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2024年2月の記事一覧

エッセイ、一人称の小説、三人称の小説

エッセイ、一人称の小説、三人称の小説

 今回は、古井由吉のエッセイと小説を紹介します。

 前回の記事でお知らせしましたように、しばらくnoteでの活動をお休みして読書に専念するつもりでいたのですが、気になる下書きが複数あるので、ペースをうんと落として投稿する方向に気持ちが傾いてきました。ふらふらして申し訳ありません。

◆雪の描写
 古井由吉が金沢大学の教員として金沢に住んでいたころを回想した文章を読んでいて、感動したことがあります

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わける、はかる、わかる

わける、はかる、わかる

 本記事に収録した「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」と「「鏡・時計・文字」という迷路」は、それぞれ加筆をして「鏡、時計、文字」というタイトルで新たな記事にしました。この二つの文章は以下のリンク先でお読みください。ご面倒をおかけします。申し訳ありません。(2024/02/27記)

     *

 今回の記事は、十部構成です。それぞれの文章は独立したものです。

 どの文章も愛着のあるも

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長いトンネルを抜けると記号の国であった。(連想で読む・02)

長いトンネルを抜けると記号の国であった。(連想で読む・02)

「「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」(連想で読む・01)」の続きです。

連想を綴る この三文は私にいろいろな連想をさせ、さまざまな記憶を呼びさましてくれます。

・「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」

 約物である句点も入れると二十一文字のセンテンスをめぐっての連想を、前回は書き綴りました。

 今回は、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号

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音の名前、文字の名前、捨てられた名前たち

音の名前、文字の名前、捨てられた名前たち

 今回は、名前を付ける行為について、私の思うことをお話しします。最後に掌編小説も載せます。

◆音の名前
 ウラジーミル・ナボコフは、Lに誘惑され取り憑かれた人のように感じられます。Lolita という名前より、Lに取り憑かれている気がします。あの小説の冒頭のように、 l をばらばらしているからです。

 つまり、Lolita を解(ほど)き、ばらばらにするのです。名前を身体の比喩と見なすとすれば

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木の下に日が沈み、長い夜がはじまる

木の下に日が沈み、長い夜がはじまる

 本日、二月十八日は古井由吉(1937-2020)の命日です。

 樹の下に陽が沈み、長い夜がはじまる。机に向かい鉛筆を握る。目の前には白い紙だけがある。深い谷を想い、底にかかる圧力を軀に感じ取り、睿い耳を澄ませながら白を黒で埋めていく。

 目を瞑ると、そうやって夜明けを待つ人の背中が見えます。

 合掌。

※ヘッダーの写真はもときさんからお借りしました。
#古井由吉 #杳子 #夜明け

「写る・映る」ではなく「移る」・その2

「写る・映る」ではなく「移る」・その2

 今回は「「写る・映る」ではなく「移る」・その1」の続編です。

 まず、この記事で対象としている、『名人』の段落を引用します。

 前回に引きつづき、上の段落から少しずつ引用しながら話を進めていきます。 

*開かれた表記としての「ひらがな」
・「生きて眠るかのようにうつってもいる。しかし、そういう意味ではなく、これを死顔の写真として見ても、生でも死でもないものがここにある感じだ。」

「生き

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VRで自分に会いにいったその帰りに

 写真機では長いあいだ自分を撮ることができなかったそうです。簡単に撮れなかったというべきかもしれません。それがいまではできます。スマホのカメラで可能ですが、簡単というわけではないでしょう。誰もがけっこう苦労して撮っています。

 いろいろテクニカルな問題があって苦労なさるのでしょうが、「こんなはずじゃない」とか「私はこんなふうじゃない」という不満が根っこにあって、スマホに付いているレンズを恨みつつ

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病室の蛍

病室の蛍

 いま「信号」について考えていますが、それにはわけがあります。いろいろありますが、ある出来事が大きくかかわっている気がします。

 母が生きていたころの話です。ある年の初めに母が大病をしました。それまではわりと元気で入院をした経験も一度しかない人だったので、病に倒れたさいには、こちらもてんてこ舞いしました。

 一時は危篤状態となり約一か月間の入院でした。そのとき看病をしながら、「信号」についてよ

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直線上で迷っているネズミがいた。

直線上で迷っているネズミがいた。

 直線上で迷っているネズミがいた。ネズミは自分が前に進んでいると思っていた。深くは考えなかった。

 進んでも進んでも切りがなかった。回れ右をしても同じだった。今度は後ろが前になった。

 ひょっとして自分は迷っているのではないか。そんな思いが頭に浮んだが、すぐに忘れた。

 疲れると道から降りた。降りて振りかえると、歩いていた道が大きな輪っかだと気づいた。

 前にもそんなことがあった気がした。

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人が映画の夢を見るように、映画が人の夢を見る

人が映画の夢を見るように、映画が人の夢を見る

 俯瞰とは場所つまり空間だけの話ではありません。時間的な俯瞰もあります。スケジュール表、タイムライン、カレンダー、年表などは、時間を見える化するだけでなく、時間の流れを時系列で視覚化する仕掛けとか仕組みとか装置だといえるでしょう。

 地誌・地史、家系図、伝記、国の歴史、世界史、文学史、音楽史、科学史、宗教の歴史というぐあいに、個々の事象にまつわる出来事を時系列で記述しようとする人の試みと情熱には

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鏡、時計、文字

鏡、時計、文字

「わける、はかる、わかる」への投稿後の加筆が、かなり大幅なものとなってしまったので、加筆した二つの文章を独立させ、新たな記事にしました。ふらふらして申し訳ありません。

「同一視する「自由」、同一視する「不自由」」は蓮實重彥の文章にうながされて書いたものであり、「「鏡・時計・文字」という迷路」は古井由吉の『杳子』の冒頭における杳子と「彼」の出会いの場面について書いたものです。

 私は古井由吉の作

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顔



 朝起きると、見知らぬ顔が鏡の中にいた。忘れもしない、二十年前のゴールデンウィーク最終日のことだ。驚いたのは言うまでもない。誰にも言わなかったのは、誰も気づいていないみたいだったからだ。家族も、学校でも。最も敏感であってほしい我が家の犬さえも。

 翌日の午後、学校から帰る途中に、私を追い抜いていったバスの一番後ろの窓から見ていた私の顔と目が合った。私たちは互いに目を見開き、口を手で被った。

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「写る・映る」ではなく「移る」・その1

「写る・映る」ではなく「移る」・その1


 川端康成の文章には、どきりとすることを淡々と書いている箇所が多々あります。

 私は読んだ作品の内容を要約するのが苦手なので、内容に興味のある方は、以下の資料をご覧ください。丸投げをお許し願います。 

*「うつっている」
 パソコンをつかって書きうつした(キーボードのキーを叩いて入力した)文章をさらに、一文ずつ、ここにうつしかえて、私の言葉を重ねていこうと思います。

     *

・「し

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有名は有数、無名は無数

有名は有数、無名は無数

「これはね、森鴎外作『寒山拾得』から引用したもので、三島由紀夫の『文章読本』で激賞されている文なんだ」

「そうかそうか、さすがに名文だね。短いけど、すごい。なんというか、こう、気品が漂ってくるのよね」、「やっぱりね。違いますよ。短いけど、そんじょそこらの文章とはぜんぜん違う。なんというか、こう、文体が違います」、「分かります。そんな気がしたんだよな。言葉に独特のたたずまいがあるでしょ? なんとい

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