人が映画の夢を見るように、映画が人の夢を見る
俯瞰とは場所つまり空間だけの話ではありません。時間的な俯瞰もあります。スケジュール表、タイムライン、カレンダー、年表などは、時間を見える化するだけでなく、時間の流れを時系列で視覚化する仕掛けとか仕組みとか装置だといえるでしょう。
地誌・地史、家系図、伝記、国の歴史、世界史、文学史、音楽史、科学史、宗教の歴史というぐあいに、個々の事象にまつわる出来事を時系列で記述しようとする人の試みと情熱には驚かされます。
図書館、博物館、美術館、博覧会も、それぞれが俯瞰の一形態だと見なすことができるでしょう。百科事典、辞書、図鑑、博物誌のたぐいも、空間(地球・宇宙)だけでなく時間(歴史・有史以前)の俯瞰を指向していますね。人の飽くなき意志と欲求に驚かされます。
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俯瞰という身振りは、人が初めて水面に「かがみ」こんで自分の姿を見た身振り、そして鏡を作り毎日鏡に見入っているという身振りに重なります。自分を見ているつもり。でもその鏡像と映像は自分ではないのです。
見えているのは自分ではなく自分の影、幻影なのです。人は自分を肉眼で見ることはできません。ここに「見る・見える・見ない・見えない」の原点がある気がします。
個人的な話ですが、自分が見えないことに気づいたり、思いだしたり、意識するのは、鏡を覗きこんだ時以外に、自分が見た夢を思いだす時と、テレビドラマや映画を見ている時です。話を簡単にするために、映画を例に取ります。
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映画では主人公を含む登場人物がうつりますが、ある登場人物の視点から見られた場面は以外と少なく、その光景や状況やストーリーを分かりやすくするための位置にカメラが置かれて撮影されている気がします。よく考えると誰の視点から、そのシーンが撮られているのか不明になるのです。
居間でお茶を飲んでいる二人を撮った場面を想像してみてください。カメラは、その二人の視点以外の位置で撮られている場合が多いのではないでしょうか。高い位置から見下ろしてはいませんが、これは一種の「俯瞰」だと思います。
つまり、その状況を説明するのにふさわしい位置から、「展望」しているというか、全体の様子が分かるような絵になっているのです。現実では、まずありえない絵だとは思いませんか? 誰が見ているのでしょう? どの位置から描いているのでしょう?
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ひょっとして、映画の視点は夢を真似たのではないでしょうか。夢の中では、しばしば自分の姿が出てきます。現実の自分にそっくりな自分もいれば、別人を演じている自分もいたりします。自分が動物とか物になっていたのではないかなんて、目覚めてから考えこむ不思議な夢もあります。あくまでも個人的な印象なのですけど。
映画が発明され、映画の二代目みたいなテレビが発明され、いまではネット上で動画が閲覧できる時代に住んでいる私たちは、映画やテレビや動画(ゲームも含みます)に似た夢を見ていることは十分に考えられます。昨夜、ゲームをやっている、あるいは自分がゲームの中にいる夢を見た人はいませんか?
人は夢を真似て映画の撮影術を発達させ、より精緻で洗練されたものにしてきた。それと並行する形で、映画を真似て夢を見るようにもなってきた。そんな気がします。人は意識的にあるいは無意識に自分に似たものをつくり、そのうちに自分のつくったものに似てくるのではないかとよく思うのですが、映画もそうかもしれません。
夢を真似て映画をつくる。映画を真似て夢を見るようになる。こう書くと、何だかありそうに思えてきます。現実を真似てお芝居をつくる。お芝居を真似て、日常生活で演技をするようになる。現実を真似て歌う。歌を真似た声や叫びを日常的にするようになる。
恥ずかしい話ですが、私はテレビドラマのさまざまな演技を実生活で真似ることがあります。人と話したり、人に接する時に多い気がします。自分は引用の織物なのではないかと思うほどです。自分は空っぽという意味です。気取って言えば、空の器。ぶっちゃけた話が、空のバケツ。
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映画以前に歌があり、お芝居があり、映画と並んでラジオが出てきて、テレビが普及し、テレビゲームが発明され、いまではPCゲーム、インターネット、YouTube、VRが共存する時代になっている。自分の知覚に合わせて何かをつくり、そのつくったものに知覚を合わせていく。
まるで鏡の前の人ですね。鏡を見ながら自分の振りをつくっていく人の身振りを想像しないではいられません。それが夢を見ている自分に重なり、軽い目まいを覚えてきました。
ひょっとすると、私たちは夢を真似て夢を見ているのかもしれません。
さらに言うなら、いまうつつで見ている光景もまた、夢、写真、絵画、映画やテレビやネット上の動画を真似て見ているのかもしれません。かつて見た物や事の記憶が、うつつを見るさいに重なってくるとか、見方に影響をおよぼしている。
夢のようなうつつ、うつつのような夢。寝ても覚めても夢うつつ。目を閉じても開けても鏡の中。
そう考えると、ますます鏡の前にいる自分のようです。軽い目まいを覚えてきました。しばらく横になったほうがよさそうです。
夢のような映画、映画のような夢。人が映画の夢を見るように、映画が人の夢を見る。