玻璃~はり~

終活として私の人生の棚卸し。 自分の生きてきた道を振り返って、家族のことや関わってきた…

玻璃~はり~

終活として私の人生の棚卸し。 自分の生きてきた道を振り返って、家族のことや関わってきた人たちとのエピソードを書き残します。

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はぎいろモンタージュ 自己紹介

はじめまして。玻璃(はり)です。 終活として・・・。 私の人生を振り返って、 個性的な家族や関わってきた人たち、あの時伝えたかった言葉やエピソードを綴っていきます。 今日は初めての投稿なので、簡単な自己紹介を。 私は、アポロ11号が月面着陸をした年に山口県萩市で四人姉妹の末っ子として生まれました。 小さいときから大人ばかりの中で育った“おませちゃん”。 激動の実家話はまた追々。 今は仕事をしながら介護をしつつ趣味に励む毎日です。 さて、このエッセイのタイトル「はぎいろ

    • ぼくの好きな先生③

      おいでませ。玻璃です。 ショージ先生のハナシが続く。 「もういいよ!」と言う声が聞こえてきそうだが、ここは私の終活エッセイなのでお付き合い願いたい。 記憶に留めておきたい先生だからだ。 3年生の夏がやってきた。 夏休み前に 「みんなで海行きたくない?」 誰からともなく出た声。 「どうせならクラスで行きたくない?」 男子達にも聞いてみた。 「ええよー。みんなで行こう。」 と言うことになり、ショージ先生も誘うことに。 先生は喜び、二つ返事でオッケーだ。 夏休みのある

      • ぼくの好きな先生②

        おいでませ。玻璃です。 皆さんは人生の中で「この人こそ私の先生」と言える先生がいるだろうか? 私にとっての先生…ショージ先生についてシリーズで語っている。 夜遅くまで起きているせいで朝が苦手な私。 3年生ともなると、自転車通学はヘルメット必須だったため自転車を使うのはやめてバスで行っていた。 でも、そのバスの時間すら間に合わないダラダラぶりで、毎朝朝食は摂らずカップに入れた紅茶を持って母の車で送ってもらっていた。 母は私に甘かったんだなぁと今は思う。 それでも、遅刻する

        • ぼくの好きな先生①

          おいでませ。玻璃です。 私のこれまでの人生の中で、印象に残る先生がいる。 ショージオサム先生だ。 中2、中3と持ち上がりの担任。 私が2年生の時のクラスがショージ先生にとって教師生活で初めて受け持つクラスだった。 当時27歳。男子の体育教師。 色黒で背は低く学生の頃ラグビーで鍛えた筋肉。(マッチョではない) 顔は間寛平と忌野清志郎と足して2で割ったような感じ。 今回はこのショージ先生についてシリーズで語っていきたいと思う。 担任になる前の年のこと。 ショージ先生は新車の

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        はぎいろモンタージュ 自己紹介

          あの花畑で

          おいでませ。玻璃です。 中学生の私の帰る時間はバラバラだ。 学校からまっすぐ帰る日もあれば、友達と遊んで暗くなって帰ったり、塾で遅くなったり。 どんな時間に帰っても、私が玄関横に自転車を置くと ジャラジャラ…。 首輪についた鎖の音をさせてトミーが小屋から出てくる。 「トミー、ただいま~。」 私はトミーの頭を撫でて家に入る。 小学生の時は散歩に連れて行っていたが、中学生になると基本的に自分の事しか考えていないので、散歩は父か母の役目だった。 ある日、同じように自転車

          地下道のヒーロー

          おいでませ。玻璃です。 私の教室は古い校舎の一番端で、裏門がよく見える。 なんだか今日は、裏門辺りが騒がしい。 「あの人だよ。鑑別所に行ってた人。」 小柄でセーラー服の上着の丈はこれでもかというほど短く、スカートは長い。 薄っぺらな学生鞄をブラブラさせながら、髪を染めた3年生の先輩が向こう側の新校舎に向かってゆっくりと歩いている。 「あー、あの人が例の先輩ね。」 私はとんちゃんと初めて見るその先輩を廊下の窓から眺めた。 そして、その日の昼休み。 「このクラスに玻

          地下道のヒーロー

          中二病

          おいでませ。玻璃です。 中学2年生になり、クラス替えもあって窓際族は解散となった。 それぞれ全く違うクラスになったのだ。 それでも私たちは休日や放課後は一緒に遊ぶことも多かった。 ただ、クラスの中にも一緒にいる友達が必要だ。 何のきっかけだったかは覚えていないが、新しく友達になったのが「とんちゃん」だ。 とんちゃんと行っても豚さんの「とん」ではなくトモコちゃんの「とんちゃん」。 とんちゃんはご両親が離婚していて、お母さんと二人暮らし。 お母さんはスナックを経営されていた

          ラジオの時間です

          おいでませ。玻璃です。 中学生のこの頃、父が独立して工務店を開業した。 羽振りの良い元請業者との付き合いが始まり、父もその影響で潤うことができた。 その勢いで、家の庭部分に増築をした。 平屋だった祖父の建てたこの家が、廊下の突き当りから階段ができて二階建てとなった。二階には3部屋。 その一つの日当たりの良い部屋がマイルーム。 爽やかな薄いピンクのカーテンに白い壁。新しいレコードカセットプレーヤーも買ってもらって、夢のような生活が始まった。 一階の勝手口のところから出ると

          ラジオの時間です

          缶ペンケースのおもひで

          おいでませ。玻璃です。 中学生活は順調だ。 まず、小学生の時と大きく違うのは、教科ごとに先生が変わること。 教科ごとに個性ある先生が多く,、モノマネ好きな私たち窓際族の話のネタとなった。 女子の体育教師でスラリと背が高く、日に焼けたショートカット、水泳の木原光知子さん似の「おだばあ」。 家庭科教師で体の比率が湯婆婆に似た「とくばあ」。 (基本女性の中年以降の先生は”ばあ”がつく) 国語教師で20代半ばのスポーツウーマン、全校生徒でマラソンをする耐寒訓練では先頭をまるで

          缶ペンケースのおもひで

          中学生になりました

          おいでませ。玻璃です。 6年間通った明倫小学校を無事卒業した私は、市内でも一番大きな中学校に入学した。 萩市立第一中学校。 第一だからといって第二があるわけではない。 萩市民は一中(いっちゅう)と呼んでいた。 私の在籍中は1学年8クラスあり、市内では一番大きな中学校だ。 私の家は自転車通学の区域だった。 自宅から自転車で約15~20分くらいだっただろうか? 中学入学と同時に買ってもらった新しい自転車でヘルメットを被り、まだ購入した時の折り目の跡が残るセーラー服を着て国道

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          会話のチカラ

          おいでませ。玻璃です。 小学生生活も残りわずか。 卒業前にクラスのみんなに自分用の寄せ書きを書いてもらう。 「中学生になっても遊ぼうね」 「中学は別々だけどずっと友達!」 「これからも明るく元気な玻璃ちゃんでいてね」 などなど、みんなかわいいイラストを描いてくれたりして賑やかでかわいい寄せ書きになった。 その中で、竹内さんこと「おタケ」の書いてくれた言葉に目がとまった。 「掃除の時間に話してくれてありがとう」 「ん?掃除の時間?」 私はピンとこないまま、脳みその記

          会話のチカラ

          正義は勝つ

          おいでませ。玻璃です。 小学6年生くらいになると男女の成長に差が出てくる。 女子の方が精神的に少し大人びてきて、男子の方はまだまだやんちゃな面が多い。 我がクラスの男子のやんちゃぶりに、女子たちは困っていたし、腹が立っていた。 何かといえば変なあだ名を付けて、からかってくる。 私のあだ名は、旧姓の苗字に「宮」が付くからと、付けられたあだ名は「宮尾すすむ」。それが短くなって「すすむ」と呼ばれていた。 ゆみちゃんは、オナラをしたと濡れ衣を着せられて、「ガスタンク」からの「

          語り継ぐための修学旅行

          おいでませ。玻璃です。 6年生の春、待ちに待った修学旅行。 行き先は隣の県の広島。 さすがに40年以上前なので、コースなどはハッキリ覚えていない。 まず観光地として思い出すのは厳島神社。 その荘厳な雰囲気は小学生の私でも身が引き締まるような心持ちだった。 海の向こう側に見える鳥居の立ち姿は見たことのない美しさだった。 宮島の公園で鹿と戯れて、お土産には定番のもみじまんじゅうを買う。 土産物屋の前では、当時お笑いで流行したB&Bのネタ「もみじまんじゅう!!」を必ずやる。

          語り継ぐための修学旅行

          小さな恋のメロディ

          おいでませ。玻璃です。 私の小学生生活もあと一年。 小学6年生になった私はばあちゃんの家での暮らしやバス通学にも慣れ、毎日充実した日を過ごしていた。 小学6年生ともなると友達同士、恋バナで盛り上がる。 この頃の私の恋と言えば、他のクラスの「前ちゃん」こと前田くん。 背がすらりと高く、少し面長でイケメンタイプ。 学校の放課後に活動するサッカー部に所属していてスポーツ万能。 勉強はクラスが違うのでよくわからなかったが、モテモテボーイだったと思う。男子同士ではその面長な顔とすら

          小さな恋のメロディ

          呑んだ夜には

          おいでませ。玻璃です。 ばあちゃんの家が私の家になったこの頃、父は転職をした。 家から歩いて5分とかからない所に洋平の実の兄、清が結婚をして住んでいた。清おじさんは板金業をやっていて、父はそこで働くことになった。 清おじさんは奥さんと白いプードル2匹と暮らしている。 幼い頃にバラバラに育った兄弟が大人になって一緒に仕事をするようになった。普段は仲良くしていたが、お酒やギャンブルが大好きな父と真面目な清おじちゃんは時々喧嘩もしていた。 父は飲み友達と繰り出すことが多かった

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          港町へ

          おいでませ。玻璃です。 ばあちゃんとの悲しい別れから少し経って、母からまたあの言葉が。 「玻璃ちゃん、また引っ越しするんやけど。」 この武家屋敷を出て、ばあちゃんの家に引っ越すという。 亡くなったじいちゃんの兄である”まぁま兄”と呼ばれるおじいさんと家を相続する話ではかなり揉めたらしいが、結局父、洋平が家を相続することになったらしい。 ばあちゃんの家は、城下町の武家屋敷からすると市内でも反対側の漁業の街だ。国道を挟んだ向こう側には港があり、たくさんの漁船が並んでいる。