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長(オサ)との時間に振り返りを求める時間。

年末は忙しい。誰でも言う言葉だが、それぞれにそれぞれの意味が違う。実際の行動や想いを巡らせたり、そしてまた見直したり。

毎年この時期になると、現役をリタイアし、自給自足をしている長(オサ)から連絡が来る。今年収穫した蜜柑や冬野菜をくれるからだ。それはお互いに口実であり、他になにもなくただ顔を合わせるのが出来ない為でもある。

私は照れを隠すように長に年末の挨拶を兼ねて毎年、今年の出来事や思考を話す。振り返りや考えを整理するのにとてもいい時間だ。

今日、長の家に向かう途中、車でラジオを聞いていた。歳が同じ第一線で活躍する方達が経済を語っていた。それ事態は良い気も悪い気もせず、ただ自分の現在地を知らせる出来事だった。信号待ちでふと自分の事を考えた。

年の瀬は想いを巡らすのにいい機会が多い。私が住む関東は冬晴れが続き、空気が冷える朝晩は頭の中を入れ替えるのにちょうど良く感じる。

友人が代替わりで社長になった。「おめでとう」と素直に言える気持ちが悪くはなかった。

又、しょっちゅう顔を合わすワケではない別の友人が、どこで知ったか今年私が企画したイベント終了後にメッセージを寄せてきた。

エンタメは人の為、世の為。
相手を想い、故郷を想い、
小錦を想う!頑張った!
!」

いいタイミングに彼との繋がりと優しさを感じ、自分がいい螺旋にいたことを報告した。

人に届くもの届かないものは、相手がいる事なのでそれぞれだ。自分が想う事の一割も実際は届かないと思って生きている。

その一割を濃くしたい。

同年代の人達が世間でいう社会的責任を負うようになってきている。どうやらその螺旋には全く乗れていないことを自覚しているが、以前なら嫉妬で終わり嘆いていたものだが歳を重ねてそれでは何も始まらない事を知ってきたし、行動することを見出だした。

自分に言い聞かせていることがある。

俺は大器晩成

嘘でも何でもない。本当にそう思っている。

私が好きな事はどうやら資本やお金とあまり縁がないのだが、好奇心を心から大事にしている。

自分を最後まで信じられるのは自分だけだと考える。

今年も本当に楽しく出来たと思う。自分の好奇心を大切にし繋がりを得たからだ。物事に大きいも小さいもなく、大事な事は自分に正直で素直であることだ。

そして、運が良いことに私の周りは私より物知りばかりだ。

一時間ばかり車を走らせ長の家に着き、彼の今年の収穫や起こった事、今考えている事を聞く。

用意された簡易的なイスに焚き火をしながらお茶を淹れてくれた。

本当に煙が少ない

「この器具は二次燃焼するから煙が少なくてすむんだ」

彼の作業部屋には、工具やキャンプ道具が並ぶ。僕は、気になる器具に目をやりながら彼の話の邪魔をせず溶け込むように身を落とす。そこは焚き火の音と静かに時間が流れる音とが混ざり合う。

火を見ながら僕は自分の事を考える。今している経験は、いずれ何かに結び付き自己の中で何かに変化するはずだ。自分に命題があるのならば必ず降りてくるはずだと。

年末年始に読む、大江健三郎、安部公房、谷崎潤一郎、開高健、横光利一。

楽しみ祭り

作家から得るものに心が躍る。

長は、ひとしきり話すと熱いお茶を注ぎ私に話を促した。

「さぁ、今年の君の出番だ」

私は、何を話したら長が喜ぶかを考えた上、今年数々したデートの中で今後の自分の指針になり得る出来事を語った。その彼女は私に、

「自分だったらどうしてこの作品を作ったと思いますか。出てきた答えが全て正解です」

と、優しく教えてくれた。作品そのものから何かを感じなければいけないと思っていたが、そうではなく自分が作ったとしたら、

どうしてこの作品を作ったと思うか。その目的はなにか深く考察する。

この置き換えの考え方は、私にすべての作品との距離を近付けてくれた。そして、その事に感動し、思わず抱きつきたくなったが全力で拒否された事を合わせて報告した。

長は、全力で拒否された私の話しに満足したみたいでたくさんの冬の旬をくれた。

「で、君は来年どうするんだい?」

長は、ゆっくり進む時間を楽しむように話し掛けた。

「しばらく自己を見つめ肉付けしようと思っています。思想的にもカラダ的にも」

長は、少し笑い、少し寂しそうに言った。

来年は面白い話しが聞けそうにないね

私は長にいつかの夜、呼ばれるように東大全共闘との討論で三島由紀夫が語るサルトルについての映像を見た事を告げ、

「サルトルが「存在と無」のなかで一番わいせつなものはなにかと問い「縛られた女の体」と言っている。これが宿題です」

ここから解を導くなら「自と他」の話しになるがそこに触れるのは私の流儀ではないので、

一番のエロティシズムについて教えてあげた。

長は、少し冷めたお茶を飲み干し優しく語った。

「君を毎年呼びたくなるワケだ」

私達は、お別れにいつもの挨拶をした。

「いずれまたがあるならば」

なんのはなしですか

つまり、私が奪われてならないものは、好奇心と下心。

これを今年の気づきとして、残しておく。

私は、年末年始はSNSに触れないでおくことが多い。この世界にも色々あるらしい。繋がりと関わりに敏感になりすぎて本質を見失わないようにしていきたいと考える。

どなた様も今年一年本当にありがとうございました。引き続き縁が続くならお相手どうぞよろしくお願いいたします。

来年は厄年。味わえるチャンスは長生き出来ればあと二回。

それはそれで楽しみである。

長の元から帰り、家にこのイベントについて観覧当選ハガキが届いていた。

どんな厄年になるだろうか。
楽しみでしかない。

連載コラム「木ノ子のこの子」vol.16
著コニシ 木ノ子(厄年の役目)



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