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もしもの備え その1 親の夫婦喧嘩 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 私の理解をご紹介しますね~

まず初めはファンダメンタルズ…

 発生確率の低い事象に対して準備するには、その事象の重要度が高いことが前提です。親の夫婦喧嘩は正に子どもにとってはもしもの備えが必要な事象でした…

 人生最初のもしもの備えは親の喧嘩です。

 発生確率は月に1度程度。後に父が良く経験則として母の月の満ち欠けの周期に同期した同期した感情の起伏によるものとの説明を受けました。

 実際父が具体的に何を言っていたのかは、小学生で女子だけが講堂で映写会をするという時にも、男女平等を強く教育していた先生達の整合性無い姿に違和感があったもののそれが何かは知らず、中学生時代になって教科書で知ったのですが…

 口を効かなくなった親のとばっちりは子どもにも来るのです。結構激しい気性。備える術はそれ以上母親を怒らせないこと。お手伝いや早寝早起き程度がその怒りのはけ口が私に向かって来ることに対するもしもの備えでした。何をすれば良いかの実験と考察は子どもながらし尽くしていました。

 夫婦喧嘩の種は父の書籍(含む雑誌)管理でした。祖父が買ってくれた平屋一軒家には家中の本棚には書籍が一杯でした。南側の長い廊下の東端に有った父の机の上、とその周辺の床にも書籍という有り様。

 結局父は、手狭な家を取壊し、2階建ての洋風な家に建て替えました。設計は母方の祖父。ドラフターなど無く、ましてCADなんて影も形も無い時代に、祖父の家の客間の大きな机にT定規だけで2人の意見を取り込んでの間取りでした。
 作り付け家具だらけの設計、納戸というかそこも書庫、2階の子供部屋にも作り付け本棚が有りましたが、次第に父の書籍で埋まりました。
 
 新築の家を作っての対策も効果なく、応接間は父の書斎と化して床にも本が平積みされる感じでした。
 私は小学生。ほぼ毎週末はその新築の家を設計した祖父母の家で過ごすという生活でした。土曜日出社の時代なので父は午後に1人自宅に帰るか、母方の実家に帰るかは気分と日曜日の接待ゴルフの都合によってでした。 

 祖父母は全く安定した機嫌で、私にとってはオアシスでした。

 そこに向かう電車の中。道すがら母は何となく不機嫌。電車に乗ると私は1人長椅子に靴を脱いで後ろ向きに座って外を眺めて居ました。そろそろターミナル駅で乗換のタイミング。乗換の際に嫌な雰囲気になるのに備えて…多分周期的に不機嫌なサイクルだったので…機嫌を取ることに。振り返って私の席の前に立っていた母親に向かって

”ママ美人“

と。恥ずかしがったものの取り敢えずオアシスまで無事に(笑)

 もしもの備えが有効に働いていたのでした。

つづく 

蛇足
 この話は何度か焼き直していますが、原点なのでご容赦ください。

超蛇足
 焼き直していますが… ご自身の人生の原点を素直に赤裸々に、幼稚さも何もかも受け止めて…そこから人生を紡ぎ直すという提案でも有ります。マシ…



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