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『この世界の片隅で』キューバへ ①カストロに会いたくて

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂ました!)

これまでの人生で、思い出深い旅行はどれ?と言われたら、きっと、ワタシはまよわず、すでにこのマガジン「この世界の片隅で」の中で書いた、モロッコから南にバスを乗り継いで、そこから四駆でたどりついたサハラ砂漠の旅(リンクは下記↓ まだ継続中。近日完結します!)と、この今回お話しするキューバの旅をあげると思う。

https://note.com/cello20172020/n/n18a301de4b16?sub_rt=share_pw

訪れたのはもう20年前になるのだが、きっとキューバは、カストロが亡くなった以外は、あまり変わっていないのではないかと思う。おそらくワタシの人生の中では、もう訪れることはないであろうキューバという、日本から遠く離れた、カリブ海の美しい国のことを書き残しておきたいと思う。

「そうだキューバに行こう」と思い立ったのは、社会人になり、開発コンサルタント会社に勤務して数年経過した頃だった。当時は、(今はとうに下火になったのではないかと思うが)「開発」や途上国支援などが人気の職で、メーリングリストなんかで、途上国開発とは?効果的な支援とは?などと活発に議論されていた頃だった(今もされているのだろうか?私はとうの昔にこの仕事を離れたのでよくわからない。そして、支援する日本そのものがすでに脆弱な途上国になりつつある今、開発支援、途上国支援、と聞いても、、、、な気分ではある。さておき、、、)私はその頃、途上国の教育支援に興味を持ち、教育普及の開発コンサルタントとしてはやく仕事をしたいと思っていた。

で、なんでキューバ?なのだが、キューバという国は、教育普及率がほぼ100%で、なぜキューバで教育普及率100%が成しえたのか、というテーマで世界銀行の調査報告書がまとめられており、教育開発を目指す私には、とても興味深いケーススタディであった。1990年から2000年当時、アフリカの最貧国の教育普及率は40%程度で、さらに発展したアフリカの国でも、教育普及率70%の壁を越えられないとされていた中で、キューバは高中所得国に分類されており、発展途上国ではもちろんないが、誰もとりこぼさない普及率100%はどうして成しえたのか、ということはとても魅力的なテーマで、世銀の報告書を読みつつ、まだ若く、これからキャリアを形成していくぞと胸を躍らせていた私は、ぜひこの自分の目で、本当に教育率100%なのか確認したいと思ったのであった。
 
さらに、当時、なぜか、カストロやチェ・ゲバラに興味を持った私は、あまり内容もよくわからんと思いながら、キューバ革命に関する本を読んでいた。特段、私は政治の好みもなく、今もないのだが、キューバ革命後、キューバの人々が幸せか、満足かはさておき、ある程度、社会インフラを行き届かせたと思えるキューバの政策は、大いに学ぶべきものがあるのではないかと思っていた。さらに、その状況は、当時すでに高齢であったカストロ議長が亡くなりでもしたら、たちまち崩れていくのではないか、と思った私は、「カストロ議長のいる間にキューバに行きたい」と、余命わずかの恋人にでも会いに行くように、いそいそとキューバへの旅を決めたのであった。
 
9月の大型連休に、有給休暇を足すと、11連休くらいになる。当時、若い社員の多かった私が勤めていたその会社では、その時期を狙って、みんな、長期旅行をしたりしていた。私はキューバ行きの為、早々と休暇届けを上司に提出した。行くと決めたら、キューバの観光ビザも取得しなければならないし、持っていくものも、ヨーロッパへの旅とは都合がちがってくるので、いろいろと準備しなければならなかったから、はやく休暇届けを出して、キューバ行きを確定させなければならなかったのである。当時、会社で同じ業務をしていた1年先輩のスエヒロさん(女性)は、私が9月に11連休をとると知ると、先を越されたか、、、という感じで、ひぇひぇひぇ~~と、音にもならないような驚いたような笑みを浮かべて私を見ていた。私は、「スエヒロさん、私、もうチケットとっちゃったんで」と、有無を言わさないでかい態度で言うと、スエヒロさんはあきらめたのか、何も文句は言わなかった。そうなのだ、私はキューバに行かなくてはならないのだ。
翌年9月、スエヒロさんは、私に何も言わず、11連休を取得し、うろ覚えだけれど、アジアかどこかの秘境に行くと言って出かけていった。
 
私はカストロとエメラルドブルーの海を恋焦がれて旅行の準備をしていたが、キューバに行くと知った母は、電話口で「なんでそんなおそろしいとこへ行くんやろうね、この娘は!」と、絶望に近い感じに絶叫した。そうなのだ、私が親なら、きっと同じように思うだろうし、そんな訳のわからない国に娘がひとりで行くなど、私なら妨害してでも止めさせると思うのだ。そんな母親の心配をよそに、ムスメはひとり、中米キューバを目指したのであった。
 
(次回につづく)

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