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エンディングメッセージ

おいでませ。玻璃です。

病院で亡くなったばあちゃんが無言で自宅に帰り、お通夜、葬儀が執り行われた。

絶賛水疱瘡中の私はお通夜の晩、弔問客が少ない時を見計らってばあちゃんに会いに行った。
手足の痛みに加えて、全身岩をくくりつけたように重い身体を引きずってそっとばあちゃんの冷たくなった顔を覗き込んだ。
痛みから解放されたその顔は穏やかだったことを覚えている。

水疱瘡の私はお通夜にも長くは居られず、親戚や近所の人がたくさん来る葬儀には顔を出すこともできなかった。
ばあちゃんをきちんと見送ることができなかった事は、40年以上経った今でも心残りだ。

「ばあちゃん…ばあちゃん。」

葬儀に参列できない私は、一人で留守番をしていると押しつぶされそうな悲しみにどう耐えていいのか、11歳の経験値ではわからず、ただただ泣いていた。

忙しい母に代わって、いつも私の面倒をみてくれたばあちゃん。
一緒に海に行った事や一緒の布団で寝る前に聞いた昔話。
ぎゅっと抱っこされて眠ったこと。
ウニやしらすご飯、豆腐大き目の味噌汁。
そのすべてが私の脳裏に次々に通りすぎてはまた戻り、息もできないほど心臓を鷲掴みにした。

台所で料理をするばあちゃんのうしろ姿を今でも鮮明に思い出す。

「ふんふんふんふ~ん」

さっぱりわからない曲をよく鼻歌で歌っていた。

「ばあちゃん、それ何の歌?」

「戦争の時に看護婦の友達とよく歌ったんよ。辛いことばっかりやったけどこっそりと歌を歌うんが楽しゅうてね。」

ばあちゃんの思い出の青春ソングは看護助手として戦地で歌った歌らしい。

幼い頃に口減らしのために子守奉公に出され、それからは働き通しだった。
じいちゃんと結婚しても子供には恵まれず、両親を亡くした赤ん坊の洋平を引き取り、貧しいながら育てた。その洋平も子持ちの女性を追いかけて家を飛び出してしまった。
どうにか洋平との関係が修復できたのは私が生まれたから。
仕事が忙しいのはもちろんだが、そのことを口実に私を預けていたのは母の仲直り作戦だった。
じいちゃんが亡くなって、一人暮らしになったばあちゃんは特に私が行くのを心待ちにしていたそうだ。

少し成長して小学生になってもよくばあちゃんのところへ遊びに行っていた。その時にいつもばあちゃんの話相手をしてくれていた隣の家のおばちゃんが、ばあちゃんが席を立った間に少し涙ぐみながら私にそっと話してくれた。

「玻璃ちゃん。
ばあちゃんはね、玻璃ちゃんの事が可愛い可愛いっていっつもおばさんに話してくれるんよ。
玻璃ちゃんといる時が一番幸せなんやって。
玻璃ちゃんが大きくなったら、ばあちゃんにたくさん孝行してあげんとね。」

この時おばさんは、ばあちゃんから病気の事を聞いていたのかもしれない。

そのおばさんもその後間もなくして、虫歯から入った菌が全身に広がりあっという間に亡くなったという。

人の命は無限ではないし、いつ空からお呼びがかかるかわからない。
ばあちゃんの気持ちを聞けて良かった。
わかっていたことでも、改めて聞けて良かった。
字の書けなかったばあちゃんは遺言を残すことはできなかったけど、こうしてちゃんとおばさんの口を借りて私にエンディングメッセージを伝えてくれたような気がしている。

私もそのうち空から呼び出しがあるだろう。
その時に慌てないように、みんなへの愛情は言葉にして残しておきたい。
そしてばあちゃんにまた会える時には、私の孫の話もたくさんしてあげよう。

ではまたお会いしましょう。


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