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②「あの日の家族たち」~寺内貫太郎のような父のこと《中編》~

(写真はみんなのフォトギャラリーからいただきました!)

父の思い出といえば、父は、地元の行事が大好きで、8月の盆踊り、同じく8月の全国でも名の知れた大花火大会、10月の秋の氏神様のお祭りが大好きで、それぞれの行事が近づくと、町内会で準備することもあり、そわそわ、毎年嬉しそうにしていた。盆踊りやお祭りは、町内会の寄り合いを何度かしながら準備を重ね、その会があると必ず酒を飲むというのが楽しいらしく、さらに、氏神様のお祭りときたら、2か月くらい前から、祭りの日に和太鼓をたたく子どもなどに教えたりすることもあって(父が教えているのではないが)、また町内会の寄り合いが月に何度かあったので、その度に父は、いそいそと出かけていくのだった。

父は、町内会ではひょうきん者で、冗談を言っては人を笑わせ、その合間には大酒を飲み、最後は、父の車を誰か他の人が運転して、その助手席に乗って送られて帰宅するか、ひどい時には、近所に住む、運転免許を持っている父の姪が、わざわざ父を迎えにいくことがあった。盆踊りも、花火大会も、お祭りも、子ども心には楽しみな行事であるはずなのだが、幼い頃から父が、こんな行事の時には必ずひどく酔って帰宅し、酔ったまま寝てくれると良いのではあるけれど、そのだらしがない姿に、母がたしなめるようなことを言おうものなら、大声を出して怒鳴り、時には物にあたって投げたりするなど、夜中でも騒々しかった。時には、付き添われて帰ったのに、送ってくれた人に、家にあがれあがれとしつこく、母に、「はよ酒ださんか!」と怒鳴りつけることもしょっちゅうだった。夜中の1時を回ろうとしているのに、ふすま1枚隔てた畳の部屋で、布団に横たわったワタシと姉は、隣の部屋で父が大声でしゃべり、そしてその声はやがて大きなイビキに代わり、母が恐縮しながら、父に付き添っておくってくれたおじさんに見送りの挨拶しているのを聞いていた。
母は、行事のある月が近づくと、「また嫌な季節がきたね、、、」とため息をつき、町内会で飲んで帰ってくる夜は、母は、いつも誰かに付き添われて帰ってくることに備え、パジャマにも着替えず、昼間の服のまま布団に横になっていた。そしてそれは、父がアルコール依存症になって、断酒するまで続いたから、父と母が結婚して、30年以上は、そんな夜が続いたことになる。

そんなだったから、ワタシも、母と同じように、楽しみであるはずの行事が憂鬱でしかたがなかった。ワタシや姉に対してだけなら、どんなにクダをまいても、夜中にだらしがなく千鳥足で歩いても、家の中で怒鳴っても構いやしなかったが、母に対して怒鳴ったり、母が憂鬱そうに服のままで寝ているのを見るのは、子ども心にも、哀れに思えた。それはいつしか、とてもはやい段階で、父への恨みや憎しみに代わっていって、ワタシが中学に上がる頃には、ワタシは父とはあまり会話をしなくなったように思う。
ワタシと姉はそれぞれ18歳で家を出て、それぞれの都市へ進学した。18歳で、東京に出て一人暮らしを始めた時は、夜中に父が酔って母に怒鳴りつけることに直面しなくて済むのは、平和だな、とはじめて思ったものだ。

父はもう8年前に亡くなったのだが、いつだったか、帰省した時だから、私が20代後半くらいだったと思うのだが、花火大会の日に見た父の後姿を今でもありありと思い出し、涙がでてくることがある。それは、花火大会が好きな父が、いつもなら、親戚一同で2時間ほどの花火を、事前に陣取っておいた場所にシートなどを敷いて、クーラーにビールやジュース、母がつくった海苔巻きやご馳走などがいっぱい入ったタッパーをいくつも並べ、花火が打ちあがる度に歓声をあげ、その合間にビールをつぎ、つがれて、楽しむのがうちの田舎のしきたりであったが、その年は、なぜか、いつも一緒に座って花火を鑑賞するはずの親戚の家に他の地方からかなりの数のお客さんが来ていて、うちの家とは別に場所をとり、花火をみることになったのである。そこで、父もそこに一緒に座らせてもらえばよいと思うのだが、普段は大口をたたいても、気が小さく遠慮がちなところのある父は、同席せず、かといって、うちの家族には、その頃、痴ほう症で寝たきりのばあちゃんがいたから、その世話をしていた母は外出できず、ワタシも酒を飲む父と花火を見に行く気分にはなれず、結局父はひとりで、毎年楽しみにしている花火を見に行った。その時の姿は、「みている時にお客さんがくるかもしれないから」と言って、ビールを入れたクーラーに、母の海苔巻きの入ったタッパーに、地元でとれた魚を焼き食いするための、電気式の魚焼き機に、と背中にも両手にもいっぱい抱えた、なんとも形容しがたい、テレビでよく見る姿で言えば、芦屋雁之助さん扮する裸の大将が大荷物を持ってよたよたしながら歩いているような、そんな哀れというか、どこか淋し気な後姿だった。その後ろ姿をみて、ワタシは、年に一度、大勢でわいわいと酒を飲んでみるのが楽しみな花火に、父ひとりで送り出すのがかわいそうに思え、ワタシひとりでもついて行ってやったらよかった、と思いながら、出掛ける父の後ろ姿を見送った。
その花火の夜、ひとりで帰宅した父はとても機嫌が悪く、物にあたったり、怒鳴ったりで、ひともんちゃくを起こし、近所に住む父の従弟になだめられていた。ワタシは、父が、1年にたった1回めぐってくる花火大会を、いつものようににぎやかに楽しく過ごしたかったのに、ひとりわびしく、酒を酌み交わす相手もいないまま派手にあがる花火をみていたことが腹立たしくてならないのだろうと思った。なので、いつもなら、理不尽なことで怒り狂い、物にあたったりする父を情けなく思っていたワタシだが、その日だけは、父のことがかわいそうに思えてしかたがなかった。あの日の夕暮れ、短パンをはいた父がバカみたいに大荷物をしょって出かけた姿を、何10年も、想いかえし、そのたびに父に申し訳なかったと思わずにはいられないのだ。

(あの日の家族たち~寺内貫太郎のような父のこと≪中編≫:了。
 次回につづく)

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