セレンディピティ

セレンディピティっぽい。文章においてそのように感じてもらえるようになるとnoteを始め…

セレンディピティ

セレンディピティっぽい。文章においてそのように感じてもらえるようになるとnoteを始めた意味がはっきりとしてくるのかなと思います。一応ノーコンテンツというジャンルであると認識していただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

記事一覧

予定変更の極意のさわりの部分

 それなりに歳を重ねると思い通りにいかないことなんて山ほどあることを体が覚える。などと何か達観したようなことを書いてみるが、そんな風に思えるようになったのはつい…

今日は何を書こっかなあ

 何やら気まぐれで適当なハッシュタグを選んで、今こんな気分、てなことを書きだそうとしているのだけれど、実にどんな気分でもない。  厳密にいえばどんな気分でもない…

風呂上がりの汗ばんだ時間に

 極力何も起こらない。なるべく少ない変化であってほしい。  無意識にそんな風に考えていることが多いように思う。    表現が極端になったせいで誤解を招くのは良くな…

自動車と自転車と映画館

 今日という日は愛車の初めての車検である。愛車、という呼び方はいささか大層な気がするが、気に入って乗っているし、広い意味でなら愛着もあるし、もちろん粗末に扱う気…

科学的な非科学的なものたち

 お化けだとか幽霊だとか前世だとか、現在の科学と照らし合わせるとおよそ非科学的と呼ばれる類のものを信じるか信じないか論争の中に身を置くことを僕は好まない。  ま…

僕の休日

 旬というものは割と大切な考え方であると思っている僕である。  全国民にとってゴールデンなわけではないのだろうけれど、それでも何となく今年はそのゴールデンに乗っ…

たようせいのひつようせい

 カテゴライズということにとても無機質で寂しい印象を受けるときがある。  また一方でカテゴライズすることの便利さとパズルのピースがうまくはまった時のような気持ち…

折衷の可能性

 昨今ハイブリッドという発想が便利に使われているように感じる。  ハイブリッド自動車の出現でそのイメージに引っ張られているところも大いにあると思うのだが、ハイブ…

吹奏楽部

 高校時代の思い出、という言葉の塊は僕にとってイコール部活動であった。比喩でも誇張でもなく部活以外の思い出は殆ど思い出せない。    吹奏楽部。いろいろなクラブ活…

始まりを終えて

 今月の振り返りを書き始めている今は4月30日の午後7時半である。この記事を投稿するタイミングが5月に突入していようとも、今この瞬間の日時がこの記事において有効とな…

好きとか嫌いとか学びとか

 大きな変化がある時期というのは、一つの時間の中に色々なことが凝縮されている可能性が高いわけで、何かを学ぼうとする姿勢でいるものにとってはその材料に満ち溢れてい…

ふつう

 これまで僕が他の媒体で発信するときや誰かと話すときに、極力自分の嫌いな物、人、の話は避けるようにしてきた。  嫌いなことを伝えることは特にダメなことだとは思っ…

こーしーの話

 大学生の頃、コーヒーに凝った時期がある。  以前別の記事でも少し触れたような気がするが、道具にこだわり、豆にこだわり、挙句の果てには生豆を焙煎しようというとこ…

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すって~ はいて~

 ストレスの解消にはどうやら「出す」という行為が随分とカギになっているらしいということを何かで目にしたことがある。  一口に、出す、と言ってはみても実に様々な、…

すたーてぃん!

 我が家は、というよりも僕はこの春から随分と生活のリズムが変わった。  大仰に言えば僕を取り巻く環境が変わった、ということであり、それに伴って自由に使える時間や…

ほりでぇ

 朝起きて、何となく今日はこういう一日になるんだろうなあとイメージしたことと、その一日が終わってみると全く違った一日になっていることは本当によくある。  特に休…

予定変更の極意のさわりの部分

 それなりに歳を重ねると思い通りにいかないことなんて山ほどあることを体が覚える。などと何か達観したようなことを書いてみるが、そんな風に思えるようになったのはつい最近のように思う。
 
 思い通りにいかない、というよりも上手に予防線を張ることを無意識にやっているのかもしれない。
 期待しない、と言い換えることもできるだろうか。
 若い頃には、期待しない、という言葉はどこか諦めたような腐ったような考え

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今日は何を書こっかなあ

 何やら気まぐれで適当なハッシュタグを選んで、今こんな気分、てなことを書きだそうとしているのだけれど、実にどんな気分でもない。
 厳密にいえばどんな気分でもない、というような気分なのであって、おそらく本当の意味での「どんな気分でもない」などというようなことにはなりようがないのではないかと推測する。
 今日も今日とて狂おしいほどの屁理屈っぷりであると思うのだが、屁理屈も立派な理屈であると僕は割と常々

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風呂上がりの汗ばんだ時間に

 極力何も起こらない。なるべく少ない変化であってほしい。
 無意識にそんな風に考えていることが多いように思う。
 
 表現が極端になったせいで誤解を招くのは良くないから付け加えると、急激な変化の中に野蛮味を感じることが多くあるのだ。
 もちろん何も起こらない人生など面白くもないものだろうという程度の感覚は存分に持ち合わせている。けれど変化に伴って生じる摩擦のようなものに少しだけ胸が騒いでしまうので

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自動車と自転車と映画館

 今日という日は愛車の初めての車検である。愛車、という呼び方はいささか大層な気がするが、気に入って乗っているし、広い意味でなら愛着もあるし、もちろん粗末に扱う気持ちは微塵もないので、やはり愛車なのだろう。
 
 あらかじめマップアプリでディーラーまでの距離を測ってみると6.3㎞ということだったので代車の手配を断りもう一つの愛車である折り畳み自転車を自動車に積んで現地へ向かった。自転車に対する愛車呼

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科学的な非科学的なものたち

 お化けだとか幽霊だとか前世だとか、現在の科学と照らし合わせるとおよそ非科学的と呼ばれる類のものを信じるか信じないか論争の中に身を置くことを僕は好まない。

 また、この手の話をするときには僕があまり好きではない表現を用いることが皮肉なほどに便利であったりする。
 例えばこのような論争は「生産的ではない」、「建設的ではない」みたいなことである。特にどうという理由があるわけではないけれど、何か血の通

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僕の休日

 旬というものは割と大切な考え方であると思っている僕である。
 全国民にとってゴールデンなわけではないのだろうけれど、それでも何となく今年はそのゴールデンに乗っかれたような気がしている。
 そんな旬な話をつづろうとキーを叩いているわけである。

 今年の3月くらいを境に僕の生活は一変と言っていいほどがらりと変わった。家庭の事情で、という何とも含みを持たせた言い方になるが、それほど何も含んでいない所

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たようせいのひつようせい

 カテゴライズということにとても無機質で寂しい印象を受けるときがある。
 また一方でカテゴライズすることの便利さとパズルのピースがうまくはまった時のような気持ちよさを感じることもある。
 
 多様性について考えるとき、差別や区別の前に必ずカテゴライズの作業が意識的、無意識的に行われている。改めてそのことを認識するのは一つとても大切なことであると僕は思っている。

 そこには、異なるもの、という考え

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折衷の可能性

 昨今ハイブリッドという発想が便利に使われているように感じる。
 ハイブリッド自動車の出現でそのイメージに引っ張られているところも大いにあると思うのだが、ハイブリッドという言葉から僕は近未来に追いついたようなSF的イメージを受けている。

 似たような意味の言葉でも、横文字と従来の日本語では随分と印象が違うことがある。ハイブリッドは折衷という日本語にしてしまって差支えのない場合が多いのではないか。

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吹奏楽部

 高校時代の思い出、という言葉の塊は僕にとってイコール部活動であった。比喩でも誇張でもなく部活以外の思い出は殆ど思い出せない。
 
 吹奏楽部。いろいろなクラブ活動がある中で文科系のクラブではこれに所属していたという人口はそこそこ多いのではないかと思うが、それでも厚かましく吹奏楽は僕のアイデンティティだと言っていいほどの割合を占めていた。

 僕の高校は、吹奏楽部としては弱小高校と呼ばれるようなも

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始まりを終えて

 今月の振り返りを書き始めている今は4月30日の午後7時半である。この記事を投稿するタイミングが5月に突入していようとも、今この瞬間の日時がこの記事において有効となるのである。僕はついに時間をも超越してしまった。
 
 はい、文字数を稼ぐ大作戦でございました。

 毎月、特別に一か月を振り返ろうという発想はないのだけれど、今年僕を取り巻く環境は、4月のとても4月らしいところを感じるような4月であっ

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好きとか嫌いとか学びとか

 大きな変化がある時期というのは、一つの時間の中に色々なことが凝縮されている可能性が高いわけで、何かを学ぼうとする姿勢でいるものにとってはその材料に満ち溢れているのかもしれない。
 
 このように無責任に、いつものごとく取り留めもないようなリズムで考えとも呼べないようなものを頭の中に走らせてはみたものの、なかなかそのことを検証しようという気すら起きない。

 なぜそう無責任でいるかといえば、果たし

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ふつう

 これまで僕が他の媒体で発信するときや誰かと話すときに、極力自分の嫌いな物、人、の話は避けるようにしてきた。
 嫌いなことを伝えることは特にダメなことだとは思っていないのだけれど、何かを否定するということには強い違和感を持っていて、その「否定」と「嫌い」が受け取り手の中でごちゃまぜになってしまうことを懸念するあまりのことである。

 そのような前置きをして今回書きたいことというのは、普通、というこ

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こーしーの話

 大学生の頃、コーヒーに凝った時期がある。
 以前別の記事でも少し触れたような気がするが、道具にこだわり、豆にこだわり、挙句の果てには生豆を焙煎しようというところまで挑戦した。
 なかなかに自己満足の世界を展開していたように思う。
 そしてその自己満足はとても拙い世界ではあったが、振り返って恥ずかしく頬を赤らめなければならないようなものではない。
 僕が思う大学生なりの粋なままごとを楽しんでいたよ

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すって~ はいて~

 ストレスの解消にはどうやら「出す」という行為が随分とカギになっているらしいということを何かで目にしたことがある。

 一口に、出す、と言ってはみても実に様々な、出す、があるだろうが、そのさまざまのほとんどすべてを包含していると言っていいほど、ストレス解消における「出す」の解釈は幅が広いようである。

 その中でもイメージしやすいであろうものは、ショッピングではないだろうか。つまり、お金を出す、と

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すたーてぃん!

 我が家は、というよりも僕はこの春から随分と生活のリズムが変わった。
 大仰に言えば僕を取り巻く環境が変わった、ということであり、それに伴って自由に使える時間や心の空きスペースが増えた。
 
 僕にとってはとても心地の良い環境の変化である故に、もともと暇な時間が苦手な僕であるはずが、今回はそのことを堪能している節がある。
 とはいうものの、そろそろ僕の何か新しいことを始めたい欲が小虫が体を這う如く

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ほりでぇ

 朝起きて、何となく今日はこういう一日になるんだろうなあとイメージしたことと、その一日が終わってみると全く違った一日になっていることは本当によくある。
 特に休日にはそのようなことが多い。

 今日は早く起きたから歩いて15分くらいのところまでのんびり散歩して、分厚く切った食パンとベーコンエッグが名物のカフェでモーニングを楽しみ、そのあとの帰り道は往路と違った川沿いの道を通り、途中で堤防に10分ほ

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