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#人生
死ぬことすらできない辛さ 15 〜退院当日 後編〜
昨日は結局看護師達が帰った後30分くらい寝たのかな。
久しぶりの夫との晩ご飯。
私の食事は高カロリーの補助食品にとろみをつけたもの。
100mlも食べればお腹いっぱい。
高カロリーの補助食品は甘いけど美味しくはない。でも、それ以外に食べて良いと言われた物がないからそれを食べている。
同じ味だから飽きちゃうので、今度似たような豆乳ドリンクにとろみをつけたら食べても良いか聞いてみよう。
夕
死ぬことすらできない辛さ 10 〜意識不明〜
食べることを楽しむ私は入退院を繰り返した。繰り返しながらも、それはそれで割り切って生活していた。
きちんと食べていたし、水分補給もきちんとしていた
それなのに、脱水症で入院することになった。
暑い日が続いたと思うでしょ?
違うの。冬なの。
入院する所までは覚えている。
でも、それからの記憶が全くない。
夫や医者、看護師さん達の話によると、どうやら10日間意識不明の状態だったらしい。
死ぬことすらできない辛さ 9 〜それでも外出する〜
首が安定しない状態でも外出は控えません。
だって、日常生活に変化や楽しみがないのだからたまには刺激が必要でしょう。
自家用車はもちろん福祉車両。
車のタイプは秘密。
運転するのが夫のため、夫が欲しいと思ったタイプの車を福祉車両にして購入した。
と言うか、そこだけはどうあっても譲ってもらえなかった。
福祉車両であり自家用車でもあるので仕方ないけど。
後部座席に車椅子がそのまま入るタイプだと運転
死ぬことすらできない辛さ 4 〜発症して5年〜
発症してどれくらいかは忘れたけど、足先に力が入らなくなった。
おかげでスリッパがすぐに脱げるようになったのは覚えている。
躓きやすく転びやすいのにスリッパを履くなとのツッコミは受け付けておりません。
2〜3年もすると徐々に脚に力が入らなくなった。
壁やタンスにもたれて掴まりながら歩く。
よく転んでおり、家の中を這いずって移動することもあった。
寝室は二階にあるため、起きてお弁当や朝食の準備で
死ぬことすらできない辛さ 3 〜決意を胸に〜
結婚生活も早3年。
いつもと変わらない毎日を過ごしている。
休日は家にいることが多いけど、久しぶりに旅行に行った。
温泉旅館に泊まってゆっくりとして帰ってきた時、段差のない所で躓いた。
楽しい旅行も帰って来ると疲れが出る。
そう思って気にしなかった。
しかし、次の日も躓いた。
その次の日も
嫌な記憶が蘇って来た。
兄も同じようによく躓いていた。
医師から検査をするように言われていたの
死ぬことすらできない辛さ 2 〜複雑な結び〜
兄は相変わらずよく転んでいるけどご飯は自分で食べられている。
急激に筋力が低下する訳ではないけど、母は兄の世話をする覚悟を決めた。
医者に言われたことを忘れることは出来なかったけど、今を楽しく精一杯生きていこうと思うようにした。
お酒の飲み比べでは負け知らず。
煙草も吸った。
大きな声では言えないけど、クラブで踊った後に彼氏以外の男と楽しんだりも。
ふふふ・・・
もちろん旅行にもよく行