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この世界の片隅で 一時保護所(その2) 命に嫌われている~N君が教えてくれた歌①

(写真はみんなのフォトギャラリーから頂きました)

2022年から1年弱、児童相談所の一時保護所で勤務していました。
なんらかの家庭の事情で、児童相談所に保護され、最終的な生活の場を決定する間、子供たちが生活するのが一時保護所というところです。
その頃の思い出を、書き残しておきたい衝動がおさえられず、ここに宝もののようなキラキラした思い出を残しておきたいと思います。(その1)からの続きです。シリーズです。


一時保護所での仕事が慣れてきたころ、N君という男の子がやってきた。
N君は高校1年生で、見た目は、やせ型で、とーーーーっても暗い感じに見えた。
そして、一番特徴的であったのは、なぜか、保護所の壁にもたれかかりながら、今にも崩れ落ちそうな感じで、瀕死の人が最後の力を振り絞るかのように歩くことだった。
最初それを見た時は衝撃だったのだが、数日もすると見慣れてきた。そして、N君はいつもそうして歩くのではなく、気分がいい時は普通に歩き(しかし、かなり背中を丸めているが)、食事も、とらないのかしらと思えば、ちゃんと食事もとり、夜間の自由時間などには一緒に滞在している子どもたちと交流もあった。しかし、大体は、朝、他の子ども達よりも遅く起き、部屋から出てくる時は、やはり、壁にもたれながら、よろよろと歩き、部屋から共同のホールまで歩くのに、普通なら10秒もかからないところを、2-3分かけて歩いていた。

一時保護所には、月に何度か、子ども達を連れて散歩にでかける機会が設けられていたのだが、たまたま、私は、7月だか、暑い日だったと記憶しているが、散歩で、N君の隣を歩くことになり、いろいろ訊いてみた。
N君は、話すと、ぽつぽつだが、自分のことをきちんと、その感情も説明しながら話した。親のこと、兄弟のこと、祖母のこと。そして意外だったのは、普段はため息ばかりでうつむいていることが多いのだが、伸ばした前髪からのぞく瞳が、笑うととてもかわいいということだった。
N君は、小学生の頃からも保護歴があり、高校受験の時も、施設から受験勉強をしてのぞみ、合格していた。再度、家庭の事情があり、一時保護されてきたのだと言う。

N君は、来た当時は暗そうにしていたが、しばらくして、高校にも通学し始めた。
順調なのかな、、、そう思っていた時に、N君は、なぜかだんだん学校に通学できなくなってきて、朝になっても部屋にいることが多くなった。本人に訊ねると、理由はいろいろあるようだったけれど、困ったのは、そんなに休むなら高校を辞めたら、と言われていたことだった。

高校をやめたりしたら、不利になるし、あとで高校検定を受験するのも大変になるので、辞めるのは一番最後の選択肢だよ、と私は機会あるごとにN君に言っていた。N君は「わかってます。やめたらすごい不利になるのは、、、」としっかりと返事をしていたが、それでも、なかなか学校には通学できなかった。保護所にいる間、保護者との面談などもあるのだが、面談が終わると、N君の精神的打撃が大きい時があり、決まって、面談のあとは、N君が、西部劇で銃弾に倒れて、あと数歩しか歩けない人みたいに、肩を壁に寄りかからせながら、足はがくがくと老人のように歩いていた。それを見て、職員たちは、あーN君、また打撃受けたんだな、と思っていたみたいだった。

(次回につづく)


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