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『この世界の片隅で』

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学生時代の旅、海外留学時代、仕事での海外勤務、ただの旅、、、で長期短期に滞在した国は、ヨーロッパ(イタリア、フランス、イギリス、スペイン等)、アジア(インド、ラオス)、アフリカ(… もっと読む
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記事一覧

パンデミック条約反対デモ 4月13日@池袋に参加しました!

快晴の今日、池袋中央公園発の、パンデミック条約反対デモに参加してきました。 池田としえ先…

いちあ
3週間前
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『この世界の片隅で』一時保護所(その6)僕には居場所がどこにもない~A君のこと②

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) 前回からの続きです。前回(その5)は…

いちあ
1か月前
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『この世界の片隅で』①サハラ砂漠に会いに行って、流れ星が10分間隔で流れるのを見た…

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) サハラ砂漠を目指した旅、その3、です…

いちあ
1か月前
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『この世界の片隅で』一時保護所(その5)僕には居場所がどこにもない~A君のこと①

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) 夏の頃、A君という高校1年生の男の…

いちあ
1か月前
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『この世界の片隅で』①サハラ砂漠に会いに行って、流れ星が10分間隔で流れるのを見た…

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) サハラ砂漠を目指した旅行記の(その2…

いちあ
1か月前
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『この世界の片隅で』キューバへ ①カストロに会いたくて

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂ました!) これまでの人生で、思い出深い旅行はどれ…

いちあ
1か月前
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『この世界の片隅で』一時保護所(その4)命に嫌われている~N君が教えてくれた歌 ③

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂ました!) N君は、何度か、児童相談所の担当の人と相談し、年明けには自立支援ホームへ入居することがやっと決まった。 本人も、やっと一時保護所から出られる、と安堵している気持ちと、この先、自立支援ホームで周囲からの支援は得られても、そこからどう生きていくか、考えあぐね、不安に思っているようだった。 一時保護所の中の授業では、午後、心理担当や学習担当の職員が、子ども達をグループに分けて、社会のいろいろや、友達や家族の関係などを話し合い、意見

この世界の片隅で 一時保護所(その3) 命に嫌われている~N君が教えてくれた歌②

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました!) N君は、高校に通わなくなってから、一…

いちあ
1か月前
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この世界の片隅で 一時保護所(その2) 命に嫌われている~N君が教えてくれた歌①

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました) 2022年から1年弱、児童相談所の一時保護…

いちあ
2か月前
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東京・一時保護所の片隅で (その1)

2022年から1年弱、児童相談所の一時保護所で勤務していました。 なんらかの家庭の事情で、児童…

いちあ
11か月前
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『この世界の片隅で』①サハラ砂漠に会いに行って、流れ星が10分間隔で流れるのを見た…

注)御礼:この写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました。 マガジン『この世界の片隅で…

いちあ
2年前
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【コラム4】アフリカの真珠 カンパラミュージックスクール物語①

注)写真は私が音大入学前にアフリカで働いていた時のものです。アフリカの数多くの国では、女…

いちあ
3年前
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【コラム3】フィレンツェの片隅で その③ 私の初めてのチェロの先生 Laraの想い出

コラム最終回です。 Laraの家は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のある大広場から、…

いちあ
3年前
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【コラム2】フィレンツェの片隅で その②~私のはじめてのチェロの先生  Laraの想い出

その1の続きです。 さて、フィレンツェに無事についた私は、フィレンツェで住むことになっていたアパートへ向かった。Lauraという、20代後半の女の子が迎えてくれて、重いと言いながらも、必死に私のスーツケースを4階まで階段であげてくれた。Lauraは、私が通う語学学校(Scuola Leonardo da Vinci校)のオーナーの娘さんだったみたいで、その広いアパートに一人暮らしをしていた。きれいなアパートで、安心して生活を始められそうだった。 早速翌日から語学学校