#日常
滲み出るものは嘘じゃないから
言葉で伝えられないってことは自覚してないってことだと思っていた。
言葉はいくらでも嘘を吐ける。言葉はいくらでも取り繕うことができる。それに比べて行動は嘘を吐かない。
そう言われることは知っていて、それが現実になることがあるってことも知っていて、でもその上で、行動はサルにでもできるけど言葉を尽くせるのは人間だけなんだから、言葉で行動の意図を伝えたり、伝えた言葉を嘘にしないよう行動すればいいのに、
あこがれが思い出に変わっても
日本に帰ってきて、朝ごはんが クロワッサン から 食パン に変わった。食パンは焼いて、お土産に買ってきたエシレバターとヌテラ(ヘーゼルナッツとチョコのスプレッド)を塗って食べている。
パリが私に与えた食いしんぼう魂は帰国後も消えてくれなくて、毎晩ひとりでバリバリ食べていた『LU』というメーカーの板チョコが載ったクッキーを、日本でもおやつによく食べている。帰ってきてから2週間で、もうなくなりかけ。
ことばで日常を彩りたくて
noteを始めて1年と8ヶ月。
便宜上、自分が書くものを「 #エッセイ 」と読んできたけれど、私が書くものは自分の頭の中でおこなわれている脳内会議を文字起こししたようなものが多い。自分を伝えるための文章で、「#議事録」・「#意見文」・「#思い出記録」・「#頭の中」、などと呼ぶ方が適しているような気がしていた。
「#エッセイ」はもっと穏やかで、やわらかくて、日常や感情を言葉や表現で魅せるもの、詩
がんばってきて、よかった。
「がんばってよかったことなんかあるのか?」
がんばったからこそ得た結果の方はいつだって輝いている。大切にしたいと思う。
でも、がんばればがんばるほど、がんばることは悪いことじゃないはずなのに、
「意識たか〜」
「なにマジでやってんの?笑」
と煙たがってくる人がいる。
そしてそんな人はいつも、決まって、クラスや部活を仕切っている、影響力のデカいパリピだ。
パリピの全員が全員そんな人だと