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#短編小説

【小説】紫陽花の道

【小説】紫陽花の道

 休憩室の窓を開けても、隣の薄汚れたビルの壁が見えるだけ。空なんか見えない。それでも生ぬるい風が微かに流れて、窒息しそうな苦しさは少し和らぐ……ような気がする。だから私はいつも、休憩時間中いっぱい、窓を開け放つ。

 社割で買った鳥そぼろ弁当を食べていると、休憩室のドアからチーフが顔を出した。
「高崎さん、休憩14時までですよね? 今、ちょっといいですか。あ、全然、食べながらでいいんで」

 私た

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「短編小説」聖母マリアは死なない 3

「二人じゃ足りない」

保証人を立てなくても借りられる安アパートに帰って実花は考えていた。
トイレと風呂が一緒になった狭いユニットバスルームで焦げ臭くなった髪を洗い流す。
自殺しても死ねないなら、自分を合法的に裁いてもらおう。日本で確実に「死刑」になる為には二人では足りないだろう。
では、どうしたらいい?
風呂から上がると実花は小さなテーブルの上にパソコンを開いた。

日本で最悪の死刑囚と言われた

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SS【転生先生】♯毎週ショートショートnote

SS【転生先生】♯毎週ショートショートnote

お題「優先席の微世界先生」

【転生先生】(410文字)

先生は極小人である。
この腐った世界を救うため、平和な微世界から転生されたのである。
私は現世で先生をサポートする役割を担っている。

先生は微世界人なので、その姿はかなり小さい。それ故、先生のために私は腕時計の中に執務室を作り、ふかふかの優先席まで設けた。
ソファに優先席と名付けたのは、先生がこの世界で一番気に入ったシステムの名称だから

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クリスマスの落とし物 

クリスマスの落とし物 

 十二月二十五日、僕は、言葉を拾った。
 
 クリスマスのその日は、午後から雪が降り始めた。テレビでは、ホワイトクリスマスになってロマンチックだ、とかなんとか言っていたけれど、僕には関係のないことだった。
 恋人はいない、友達はデートの約束で忙しい、おまけに冷蔵庫が空っぽのクリスマス。
 僕は食料を買うためだけに外出した。コートのポケットに両手を突っ込んで、近所のスーパーへと俯いて歩いた。白い雪が

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【短編小説】始まりの日に

【短編小説】始まりの日に

 寒い。まだ十月の中旬だというのに、もうすっかり冬の匂いがする。通り過ぎる人達は厚手のコートに身を包み、早足でこの寒さから逃げるように歩いている。テレビでは今日はぽかぽか陽気だとか言っていたのに、駅を出た頃には天気が急変して空を雲が覆い、冷たい風が強く吹いてきた。真新しいリクルートスーツを着ているだけの高羽陽は、身を震わせながら自宅へと歩いていた。
 テレビなんかを信じて羽織る物を何も準備しなかっ

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「ショート」12月のバラード#「シロクマ文芸部」

「ショート」12月のバラード#「シロクマ文芸部」

十二月が来る。
十一月が終われば十二月になるのは当たり前だ。
でも俺にとって十二月は一生忘れられない月なんだ。

あの年の12月 
俺はまだ大学の2年生で将来の進路も決められないまま文学部なんて、つぶしのきかない学部で学生生活だけを謳歌していた。
文学部のいいところは、女子の比率が圧倒的に高いことだ。御多分に洩れず俺はクラスの中でかなり可愛い部類に属する葵という彼女が出来た。入学して間もない頃から

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十二月の桜 (短編小説)

十二月の桜 (短編小説)

十二月に入り、年寄りたちは騒いでいる。
敷物はあるか、酒は熱燗にしろ。火鉢を運べ、毛布も数枚あったほうが良い。とにかく大騒ぎだ。
そんなに寒けりゃ、わざわざ外になんて集まらずに、暖かい家の中で世間話に花を咲かせりゃあいい。それでも、皆各々分厚い上着を着て外へ出ていく。

いつからか、と言ってもここ十年ほどだが、十二月に桜が咲くようになった。
初めて咲いた年のことを、正直よく覚えていない。その頃、ま

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生きていく人たちの物語

生きていく人たちの物語

フォローさせていただいている菅野浩二(ライター&編集者)さんによる短編小説集『すべて失われる者たち』が出版された。

以前から、noteに執筆されていた短編小説たちを拝読していた。

重苦しい描写があれば胸がぎゅうっと縮こまるように感じるし、やりきれない心情を描いた場面ではため息が出てしまう。いい意味で心に波を立てる文体と表現にいつも「ああ、筆力ってこれなんだ」と思っていた。

今回出版された『す

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【SS】沈んで、浮かぶ(3981文字)

【SS】沈んで、浮かぶ(3981文字)

 宮古島の食材をふんだんに使用したフルコースを前に、新婚旅行の最初の晩、琴音は静かな絶望を味わっていた。この先、目の前で黙々と咀嚼を続けるこの夫と、気の遠くなるような年月を添い遂げなければならないのか。
「……海ブドウってこんなにプチプチしてるのね。美味しい」
「うん。海ブドウは美味しい」
 夫の優人は一世代前のロボットのように同じ言葉を繰り返した。琴音は一瞬、呼吸を止める。溢れ出そうなため息を閉

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【掌編小説】星降る夜に

【掌編小説】星降る夜に

「わたしね、1年の中で今が一番好きかも」

 ふとした拍子に彼女はそうつぶやいた。なんで? という疑問の言葉を僕が発する前にひゅう、と冷たい風が吹きぬける。僕は悪寒と共に言葉を飲み込み、ぶるりと震えて首元のマフラーを巻き直す。

「寒い?」

 僕の隣を歩く女友達の芹沢悠香がこちらに目をやって気遣わしげに聞いてきた。いや大丈夫、と言おうとしてくしゅん、とくしゃみをしてしまう。強がる気持ちとは裏腹に

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【散文詩】蝶【掌編】

【散文詩】蝶【掌編】

貴方がわたしの指に結んでくれたのは、蝶の形をした願いだった。小さな宝石のような模様を抱いて、蝶はわたしの指に棲みついた。流れる甘い血は吸い上げられ、指は鱗粉に塗れてかさついた。蝶はそれでも肥えない。痩せた願いだけが、貴方がいなくなった後も残り続けた。

いつまでここにいるつもりなの。わたしは蝶の薄い翅を摘んで訊いてみる。さぁねぇ、と応えが返る。指は歳をとる。皺の間深くまで鱗粉が入り込んで、皮膚と同

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Calling

噂に聞いていたとおり、大通りから少し外れた住宅街の片隅に、その電話ボックスはあった。

そこはまるでぽっかりと穴が開いているような、街の死角のような空間になっていて、私もあらかじめ場所を聞いていなければ、そこに電話ボックスがあることに気がつかなかっただろう。私は通りの反対側からあたりを見回して、人がいないことを確かめる。悪いことをしているわけではないはずだけど、なんとなく誰かに見られたくはなかった

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歌うクジラ

歌うクジラ

覚えているのは、煙草の匂いと、弦を爪弾く音。

「クジラの死因ってさ、ほとんどが溺死らしいよ」

一戦交えた後のベッドの上で、重ねた枕にもたれてくわえ煙草でスマートフォンをいじりながら良介がこちらに話しかけてくる。ふーん、と手鏡を覗き込んで崩れた化粧を直しながら、気怠さの残る体でわたしは気のない返事を返す。

壁紙がうっすらとヤニで黄色くなったアパートの狭い六畳間には先ほどまでの熱気と湿気がまだこ

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【短編小説】派手な傘

【短編小説】派手な傘

微かに聞こえる音が心地よくて、耳を澄ませる。

部屋の中で聴く雨音が私は好きだった。

「ねえ、和葉ちゃんー……」

下の階からの母の声が邪魔をする。

母が私をちゃん付けするときは大抵面倒くさい用事を押し付ける時だ。

「駅までお兄ちゃん迎えに行ってあげてくれない?」

やっぱりだ。どうして高校生にもなる兄の迎えに行かないといけないのか。母の過保護ぶりには呆れてしまう。

「なんでよ」

「雨降

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