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みっちゃんとのおもひで

こんにちは。雪乃です。

今回はお盆なのでおばあちゃんエピソード。
そんなに重くない記事です。

3ヶ月前、母方の祖母が亡くなりました。

祖母のことは幼少期から「みっちゃん」と呼んでいました。本人がそう呼んで欲しかったみたい。

みっちゃんとの関わりは、実はそんなに多くありません。
私は家庭環境が劣悪だったので、みっちゃんのみならず、父方の祖父母とも全く関わりがありません。

でも私はみっちゃんが大好きです。

18歳の頃に私が家出をしたときも、たまに電話をくれて、優しい言葉をかけてくれました。

小さい頃、みっちゃんちにお泊まりしたとき、朝食に納豆ごはんをぐちゃぐちゃにかき混ぜられたのがショッキングでした。

せめてごはんの上に納豆をかけるだけにして欲しかった……
ごはんと納豆が複雑に絡み合う姿を、私は悲痛な表情で眺めていました。

でも私はみっちゃんが大好きです。

数年ぶりに会ったときに、当時未婚の私に「友人の息子を紹介する」とおもむろにガラケーを取り出したので、慌てて止めたのが良い思い出です。

それに亡くなる2ヶ月前に電話をくれたときも、唐突に「赤ちゃんは出来たの?」と言ってきたのも良い思い出です。(出来てねえよ)

典型的なおばあちゃん思考、大好きでした。

去年、夫を紹介するために3人でごはんに行くという話になり、何が食べたいか聞いたところ「中華」と即答されたのも良い思い出です。

80手前の人がまさか中華を選択するとは思わず、しかもラー油をどっぷり浸けた餃子を食べるとは思わず、この人長生きしそうだな…とそのときは安堵しました。

みっちゃんは急性白血病でした。

気づいたときには手遅れでした。

もっと最期に言葉を交わしたかったのに、最期の会話は「お母さん(私の母)、太りすぎで心配」でした……

それ、毎回言ってんだよな……

でも母(おばあちゃんにとっては実娘)の心配を毎回欠かさずするところも、大好きでした。

思い出せるエピソードこれくらいしかない。笑

お葬式は人生で初めてでした。

眠るように横たわるみっちゃんは、とても美しかった。

骨だけになっても、とても美しかった。

一人の人生が幕を閉じたのを見た。

私は愛する人の人生の閉幕に居合わせられたことを、誇りに思いました。

“どんなに怖くても目を逸らさないよ。
全ての終わりに愛があるなら。”


帰り道、桜流し(宇多田ヒカル)のフレーズが、何度も脳内で再生されました。


みっちゃん、またどこかで会おうね。
ばいばーい。

お盆の時期なので、想いを馳せてみました。
完全に自己満足の記事で申し訳ありません。

でも楽しかったです。

お読みいただきありがとうございました。


雪乃🌹

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