浅埜マリ
2021/04/11 14:47
私は祖母を「ばあちゃん」と呼ぶ。字面だと普通だが、発音は「フワちゃん」のそれである。なぜかはわからないが、我が家ではずっとそうだ。そしてそれによって「ばあちゃん」は単なる関係性を離れて愛称と化していた。・ばあちゃんは私のシェルターだった。親に叱られたとき、あるいは家でもの寂しくなったとき、それから単に暇なときも、「ちょっと裏行ってくる」と言って会いに行っていた。自他ともに認
みるく
2021/04/02 14:18
わたしの憧れの人あの人は、いつも万年筆で日記を書いていたあの人のおうちに行くと、いつもサイフォンで珈琲を淹れてくれたBGMはクラシック音楽「絵を見たいなぁ」あの人に言うと、美術館に連れてってくれた「本物の音を聴いてみたいなぁ」あの人に言うと、コンサートに連れてってくれたわたしの趣味は、演奏すること、音楽を聴くこと、美術館博物館に行くこと、自分でおいしい珈琲を淹れること、だい
satsuki
2021/03/30 00:34
自分の話したいことが言い切れていない。もっと話切りたい。そう感じるこの頃。職場を辞めてからもう5年は経つ。間に少し仕事をした時期はあったけれど、こんなに長い間職場での人付き合いをしていないのかと自分でも驚くし、不安にもなる。友人や家族と話すことはあるが、こんなコロナ禍じゃ気軽に逢いに行ける訳でもない。ふらっと顔を合わせた時に世間話をする程度の隣人か毎日うるさいくらいママーママー
ぽむ
2021/03/29 00:48
20210327お久しぶりです。今日は花見をしに行きました。祖母はお花が大好きでした。夏には向日葵畑🌻に行き、春は桜🌸、冬は分かりません。秋は紅葉🍁。お花が大好きな祖母でしたが、お花の面倒を見るのは下手くそで。笑よく枯らして母から怒られてました。お花が好きなのに枯らしてしまう。そして、怒られてお茶目に笑うそんな祖母の性格が大好きでした。笑祖母の仏壇には今スイ
きたはたりょうこ
2021/03/18 21:45
小学校の卒業式は、前日に父方の祖母が亡くなって出席せず。今日で33年かな。その日私のもとには、祖母からの手紙が届いていたのを、今も憶えている。内容は体が痛いとかしんどいとか、そんな内容で(笑)。学校嫌いだったし、卒業式出たくなかったの、ばあちゃんは知っていたのかもしれない。うふ。
土庫澄子
2021/03/15 22:35
庭は日ごとに春らしくなり、淡い黄色の花々が春を呼んでいます 母は無事に誕生日を迎えました 娘の欲目かもしれませんが、昨年一昨年の誕生日よりも心身ともに落ち着いて元気になったようです3月には母の母、祖母の命日があり、わらび餅をつくりました このごろわが家ではわらび餅つくりがマイブームで、今日も練習しようなどといいながらときおり木しゃもじを手にせっせと練っています祖母のお供えには青大豆でつくっ
なお
2021/03/14 22:21
みつけてくれてありがとうございます。私は結構落ち込むとそこからなかなか這い上がれません。心の沼が結構濃く、そしてとても深いのですが、その度誰かに助けてもらい、人の暖かさ、ありがたさ、そして1人でいる事の恐怖と毎日葛藤の日々です。最近祖母から、"あなた(私)は人にはない優しさと、人に寄り添える心をこのまま育てていきなさい"と言われました。なんとも他の方から見ると抽象的でよく分から
多恵
2021/03/08 09:46
私はいわゆる「おばあちゃん子」でした。両親が共働きだったので、私が子供のころは、すぐ近くに住む母方の祖母が、色々と面倒をみてくれました。保育所に迎えに来てくれたのも祖母なら、夏休みに昼ご飯を作ってくれたのも祖母です。祖母は信心深い人で、仏壇に向かって、朝晩きちんと「おつとめ(読経)」をしていました。「多恵ちゃんも、手ぇ合わしとき。仏さんにお参りしてたら、ええことあるから」よく、そ
あいち
2021/03/05 23:23
祖母はパーキンソン病を患っていた。体の震えやこわばりで、だんだんと身の回りのことをするのが難しくなっていって、最後の何年かは一緒に暮らしていた。ある日、家族で近所の和食レストランに行った。出かける時、祖母は赤い口紅をつけて部屋から出てきた。化粧をしている顔を見たのは初めてだった。白いブラウスに赤い口紅。震える手で塗ったのだろうと思った。祖母はいつものようにおぼつかない足取りで、だけ