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なんのはなしですか

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なんのはなしかわからない。だけど、重要なものなんて判断は誰にも出来ないでしょ。そんなはなし。
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2022年12月の記事一覧

全てを手に入れるということは、それ相応のリスクを伴うことを忘れたりしてはならない。

全てを手に入れるということは、それ相応のリスクを伴うことを忘れたりしてはならない。

今年があと一週間も無いことを僕はカレンダーから目視し確認した。人は簡単にこの一年でやり残した事はないかと残りの一週間で唐突に考えたりする。

もっと最初から考えるべきだとは誰も言わない。

それは、僕にとっても人と同じで自分に問い掛けて答えを見つけるタイプだったりする。

村上筋肉倶楽部~今年最後のトレーニング編~

僕の通うジムは、年末年始に休業になる。したがってトレーニング出来る日は僕

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横光利一に自分の嫌なところを炙られて約一世紀越しに本質を問われる。

横光利一に自分の嫌なところを炙られて約一世紀越しに本質を問われる。

前回の記事で年末年始の読書に閉じ籠ろうかと思っていたが、どうしても今年中に書き残したいと思える作品に出会った。

一回読み、すぐにもう一度読み返した。こんな事は初めてで、あまりに不明瞭で落とし込めず、だけど「人間」としての本質的な事を物凄く明瞭に描いてる。

機械とタイトルがついているけどそれは歯車みたいだ。ズレを把握していても一定の法則で回っていく。誰かが入れ替わり立ち替わりその歯車になる。

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長(オサ)との時間に振り返りを求める時間。

長(オサ)との時間に振り返りを求める時間。

年末は忙しい。誰でも言う言葉だが、それぞれにそれぞれの意味が違う。実際の行動や想いを巡らせたり、そしてまた見直したり。

毎年この時期になると、現役をリタイアし、自給自足をしている長(オサ)から連絡が来る。今年収穫した蜜柑や冬野菜をくれるからだ。それはお互いに口実であり、他になにもなくただ顔を合わせるのが出来ない為でもある。

私は照れを隠すように長に年末の挨拶を兼ねて毎年、今年の出来事や思考を話

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髙樹のぶ子の「ほとほと」に、受容でいいのだと教わった。

髙樹のぶ子の「ほとほと」に、受容でいいのだと教わった。

📚
「ほとほと」
髙樹のぶ子

「楽しんでくださいね」

そう優しく言われて紹介された本を手に取った。

「楽しんでください」

と自分から人に本を紹介した事があっただろうか。

「たぶん面白いと思うよ。面白くなかったらごめん」

「本当に読めるかわからないけど」

「好みに合うかわからないけど一応」

私が人に本を紹介する時に発してる台詞は主にこれのような気がする。

活字にす

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世代交代と統一戦。どれも同じ時間軸だが人それぞれだ。

世代交代と統一戦。どれも同じ時間軸だが人それぞれだ。

友人が親から世代交代し社長になるという。25年来の友人とは人生の半分以上関わっていることになる。

時間という概念は、交わる時間の積み重ねで信頼を生むのだろうか。どこでどう同じ時間を共有するのか誰も知らない。

多感な時期の時間の積み重ねは、日々が未熟で小さい分、心の大部分を占める。強烈な思い出や、言動は時間を越えてあっという間に引き戻す。

だがしかし、普段の生活に於いて共有する時間はます

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内面を上げるのに必要なのは、少しの負荷とテンションかもしれない。

内面を上げるのに必要なのは、少しの負荷とテンションかもしれない。

その日の僕は、バック エクステンションなる器具の前にいた。

「ほう。バック エクステンション」

思わず口に出さずにいられないそのエクステンションに僕はまんまと乗せられた。

とりあえず、器具に座り僕にふさわしい負荷を探しながら僕はさりげなく背中にエクステンションをしてみた。それは僕にとって、味わった事のない未知なるエクステンションだった。

村上筋肉倶楽部
~エクステンションからの景色編~

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室生犀星の私小説は、改めて自分に向き合う時間をくれたみたいだ。

室生犀星の私小説は、改めて自分に向き合う時間をくれたみたいだ。

室生犀星の全集より、私小説にあたる三作を読了した。

「幼年時代」
「性に眼覺める頃」
「或る少女の死まで」

詩人でもある室生犀星が描く私小説に興味があったのか、自分でもどこに引っ掛かりがあったか忘れてしまっていたが、メモに室生犀星と書いてあったのだから何かに引っ掛かったのだろう。

しかし自分の動機などは、読む本に関係ない。ある種の出会いだと思っている。

少し前に、徳田秋声の「仮装人物」とい

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第二回伊勢原素人落語大会で感じる。じゃあこれを書いている俺はいってぇ誰なんだい。

第二回伊勢原素人落語大会で感じる。じゃあこれを書いている俺はいってぇ誰なんだい。

粗忽長屋という演目がなぜか好きである。そそっかしい人間が、自分が死んでいるのに気付かず家に帰っていて、知り合いからお前は死んでるぞと一緒に自分の死体を確認しに行く噺だ。自分の死体を確認した本人は、死体を抱いて帰ろうとする。その最後サゲの部分の言葉、

「抱かれてるのは確かに俺だが、抱いてる俺はいってえ誰なんだい?」

文章にして読み解いても、現実には起こり得ない事だ。空想をおもしろおかしく話す。想

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青春の感触に行列する心理は、歳を重ねても分かち合える。

青春の感触に行列する心理は、歳を重ねても分かち合える。

その日、ジムに新しい器具が入った。とりわけ最新の器具ではない。新しい器具が人気なのは目新しさからか、それとも。

僕は、少し年配に見える先輩方がその器具に順番に並んでいるのをランニングマシーンから鏡越しに見ていた。有酸素運動を終え、少しタイプのこのジムのアイドルの彼女に近寄った。話題があるうちは話すに越したことはない。少しのぎこちなさを若干の照れ隠しに利用しつつ彼女に近付いた。

少しタイプの彼女

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