いちあ

10数年のアフリカ勤務後40代で4年制の音楽大学にチェロで入学し2021年卒業。師匠に…

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10数年のアフリカ勤務後40代で4年制の音楽大学にチェロで入学し2021年卒業。師匠にあきれられ、親子ほど年のちがう同級生に怒られ助けられた美しくない音大生日記『40代のチェロ専攻音大生日記』、児童相談所の勤務経験、世界中で生活したエッセイ『この世界の片隅で』家族の物語、執筆中!

マガジン

  • 『この世界の片隅で』

    学生時代の旅、海外留学時代、仕事での海外勤務、ただの旅、、、で長期短期に滞在した国は、ヨーロッパ(イタリア、フランス、イギリス、スペイン等)、アジア(インド、ラオス)、アフリカ(モロッコ、セネガル、ブルキナファソ、モザンビーク、ウガンダ、カーボベルデ)、中南米(ブラジル、エルサルバドル、キューバ、アルゼンチン、パラグアイ)の20数か国。いまの私をつくってくれた、その土地で出会ったひとびとの想い出、忘れられない人びと、人生を変えてくれた出来事、を書いていきます。

  • 『家族の旬 人生の西』

    いつしか人生の折り返し地点をとうに過ぎて、いつまでもいると思っていた家族もいつの間にか目の前から立ち去り、昭和から生きてきた家族の、あの日、あんなことを振り返るのは、ワタシしかいなくなりました。 折しも、2024年、2025年は、日本の、大転換点となるトシのようです。昭和の時代に、ド田舎で生まれ、貧しく、つつましく、四季折々を愛し、土地の山や海と一緒に生活してきた、けっして、幸せではなかったけれど、生きるのは、家族ってのは、かくも悲しく、いとおしいのだと思わせるような、思い出の数々しか浮かんでこないけれど、そんな家族の物語を、今、明日のことさえわからぬ日本という国に、残しておきたいと思います。

  • 先生とチェロとわたし

    40代で入学し、卒業した音大。どうにか音楽だけで稼げるようになってやる! と、卒業後も仕事は控えめに、チェロに邁進する日々です。音大以来ずっと、クラシックをやっているなら知らない人はいない、オケの首席であった超偉いチェロのK先生に師事しています。 なかなかうまくならないチェロに泣き、自分の不甲斐なさに泣き、下手くそさゆえの、チェロの先生からの容赦ない扱いに泣き、それでも根性でチェロを極めて、いつかプロチェリストとしてソロコンサートをして、音楽だけで食っていく、そんなわたしのチェロ道と、7年近く毎週レッスンに通っても、わたしのような下手くそには、全然協力なんぞする気のないK先生とのレッスンの日々を、ここに書き残しておきたいと思います。

  • 『40代のチェロ専攻音大生日記』~されど我が痛恨の日々~

    40代でチェロで4年制の音楽大学に入学し、2021年卒業。卒業とは名ばかりで、私の音楽もチェロも、まだまだ始まってもいません。上手くなりたいと必死になり、師匠にあきれられ、親子ほど年の離れたみんなに怒られ、助けられた、決して美しくない音大生日記です。

最近の記事

静かな戦争 戦場は?

日本と日本人を取り巻く環境が、正気の沙汰ではなくなっている。 胎内記憶があるお子さんや、寝ている間に空にかえり、神さまから話を聞いてくる子どもたちが、 怒りもしない、選挙にも行かない、そしてそのせいで、近い将来、命を落とすかもしれない大人に語ったこと。 この国の水は、あの飴の国から流される◯◯で汚染され、水道水は危◯。 空気も、空から危◯物質がまかれ、体調を崩すか、下手すると、老人は、、、だそうだ。 食糧も、◯◯◯◯開発をする会社が何かを企んでいるのか、無垢な子どもたちが

    • 水道水をガブガブ飲んでいた子どもが急に母にペットボトルの水を買うように頼んだ 

      水道水をガブガブ飲んでいた子どもが急に母にペットボトルの水を買うように頼んだ、、、自分と大切な人を守りたい人、子を持つお母さん、お父さん、必見。水道水があ◯ない。 水質に関して基準がゆるくなったのはご存知かと思いますが、何も知らない子どもが神さまから忠告され、教えてくれました。 ペットボトル水を買う、浄水器を買う、、、検討した方がいいようです。 下の動画を観てください。 もうひとつ、この動画の中で、自閉症のお子さんが、これから日本に起こることも話しています。 2024年、

      • パンデミック条約反対デモ 4月13日@池袋に参加しました!

        快晴の今日、池袋中央公園発の、パンデミック条約反対デモに参加してきました。 池田としえ先生、林千勝先生らが登壇したデモ。 時間に着いたのに、池袋公園には人が溢れかえって、前が見えないくらい。 デモに参加するのは初めてでしたが、あまりにひどいこの日本の政治に背筋が凍る思いがし、まさに政府によって殺されるのが日に日に現実味を帯びてきて、このまま犬死にしてなるか、という想い、そして、美しい日本を日本人の手で守らなければならないという強い気持ちでいっぱいになる毎日、いても立ってもい

        • 絵本を作りたいが、文章は書けるが、絵は描けない私。 逆に、文章は書けないが絵本を作りたい、という人とのマッチングサイトはないのだろうか? ココナラで依頼したらいいけど、そうではなく、互いに印刷費用と販売以外には、製作(文を書く、絵を描く)には費用をかけず、絵本を作れないだろうか?

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        マガジン

        • 『この世界の片隅で』
          15本
        • 『家族の旬 人生の西』
          6本
        • 先生とチェロとわたし
          6本
        • 『40代のチェロ専攻音大生日記』~されど我が痛恨の日々~
          40本

        記事

          『家族の旬 人生の西』明治生まれのばあちゃんのこと①

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) マガジン『家族の旬 人生の西』では、昭和の時代に、ド田舎で生まれ、貧しく、つつましく、四季折々を愛し、土地の山や海と一緒に生活してきた、けっして、幸せではなかったけれど、生きるのは、家族ってのは、かくも悲しく、いとおしいのだと思わせるような、思い出の数々しか浮かんでこないけれど、そんな家族の物語を、今、明日のことさえわからぬ日本という国に、残しておきたいと思い、シリーズで書き綴っています。 今回は、明治生まれのばあちゃん

          『家族の旬 人生の西』明治生まれのばあちゃんのこと①

          『この世界の片隅で』一時保護所(その6)僕には居場所がどこにもない~A君のこと②

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) 前回からの続きです。前回(その5)は下↓の欄からご覧ください。 一時保護所にいる子どもたちは、1日のうちで、朝昼晩の食事、学習時間、お風呂の時間、就寝(消灯)時間、おやつの時間、自由時間のスケジュールが決められていた。自由時間の中でも、大きなホール(ここは学習や、全体での食事に使用されていた。)で、テレビを観たり、ボードゲーム、トランプ、卓球をしたりする時間が決められていて、学校に通学している子どもたちが帰ってくると、思

          『この世界の片隅で』一時保護所(その6)僕には居場所がどこにもない~A君のこと②

          『この世界の片隅で』①サハラ砂漠に会いに行って、流れ星が10分間隔で流れるのを見たのだ(その3)

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) サハラ砂漠を目指した旅、その3、です。前回は、サハラ砂漠に行くために中継となる街につき、そこで四駆の車に乗せてもらうところで終わりました。その続きから! かれこれ30分も、見渡す限り何も見えない、乾いた土の大地を走っていた、、、 4人はココロ躍らせていたから、そんなことどうでもよかった。 そしてそれが、1時間経過し、そして、1時間半くらい経つ頃、あああああああああーーーーー砂漠が見えてきた!のであった! あーーーあこがれ

          『この世界の片隅で』①サハラ砂漠に会いに行って、流れ星が10分間隔で流れるのを見たのだ(その3)

          『この世界の片隅で』一時保護所(その5)僕には居場所がどこにもない~A君のこと①

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) 夏の頃、A君という高校1年生の男の子が来た。 発達障害があり、家では、その特性ゆえの生活態度をめぐり、父親ともめたようで、保護されてきた。 A君は、真面目で勉強も意欲的に取り組み、保護所に来てしばらくは保護所内で勉強をするのだが、2週目以降は高校にも通学し始めた。 A君は特性として、あるひとつのことに強くこだわり、意味を深堀りする様子があり、授業や授業のあとでもいろいろと訊いてきた。 ある時は、「xx県のこのお祭りは

          『この世界の片隅で』一時保護所(その5)僕には居場所がどこにもない~A君のこと①

          『この世界の片隅で』①サハラ砂漠に会いに行って、流れ星が10分間隔で流れるのを見たのだ(その2)

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) サハラ砂漠を目指した旅行記の(その2)、です。 前回は(といっても前回のサハラ砂漠の記事を書いたのは2021年になっている、、、)モロッコに入国し、丸2日のキツイ、バスの旅のあと、やっと、砂漠の入り口の街に行く中継の街につき、そしてそこで、なにやら怪しい、二人組の日本人の大学生らしき男の子たちと出会う、というところまででした。 今回は、その怪しい二人組の男の子たちと、なんの縁か、一緒にサハラ砂漠に行くことになるお話しです。

          『この世界の片隅で』①サハラ砂漠に会いに行って、流れ星が10分間隔で流れるのを見たのだ(その2)

          『この世界の片隅で』キューバへ ①カストロに会いたくて

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂ました!) これまでの人生で、思い出深い旅行はどれ?と言われたら、きっと、ワタシはまよわず、すでにこのマガジン「この世界の片隅で」の中で書いた、モロッコから南にバスを乗り継いで、そこから四駆でたどりついたサハラ砂漠の旅(リンクは下記↓ まだ継続中。近日完結します!)と、この今回お話しするキューバの旅をあげると思う。 https://note.com/cello20172020/n/n18a301de4b16?sub_rt=share_

          『この世界の片隅で』キューバへ ①カストロに会いたくて

          いましかうまくなれないチェロ~2024年の先生とチェロとワタシ

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂ました!) 昨日はレッスンでした。 K先生は、最近、体調が悪いらしく、いつもなら、ガハガハガハと笑ったりするのが、最近は妙に機嫌の悪い顔をしている。 私は、先生が体調が悪くて教えてもらえない、などになったら超大事なので、いそいそと体調にいいらしいものを持っていき、無理やり食べさせようと、ただでさえ重いチェロを背にして、練習曲集を何冊もはいった手提げに、さらにレッスンを録画するためのビデオカメラのはいったリュックに、そして昨日は、K先生に

          いましかうまくなれないチェロ~2024年の先生とチェロとワタシ

          『この世界の片隅で』一時保護所(その4)命に嫌われている~N君が教えてくれた歌 ③

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂ました!) N君は、何度か、児童相談所の担当の人と相談し、年明けには自立支援ホームへ入居することがやっと決まった。 本人も、やっと一時保護所から出られる、と安堵している気持ちと、この先、自立支援ホームで周囲からの支援は得られても、そこからどう生きていくか、考えあぐね、不安に思っているようだった。 一時保護所の中の授業では、午後、心理担当や学習担当の職員が、子ども達をグループに分けて、社会のいろいろや、友達や家族の関係などを話し合い、意見

          『この世界の片隅で』一時保護所(その4)命に嫌われている~N君が教えてくれた歌 ③

          この世界の片隅で 一時保護所(その3) 命に嫌われている~N君が教えてくれた歌②

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) N君は、高校に通わなくなってから、一日中、一時保護所にいた。 保護所では、学校に通学しない子どもたちは、午前・午後とも、きまった時間割があり、それぞれに学校の勉強をしなくてはいけなかった。しかし、N君は、午前中、職員が何度起こしにいっても起きてこず、やっと、「昼食だよ」、と再度声をかけられてからしか部屋からでてこなかった。(子どもたちの部屋は個室になっていた。) あまりにやる気のない生活態度であったので、職員の人た

          この世界の片隅で 一時保護所(その3) 命に嫌われている~N君が教えてくれた歌②

          ②「あの日の家族たち」~寺内貫太郎のような父のこと《中編》~

          (写真はみんなのフォトギャラリーからいただきました!) 父の思い出といえば、父は、地元の行事が大好きで、8月の盆踊り、同じく8月の全国でも名の知れた大花火大会、10月の秋の氏神様のお祭りが大好きで、それぞれの行事が近づくと、町内会で準備することもあり、そわそわ、毎年嬉しそうにしていた。盆踊りやお祭りは、町内会の寄り合いを何度かしながら準備を重ね、その会があると必ず酒を飲むというのが楽しいらしく、さらに、氏神様のお祭りときたら、2か月くらい前から、祭りの日に和太鼓をたたく子ど

          ②「あの日の家族たち」~寺内貫太郎のような父のこと《中編》~

          ②「あの日の家族たち」~寺内貫太郎のような父のこと《前編》~

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) わたし達家族は、大工の父、その仕事を手伝う母、わたしより3歳上の姉、ワタシの4人家族だった。 三重県のド田舎で、18歳で生まれ故郷を出るまで、ワタシはマクドナルドもケンタッキーも見たことがなかった。ワタシの家から、歩いて3分くらいのところに、父方の祖母(以下、ばあちゃん)と、父の妹、いわばワタシのおばさんが2人で暮らしていた。 大工の父は、40代過ぎて胃癌を患うまで、とても太っており、どのくらい太っていたかというと、

          ②「あの日の家族たち」~寺内貫太郎のような父のこと《前編》~

          マガジン『家族の旬 人生の西』

          (写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました) いつしか人生の折り返し地点をとうに過ぎて、いつまでもいると思っていた家族もいつの間にか目の前から立ち去り、昭和から生きてきた家族の、あの日、あんなことを振り返るのは、ワタシしかいなくなりました。 折しも、2024年、2025年は、日本の、大転換点となるトシのようです。昭和の時代に、ド田舎で生まれ、貧しく、つつましく、四季折々を愛し、土地の山や海と一緒に生活してきた、けっして、幸せではなかったけれど、生きるのは、家族ってのは

          マガジン『家族の旬 人生の西』