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しょっぱい卵焼き

初七日は経った。

四十九日には帰れそうにない。

婆ちゃんが死んだ。

6月の半ばの事だった。

その日は学校の行事があったので、

早朝から準備していた。

ふと携帯を見る。

母からのLINEが光る。

「ババ死んじゃった。」

なんとも単純で、最も悲しい一文だった。

ばあちゃん、僕は昔から「ババ」と呼んでいた。

ババは料理が美味かった。

長い事ホテルの調理場で働いていたらしい。

コロッケが美味かった。

ババの作ったコロッケが食いたくて、

母にねだっても、

母は、

「どうしてもババみたいに上手くできないんだよね」

と言う。

タラの芽の天ぷらも美味かった。

良く山菜を採りに行くババの専売特許だ。

僕の親戚でタラの芽を食卓に並べたのは、

ババだけだった。

シャケがしょっぱかった。

既に味付けされたシャケに、

更に塩をふりかけて、塩分のバケモノを生み出す。

THE・ババの料理である。

卵焼きがしょっぱかった。

あまりにも塩が多い。

母は散々塩っ辛いと叫んでいた。

僕は密かにこの卵焼きが好きだった。

確かにしょっぱいが、2個目3個目と、

次が欲しくなる味だった。

米が進む味だった。

今年の3月に緊急搬送されたババは、

既に癌が進行していた。

僕が帰省するまで生きていられるか分からない、

と母が言った。

LINEのビデオ通話で顔を見せてやってくれ。

その言葉はすぐに実現された。

5月の終わり頃だっただろうか。

母からビデオ通話が開始された。

開いてみると、象徴的な天パが無くなったババが

笑顔でこちらを向いていた。

葬式は行わなかった。

僕は火葬にすら参加できなかった。

ただ、ババの死に顔を拝んだだけだ。

安らかに眠るババの顔を、

どんな顔をして覗けば良いのか、

悩みに悩んだ。

母はババとの時間を作るために仕事を辞めた。

来月で仕事先の籍が無くなる、そんな矢先。

ババが死んだ。

母は暖簾に手押しのような感覚だったはずだ。

無力感と虚無。

最も哀しい肩透かしを食らったはずだ。

そんな人間がそばにいる時、

あなたはどんな顔をする?

僕はわからなかった。

初めて2親等以内の人間の死に直面し、

動揺を隠せなかった。

とにかく頭の中でババとの思い出が反復していた。

しょっぱい卵焼きはもう食卓に並ばない。

しょっぱいシャケも、出てこない。

あの味付けは、ババにしかできない。

もういない。

もう、いないのだ。

家に泊まると言うと嬉しそうにしていたババに、

もう一度だけ卵焼きをねだりたいという気持ちは、

感傷的なわけでもなく、

ただ純粋に、

家族に会いたいという気持ちに近い。

だがもう会えない。

ババ、あの卵焼き、どうやって作ったの?

聞いとけばよかったな。

どうか安らかに。


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