見出し画像

もしもの備え その2 敢えて完璧な備えをせず前に早く進むことを優先 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 私の理解をご紹介しますね。

 ファンダメンタルズの続き…

 その1と全く逆の動きを敢えてした受験生時代、サラリーマン時代のご紹介です。

 発生確率の低い事象に対して準備するには、その事象の重要度が高いことが前提です。しかし、重要度を敢えて無視し備えをせず前に早く進むことを優先することを選ぶことも結構しています。特に若い頃はその傾向が顕著でした。

 その理由はやるべきことが多すぎたからです。
特に勉強面。もっと正確には受験勉強。原典に戻ってゆっくりそれを味わう時間がありませんでした。総じて文系科目は全てそのスタンスを貫きました。

 扱う作品数が少ない古文や問題を作りやすい作者が限定されている現代国語は、もし問題文として抜粋された作品を事前に読んでいれは、極めて有利でした。なんと言っても内容が事前に分かっていれば、設問の答えを事前に分かっているようなものですから。文系の方々はそういう対策もしていてその意味では私には不利。ですが、限られた準備期間の中でそこに時間を振り向けることはしませんでした。

 記憶を引き出す能力が極端に悪かったのも遠因でした。

 現代国語(現代文)は、駿台予備学校の藤田先生を信奉していました。現代文を構造的に解釈をすることを身につけることで、記憶に頼らない現代文の読解能力を身に着けました。

 敢えて万が一にも対応できる完璧な備えをせずに、捨てるものは捨てて前に進むことをやり続けました。

 大学に入ってからは、時間にゆとりができました。
 
 今まで学んできたことにもしも大きな抜けや誤解が有った場合、社会人としての人生の方向づけ決定を誤ると考え、落ち着いた行動になって行きました。
 理工学部なので理系の分野では、原典、例えば原論文等を読むことは意識してするようにしていました。一方で文系の分野では引き続き解説書やあらすじに頼っていました。
 例えば小学生の頃から学生運動、反戦、共産·社会主義といったキーワードが気になっていて、大学に入ったら自分なりに整理して置こうと思っていました。ですが結局資本論すら買ったものの全巻は読んだことは無いまま。
 教養として頭に入れていきたかった文献も…例えば三国志も解説書止まりでした。解説書やあらすじ本が大活躍という感じでした。それでも受験生時代に比べれば遥かにマシでしたが。
 しかしそれは、サラリーマン時代に技術系から事務系に大きく職務内容を変えた後、文系の方々の中に入っていった時に、学生運動世代の方々との会話で大いに支障をきたすのでした。

 その後も積み上げを端折(はしょ)って、運を信じて勘を頼りに前に進むことが多く有りました。

 大学に入って、大学生協の書籍部で見つけたルドルフ・カルナップを学んで、ガチガチの舗装路ではなく、頼りない沼地をそれでも前へ進むのが人生っていうことなんだなあと…

そんな生き方の理論的な裏付けもできたことが、よりその傾向を強めた理由の1つです。ある意味で確信犯。

 結局会社員生活では正に上昇志向むき出しで成れの果てまで突っ走った感じです。

 もしもの備えとしては、寧ろ単一業務の専門家として生きれば転職には有利。しかも専門家として重用されやすい。
例えば解析の専門家としての研究職とか。半導体開発の専門家、マーケティングの専門家、セールスの専門家、企画の専門家等をどこかで止めれば、それはそれでも良かったかと…

ということで、もしもの備えについて、
“敢えて完璧な備えをせず前に早く進むことを優先”
という話題を置いて見ました。

つづく

 


 

 

この記事が参加している募集

人生を変えた一冊

現代文がすき

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?