことがあります。

穴に落ちたり、敵に触れたりしないようにゴールを目指すゲームがあったなぁと思います。本体をテレビにつないで、画面を見ながらコントローラーを操作して遊ぶ家庭用ゲーム機のソフトで、オーバーオールと帽子を着用したひげのおじさんが主人公の有名なゲームです。

学校では、試験があります。試験がない学校もどこかにあるかもしれませんが、まあたいてい、試験があるでしょう。勉強して、その学習成果や習熟度を問われ、試されるのが試験です。これも、ゲームに似ています。

仕事だって、そんなところがあるでしょう。お金をもらう代償として、なにかしらのものを差し出すのです。定時を迎えさえすればたいした成果が出せなくてもとりあえずやり過ごせてしまう、「仕事してない」風な仕事も世の中にはあったりなかったりするのでしょうけれど、たいていは求められる何かしらの成果を差し出して、「ゲームクリア」となるのが仕事です。

いろいろと、ゲームに見立てちゃえるなぁと思うのです。ゲームに見立てちゃえば、何をやっていても、ずっと「遊んで」いられんじゃないかなと思います。苦しんでやるのか、楽しんでやるのかが、「これもゲームだ」という思い込みひとつで分かれる場合があるのだとしたら、すすんで思い込むのが賢明かもしれません。

ゲームは、試合と訳することもあるでしょう。試合にともなって生まれるのが、勝者と敗者です。仕事の成果として「試合への勝利」が必須とされる場合が多いかもしれませんが、なかには「試合への参加」それ自体がクリア条件とされている場合もあって、負けても報酬が得られる場合もあるようです。あるいは、決着がつかないまま長引き続ける場合というのも多々あって、その過程で小分けに報酬が得られ続ける仕事もあるようです。

ひとつのゲームの中にもたくさんのステージがあって、あるステージをクリアしてもまだまだ先があったり、今いるステージを含んださらな大きなまとまりが新たに出現したり、あるいはこちらのとらえ方ひとつでゲームはより広大でマクロなものになるでしょう。

だから、ずっと遊んでいるようなものなのです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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