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【コラム2】フィレンツェの片隅で その②~私のはじめてのチェロの先生  Laraの想い出

 

その1の続きです。

さて、フィレンツェに無事についた私は、フィレンツェで住むことになっていたアパートへ向かった。Lauraという、20代後半の女の子が迎えてくれて、重いと言いながらも、必死に私のスーツケースを4階まで階段であげてくれた。Lauraは、私が通う語学学校(Scuola Leonardo da Vinci校)のオーナーの娘さんだったみたいで、その広いアパートに一人暮らしをしていた。きれいなアパートで、安心して生活を始められそうだった。

早速翌日から語学学校が始まり、学校は、フィレンツェのDuomo サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(写真の聖堂です!)から歩いて5分もかからない、中心地にあった。夏休みに近い、6月、7月だったので、ヨーロッパ人ばかりのクラスで、人は多かったが、学校はかなりまじめな学校で、学校が制作した独自の教科書もあり、かなり早い進度で進むようで、みんなまじめに勉強していた。学校は午前の4時間で、13時くらいに終わり、午後はフリーなので、バカンスに来ていた学生たちはみんな、午後に近辺のシエナだとかに出かけたりしていた。

私は初めの2週間くらいは生活と学校になれるのが精いっぱいであったが、やっと3週間目に、学校に相談して、チェロの先生を探すお手伝いをもらい、やっと一人、学校からすぐ近くに住む、Laraという、フィレンツェ近郊の音楽大学を卒業した女の子にチェロを習うことになった。

Laraは、私とほぼ同じくらいの年齢で、落ち着いた感じの人だった。Laraは、私が初心者で、さらに、チェロをこれからこの街で買うのだと伝えると、早速、チェロを購入するために、学校帰りに、フィレンツェの街の楽器屋さんに付いていって試奏してあげる、と言ってくれた。

楽器屋さんに行った日、5本くらいある中から、ドイツ製、英国のブランド(実は組み立ては中国)の2本を最終的に選んでくれ、1時間くらいかけて引き比べたLaraは、『うーん、ドイツ製もいいんだけど、この中国製のが、かなり響きがいいんだよね、、、これにしたら。』と悩んで1本選んでくれた。Stentorという、英国のブランドで、初心者や学生が使う、初めての1本、という感じのチェロであったけれど、とても木目が美しく、1000ドルの安物には見えず、私はとても気に入った。

お金を払って、ソフトケースに入れたチェロを背負ってお店をでたところで、Laraが手を差し出してきて、『よかったね、初めてのチェロを手にしたね!』と握手した。なぜか、私は、とてもうれしく、とてもすがすがしい気分になった。そうなのだ、私は人生ではじめてのチェロを手にしたのだ。Laraは、その日、付き合ってくれた分のお礼もとらず、純粋に私のチェロの購入につきあってくれ、なんだかとてもうれしい、甘ずっぱい気分になった。そうして、Laraと握手した、フィレンツェでの午後の日を、いまでも、とても鮮明に思い出すのだ。

さて、その週から、Laraとのレッスンが週2回ではじまった。

Laraは、アパートにお母さんと二人で住んでいた。フォッギという名前のグレーの毛並みの猫がいて、私とLaraがレッスンしていると、広げたままの私のチェロのソフトケースに入って寝ようとして、何度もLaraに怒られていた。

レッスンは、もちろん初心者の私には難しく、楽器の構えから、初めてのドレミの指の並べ方から、とにかくわからないことだらけであったが、Laraが根気強く教えてくれた。音程がわからず、なおせないと、『ねぇ、なんで音程そこでなおさないの?』と怒られた。

Laraは、実は自分のお父さんは、日本の静岡にいて、日本人と再婚している、自分も年に1回は会いに行っている、などと話してくれた。そして、その話をする時はいつも、隣の部屋にいるお母さんのことを気遣ってか、声をひそめて言っていた。

私のフィレンツェ滞在は2か月だったので、Laraとのレッスンは8回とか10回とかだったと思うのだが、すっかり打ち解けて、このままレッスンしたい、フィレンツェにいたいな、などと考えてしまった。

フィレンツェでの生活は、音楽のコンサートも多く、当時、フィエゾーレという、フィレンツェ近郊の街で、私ははじめて野外でオペラを聴いた。なにも事情を知らない私は、オペラの舞台の下に、オーケストラが入っているピットを見て、心底びっくりしたり、毎日、お気に入りのカフェでお茶したり、楽しい毎日であった。いつしか、ここに住みたいと思ってしまった。

観光者は、おそらく、このフィレンツェに行くと、ダビデの丘に登ると思うのだが、私がこのダビデの丘に登った時、夕暮れで、日が落ちる寸前だったのだが、そこから望む、フィレンツェの街並みがあまりに幻想的で美しいのに、私はびっくりしてしまった。こんな場所に車が走っているのはおかしい、ここは、巻き毛のモーツアルトなんかが、今目の前で馬車に乗って通りすぎないとおかしい、と思ってしまった。もしこれからフィレンツェに行く人には、絶対に、日中と、夕暮れをここで体験してほしいと心からおススメなのである。

結局、2か月の滞在のあと、フィレンツェを去るのだが、その後、私は怒涛の10数年にわたるアフリカ暮らしで、2010年になるまで、Laraが選んでくれたチェロは、ただの一度も触られることなく、実家に眠ることになった。

次回は、このコラムの最終回、Laraとの2012年の再会、そして、永遠の別れについてです。

チェロで大学院への進学を目指しています。 面白かったら、どうぞ宜しくお願い致します!!有難うございます!!