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過ぎゆく日々に光をさして


来年パリに行くことに決めてから、日常を豊かに過ごすか、非日常のために豊かさを残しておくか、ということについて考えを巡らせてしまう。


何かのタスクを処理するとき、光差し込む大学の廊下でこなすのもいいけれど、ちょっぴり贅沢してスタバでパソコンを広げていたい。お昼は友人が一緒のときや、お気に入りの若鶏のしょうゆ揚げが出ているときならば、学食で食べたいとも思うけれど、ひとりならセブイレやカフェで食べたいと思う。午後イチは眠たいからコーヒーが欲しくなるし、帰り道にはちょっぴり寄り道をして、そこで見つけたものを買ってみたりなんかしたくなる。


だけど日常でそんなことをしていたら、1つ1つは大したことがなくとも、大学生のお財布なんてあっという間に空になってしまう。非日常のショッピングで見つけた運命の1着なんて買えなくなってしまうし、友人や彼と飲みや遊びにも行けなくなってしまう。それ以上に、パリ行きなんて本当に絵空事になってしまうだろう。そこが"大学生"の憎いところだ。だけどやっぱり私はパリに行ったら、移動や観光にお金を使うだろうし、お土産もたくさん買いたい。食事だって毎日とまでは言わずとも、本場のフレンチやスイーツを食べたいし、服だって買ってみたい。


臨時収入が入ってきてからのお金の使い方を振り返ってみると、飲み会があったこともあり、かなり使っている。この"かなり(お金を)使った月"によると、私はおそらく6万円ほどを稼いで3万円を貯金、その貯金をパリ行きの費用に充て、残り3万円ほどをその月に消費するライフスタイルくらいがちょうどいいことが判明した。


今はその約半分しか稼げていない。大学の最寄り駅のセブイレでバイトを募集していたことを思い出し、そろそろバイトをもう1つ増やそうかと悩む、そんな日々。



モーニング と ランチ


先週のバイト終わりに父と母と私でカフェにランチに行ったことによって、父と母は"ランチ"にハマったらしい。今日もバイト終わり、家族でカフェにランチに行った。今回は妹も連れて。

なぜ、朝食や昼食を、家でなく外で食べるというだけでこんなにも心が躍るのだろう。きっと、生きるために作って食べる、家での食事と違って、楽しむために作られたものを食べるのが外での食事だからだろう。

モーニング、というものの存在を知ったのは、家族でディズニーへ行った時に、ホテルから徒歩1分のところにあるコメダ珈琲を訪れた時のことだったと思う。店を訪れる時間が朝である、というだけで、ドリンクに分厚いトーストとゆでたまごが無償で提供される。なんてお得で贅沢なことなんだろう、と思った。ちなみに+130円ではちみつ入りのヨーグルトをつけるのが好き。以来、私はコメダのモーニングが世界一好きで、コメダ以外のところも含め、隙あらば朝から外へモーニングを食べに出かけたいと願っている。

おかげで最近は、家で食べる朝食を少しでも"モーニング"に近づけたくて、最近は焼いた食パンにマーガリンを塗ったあと、ハムを乗せて半分に斜めカットを入れている次第だ。

コメダ珈琲のモーニング

ランチ、は、にしむら珈琲のシシリアンセットで知った。キューブのような食パンの中央に穴が開いていて、シチューのようなものが入っている。セットでサラダとコーヒーがついていて、空間もゴージャスで、ゆったりとした優雅な時間を過ごすことができる。

にしむら珈琲に限らず、友人や彼と遊ぶときには大抵ランチタイムを共にすることになるので、ランチセットには馴染みがある。

だけど、遊ぶついでの腹ごしらえとしてでなく、ランチタイムを過ごすためだけにランチを食べに出かけに行くというカフェ時間に格別の満足感がある。

もちろん記念日に食べるディナーやビッフェ、ムードあるバーやバルも好きだけど、あくまでカフェという身近さや、「モーニング」「ランチセット」であることで安くなるお得感、日常と非日常のはざまにある、ささやかな贅沢感が、私がモーニングとランチに感じる格別の満足感の理由なのだと思う。




ワードローブ


服も化粧品も靴も、新しいものを買ったらそればかり身につけてしまう。

新しく買ったものをどうしても身につけたくて、雨が降ったり、買った服と合わない気温が続くと天を恨んだりするのは、私だけなのだろうか。

着ていく曜日と組み合わせを変えてきてみるけれど、2週間くらいしたら「あれ?これこないだも着て行ったな」と思ってしまって「服ないなぁ」なんて心の中でボヤく。

そこから1週間ほど経って、新しい服が慣れてきた頃に棚を見てみると、昨年までの服たちが入っている。そして洗濯カゴに入れたものが帰ってきてたら、昨年のお気に入りとかを掘り出してきて着てみて、「なんだ、案外色々あるじゃん」と思うのだ。



ヘアスタイル


ずっと水泳をやっていた影響で、シーズンが終わる秋にショートかボブくらいに髪を切り、冬・春・夏の中で肩くらいに髪が伸び次第ポニーテールにし、翌年の秋に髪を切るサイクルを回してきた。春や夏に切ってしまうと、シーズン中に伸びる髪の影響を受けて、スイミングキャップの髪の収まりが悪くなってしまうからだ。ここ数年は成人式の影響でサイクルが狂いつつあるけれど、夏は髪が降りていると暑いこともあり、夏以外で髪を切るサイクルはこれからも続きそうだ。


そんな私が、近頃 髪を下ろして通学することが増えた。

その理由はYOLUというシャンプーとの相性が良すぎて、髪がトゥルントゥルンのサラッサラになることにある。右は綺麗な内巻きなのに、左後ろはすぐにハネるというウザい私の髪癖を知らない友人に、「ドットちゃんの癖っ毛、内巻きっぽくて理想〜!綺麗〜!」と言われるたびに、「なわけ」とゲンナリする癖っ毛を持つ私は至極単純な人間なので、ロングのストレートに憧れがあるため、髪の調子がいいとすぐに調子を乗って下ろしたくなってしまうのだ。

長年、松潤がCMをやっていたことと、名前が上品なフランス語ということから、シャンプーとリンスはJe l'aime(ジュレーム)を使っていた。(ちなみにJe l'aimeは仏語で大好きです、の意)

そのシャンプーのストックを切らしていた少しの間、妹が使うのをやめたYOLUを使ったという経緯であった。まさしく運命の出会い(黙れ)。

そんなわけでジュレームからヨルに浮気しようかと悩む、今日この頃。







不思議なことに、パリに行く、と決めてから、この地を離れることを意識して、就職で東京に出ることを思って感傷的になったりして、日本の、関西の、地元の風景を1つ1つ、目に焼き付けるようにして生きるようになった。

noteでホンモノのエッセイを綴るために身につけた、目で見て、耳で聴いて、肌で触れて、鼻で匂って、口で味わって世界を感じ取る力で、私が育った地のなんてことない空や、住宅街の空気感、いつでも来られる近所のスーパーの装飾や近所のカフェのコーヒーを感じ、スマホのカメラで丁寧に切り取るようになった。


そんな調子で、社会人になって地元を離れるまでの1年半、これまで当たり前だと思っていた日常の風景を、ちょっぴり深く、愛してみようと思う。


















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