玻璃~はり~

終活として私の人生の棚卸し。 自分の生きてきた道を振り返って、家族のことや関わってきた…

玻璃~はり~

終活として私の人生の棚卸し。 自分の生きてきた道を振り返って、家族のことや関わってきた人たちとのエピソードを書き残します。

記事一覧

屋根の上

おいでませ。玻璃です。 私立の高校に入学が決まっていた私は、公立組の生徒たちよりも早く、卒業を待つばかりの気楽な毎日になった。 父は工務店の仕事は行ったり行かな…

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ぼくの好きな先生 ファイナル

おいでませ。玻璃です。 胡散臭いおじさんはあれ以来見かけなくなった。 その分、父も母も出かける事が多くなってきたようだ。 何が起きているのかわからないながら、私…

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美味しい香り、怪しい香り

おいでませ。玻璃です。 順調にいっていたはずの父の工務店の様子が少しおかしい。 抱えていた職人さんも一気に減ったし、事務員のヤマモトさんも辞めてしまった。 また父…

玻璃~はり~
2週間前
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萩っ子の青春記録

おいでませ。玻璃です。 今日は箸休め回。 中学時代に友人とよく通った場所やお店を振り返ってみる。 思い出として一番残っているのは菊が浜だ。 いつも話に出てくる萩市…

玻璃~はり~
3週間前
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抜け出せない沼

おいでませ。玻璃です。 ショージ先生の逸話はまだまだあるのだが、しばし休憩。 この頃、我が家族はどんな状態だったのか少しお話ししようと思う。 これまでのエピソー…

玻璃~はり~
4週間前
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ぼくの好きな先生③

おいでませ。玻璃です。 ショージ先生のハナシが続く。 「もういいよ!」と言う声が聞こえてきそうだが、ここは私の終活エッセイなのでお付き合い願いたい。 記憶に留めて…

玻璃~はり~
1か月前
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ぼくの好きな先生②

おいでませ。玻璃です。 皆さんは人生の中で「この人こそ私の先生」と言える先生がいるだろうか? 私にとっての先生…ショージ先生についてシリーズで語っている。 夜遅…

玻璃~はり~
1か月前
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ぼくの好きな先生①

おいでませ。玻璃です。 私のこれまでの人生の中で、印象に残る先生がいる。 ショージオサム先生だ。 中2、中3と持ち上がりの担任。 私が2年生の時のクラスがショージ…

玻璃~はり~
1か月前
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あの花畑で

おいでませ。玻璃です。 中学生の私の帰る時間はバラバラだ。 学校からまっすぐ帰る日もあれば、友達と遊んで暗くなって帰ったり、塾で遅くなったり。 どんな時間に帰って…

玻璃~はり~
1か月前
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地下道のヒーロー

おいでませ。玻璃です。 私の教室は古い校舎の一番端で、裏門がよく見える。 なんだか今日は、裏門辺りが騒がしい。 「あの人だよ。鑑別所に行ってた人。」 小柄でセー…

玻璃~はり~
2か月前
16

中二病

おいでませ。玻璃です。 中学2年生になり、クラス替えもあって窓際族は解散となった。 それぞれ全く違うクラスになったのだ。 それでも私たちは休日や放課後は一緒に遊ぶ…

玻璃~はり~
2か月前
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ラジオの時間です

おいでませ。玻璃です。 中学生のこの頃、父が独立して工務店を開業した。 羽振りの良い元請業者との付き合いが始まり、父もその影響で潤うことができた。 その勢いで、…

玻璃~はり~
2か月前
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缶ペンケースのおもひで

おいでませ。玻璃です。 中学生活は順調だ。 まず、小学生の時と大きく違うのは、教科ごとに先生が変わること。 教科ごとに個性ある先生が多く,、モノマネ好きな私たち窓…

玻璃~はり~
2か月前
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中学生になりました

おいでませ。玻璃です。 6年間通った明倫小学校を無事卒業した私は、市内でも一番大きな中学校に入学した。 萩市立第一中学校。 第一だからといって第二があるわけではな…

玻璃~はり~
3か月前
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会話のチカラ

おいでませ。玻璃です。 小学生生活も残りわずか。 卒業前にクラスのみんなに自分用の寄せ書きを書いてもらう。 「中学生になっても遊ぼうね」 「中学は別々だけどずっと…

玻璃~はり~
3か月前
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正義は勝つ

おいでませ。玻璃です。 小学6年生くらいになると男女の成長に差が出てくる。 女子の方が精神的に少し大人びてきて、男子の方はまだまだやんちゃな面が多い。 我がクラス…

玻璃~はり~
3か月前
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屋根の上

屋根の上

おいでませ。玻璃です。

私立の高校に入学が決まっていた私は、公立組の生徒たちよりも早く、卒業を待つばかりの気楽な毎日になった。

父は工務店の仕事は行ったり行かなかったり、焼き肉屋をやったりやらなかったり。なんだかやさぐれた様子で自室にこもり、暗い部屋でお得意の爪の甘皮を剥いでいた。

この頃、焼き肉屋の営業は最初ほどの繁盛はないもののなんとか営業できていたと思うが、なぜかこの頃の記憶があまりな

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ぼくの好きな先生 ファイナル

ぼくの好きな先生 ファイナル

おいでませ。玻璃です。

胡散臭いおじさんはあれ以来見かけなくなった。

その分、父も母も出かける事が多くなってきたようだ。
何が起きているのかわからないながら、私はいつも通りの生活を送っていた。

学校では仲の良い友達に囲まれて、毎日楽しんでいたと思う。

その頃、学校では受験に向けて面接の練習が行われていた。
出席番号順にひとりずつ職員室に行き、ショージ先生と面接の練習だ。

当然自習となった

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美味しい香り、怪しい香り

美味しい香り、怪しい香り

おいでませ。玻璃です。

順調にいっていたはずの父の工務店の様子が少しおかしい。
抱えていた職人さんも一気に減ったし、事務員のヤマモトさんも辞めてしまった。
また父は仕事を変えたのだろうか?
なんだかわからないが、急に母が焼き肉屋を始めた。
きっと父の仕事上で何かがあったのだろう。

家からは離れているが、街の方にあったこの焼き肉店は繁盛していた。
母は旅館の女将をやっていた頃のように店を切り盛り

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萩っ子の青春記録

萩っ子の青春記録

おいでませ。玻璃です。
今日は箸休め回。
中学時代に友人とよく通った場所やお店を振り返ってみる。

思い出として一番残っているのは菊が浜だ。
いつも話に出てくる萩市を代表する海水浴場。

この浜には夏に泳ぎに行った思い出ももちろんあるが、この頃の萩の若者はなんと言っても手漕ぎボートの思い出だろう。

よく公園や湖などでも見かける三人乗りの手漕ぎボート。
菊が浜に貸しボート屋さんは何軒かあったが私た

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抜け出せない沼

抜け出せない沼

おいでませ。玻璃です。

ショージ先生の逸話はまだまだあるのだが、しばし休憩。
この頃、我が家族はどんな状態だったのか少しお話ししようと思う。

これまでのエピソードをずっと読んでくれている読者の皆さんは、私の父母の性格はおおよそわかって頂けていると思う。

お人好しの見栄っ張り。

この性格ゆえに大きな旅館を手放すことになった。

やっとそこから持ち直し、家も父方の実家を引き継ぎ定住できることに

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ぼくの好きな先生③

ぼくの好きな先生③

おいでませ。玻璃です。

ショージ先生のハナシが続く。
「もういいよ!」と言う声が聞こえてきそうだが、ここは私の終活エッセイなのでお付き合い願いたい。
記憶に留めておきたい先生だからだ。

3年生の夏がやってきた。
夏休み前に

「みんなで海行きたくない?」
誰からともなく出た声。

「どうせならクラスで行きたくない?」
男子達にも聞いてみた。

「ええよー。みんなで行こう。」

と言うことになり

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ぼくの好きな先生②

ぼくの好きな先生②

おいでませ。玻璃です。

皆さんは人生の中で「この人こそ私の先生」と言える先生がいるだろうか?
私にとっての先生…ショージ先生についてシリーズで語っている。

夜遅くまで起きているせいで朝が苦手な私。
3年生ともなると、自転車通学はヘルメット必須だったため自転車を使うのはやめてバスで行っていた。
でも、そのバスの時間すら間に合わないダラダラぶりで、毎朝朝食は摂らずカップに入れた紅茶を持って母の車で

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ぼくの好きな先生①

ぼくの好きな先生①

おいでませ。玻璃です。
私のこれまでの人生の中で、印象に残る先生がいる。
ショージオサム先生だ。

中2、中3と持ち上がりの担任。
私が2年生の時のクラスがショージ先生にとって教師生活で初めて受け持つクラスだった。
当時27歳。男子の体育教師。
色黒で背は低く学生の頃ラグビーで鍛えた筋肉。(マッチョではない)
顔は間寛平と忌野清志郎と足して2で割ったような感じ。

今回はこのショージ先生についてシ

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あの花畑で

あの花畑で

おいでませ。玻璃です。

中学生の私の帰る時間はバラバラだ。
学校からまっすぐ帰る日もあれば、友達と遊んで暗くなって帰ったり、塾で遅くなったり。
どんな時間に帰っても、私が玄関横に自転車を置くと

ジャラジャラ…。

首輪についた鎖の音をさせてトミーが小屋から出てくる。

「トミー、ただいま~。」

私はトミーの頭を撫でて家に入る。
小学生の時は散歩に連れて行っていたが、中学生になると基本的に自分

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地下道のヒーロー

地下道のヒーロー

おいでませ。玻璃です。

私の教室は古い校舎の一番端で、裏門がよく見える。
なんだか今日は、裏門辺りが騒がしい。

「あの人だよ。鑑別所に行ってた人。」

小柄でセーラー服の上着の丈はこれでもかというほど短く、スカートは長い。
薄っぺらな学生鞄をブラブラさせながら、髪を染めた3年生の先輩が向こう側の新校舎に向かってゆっくりと歩いている。

「あー、あの人が例の先輩ね。」

私はとんちゃんと初めて見

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中二病

中二病

おいでませ。玻璃です。

中学2年生になり、クラス替えもあって窓際族は解散となった。
それぞれ全く違うクラスになったのだ。
それでも私たちは休日や放課後は一緒に遊ぶことも多かった。

ただ、クラスの中にも一緒にいる友達が必要だ。
何のきっかけだったかは覚えていないが、新しく友達になったのが「とんちゃん」だ。

とんちゃんと行っても豚さんの「とん」ではなくトモコちゃんの「とんちゃん」。
とんちゃんは

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ラジオの時間です

ラジオの時間です

おいでませ。玻璃です。

中学生のこの頃、父が独立して工務店を開業した。
羽振りの良い元請業者との付き合いが始まり、父もその影響で潤うことができた。

その勢いで、家の庭部分に増築をした。
平屋だった祖父の建てたこの家が、廊下の突き当りから階段ができて二階建てとなった。二階には3部屋。
その一つの日当たりの良い部屋がマイルーム。
爽やかな薄いピンクのカーテンに白い壁。新しいレコードカセットプレーヤ

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缶ペンケースのおもひで

缶ペンケースのおもひで

おいでませ。玻璃です。

中学生活は順調だ。
まず、小学生の時と大きく違うのは、教科ごとに先生が変わること。
教科ごとに個性ある先生が多く,、モノマネ好きな私たち窓際族の話のネタとなった。

女子の体育教師でスラリと背が高く、日に焼けたショートカット、水泳の木原光知子さん似の「おだばあ」。

家庭科教師で体の比率が湯婆婆に似た「とくばあ」。
(基本女性の中年以降の先生は”ばあ”がつく)

国語教師

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中学生になりました

中学生になりました

おいでませ。玻璃です。

6年間通った明倫小学校を無事卒業した私は、市内でも一番大きな中学校に入学した。

萩市立第一中学校。
第一だからといって第二があるわけではない。
萩市民は一中(いっちゅう)と呼んでいた。
私の在籍中は1学年8クラスあり、市内では一番大きな中学校だ。

私の家は自転車通学の区域だった。
自宅から自転車で約15~20分くらいだっただろうか?
中学入学と同時に買ってもらった新し

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会話のチカラ

会話のチカラ

おいでませ。玻璃です。

小学生生活も残りわずか。
卒業前にクラスのみんなに自分用の寄せ書きを書いてもらう。

「中学生になっても遊ぼうね」
「中学は別々だけどずっと友達!」
「これからも明るく元気な玻璃ちゃんでいてね」

などなど、みんなかわいいイラストを描いてくれたりして賑やかでかわいい寄せ書きになった。
その中で、竹内さんこと「おタケ」の書いてくれた言葉に目がとまった。

「掃除の時間に話し

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正義は勝つ

正義は勝つ

おいでませ。玻璃です。

小学6年生くらいになると男女の成長に差が出てくる。
女子の方が精神的に少し大人びてきて、男子の方はまだまだやんちゃな面が多い。

我がクラスの男子のやんちゃぶりに、女子たちは困っていたし、腹が立っていた。

何かといえば変なあだ名を付けて、からかってくる。
私のあだ名は、旧姓の苗字に「宮」が付くからと、付けられたあだ名は「宮尾すすむ」。それが短くなって「すすむ」と呼ばれて

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