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記憶の断片〜自分探しの旅 2

 不完全な記憶の断片は、ふとした瞬間に浮かび上がり、像を成す。
何かのきっかけで。
 いつか見た景色、遠い昔に聞いたことのある歌、草木や花や空気の匂いなど、何かに触れた時にぱっとよみがえる記憶。

 小山駅のホームで電車を待っていた時だ。目の前の線路の上を高架が走っているのを眺めていた。
 そしてふと思った。
 あ、これだ。ここだ。
 記憶の中の駅の情景。間違いない。
 母と電車を待って、ここから乗ったのか、降りたのか…おそらく一回ではなく、何度も繰り返し乗り降りしたのかもしれない。幼い頃の記憶。刷り込みのようなものなのだろうか。この情景は無意識のうちに脳の深い部分に刻まれ、きっかけを待っていたのだろう。

 途端に胸に込み上げるものを感じ、涙が出た。子供の頃の母との夏の思い出。二、三年に一度、母方の祖父母のうちを訪ねるのを、私はとても楽しみにしていた。
 記憶のかけらが胸に刺さって、涙が後から後からこぼれ、落ち着くのにしばらく時間がかかった。
 そして、脳裏には祖母の姿が浮んだ。
「こんなところまで一人で来たんか。よく来たなぁ」
 栃木訛りの優しい声。大好きだったおばあちゃん。
 でもすぐに母が叱る声が聞こえてくる。
「まったく!こんなとこに一人で来て!うちのことは大丈夫なの?!ちゃんとしなきゃダメよ!!」と。
 ああ、そうだ。母ならこんなふうにたしなめるだろう、きっと。いつも私は叱られるのだ、ダメな子だと。
「ごめんなさい、こんなわがまま一人旅、ダメだよね…」
 脳裏で子供の私が母に謝る。
 胸がキュッと傷んで、また涙が溢れた。
 私は再び祖母の声を求めた。祖母は言う。
「ええんでねぇか、たまには。一人でここまで来たんだ、偉いじゃない」  
 私の勝手な想像だけど、祖母の声でそう呟いてみるだけで、なんだか救われるような気がした。
 お母さん。自分一人でここまで来れたんだよ。初めて来たよ、一人で栃木まで。お母さんに会いたくて、記憶の中の思い出を探したくて、来たんだよ。私ももう立派な大人なんだよ。

 子供の頃、父も母も厳しかった。私は長女だから、二つ下の妹が生まれてからは特に長女として、しっかりするようによく言われていた。そして、よく叱られた。よく泣きながら外に出されて、必死で「ごめんなさい、もうしません」って許しを乞って泣き叫んだ。今でもたまに思う。幼い頃の私は、本当にそんなに悪い子だったのだろうか。
 もちろん、両親は私を愛していて、大切にしてくれた。でも、叱られて辛かった思いも、その頃の心の傷も、最近では忘れかけていたけれど、また心の奥底で疼いて、涙が止まらない。

 しばらくして、少し落ち着いた私は、高架を眺めながら、もう一度自分に問いかけた。私の記憶はホントに正しい?
 高架のある駅のホーム。高架駅って、新幹線だよね?昔は知らなかったが、今はわかる、新幹線は高速で走るから、従来線とは別に高架を使っているんだよね。
 私が幼い頃に、本当にこれがもうあったのだろうか?私の幼い頃って、小学校低学年だから、今から40年も昔のことだ。
 九州新幹線が完成したのは、私が台湾に住むようになってから、そろそろ20年ぐらい前になる…でも、ここは40年も前にもう新幹線のレールがあったの?
 そう考えると次第に自信がなくなってきた。でも、確かにこの景色を見た気がする。こういう景色を車窓から見た。その時のエピソードも蘇ってきた。

 その年も母と妹と私、三人で栃木の母の実家に帰った。
 三人で電車に乗っていた途中、車掌の切符チェックがあった。終わった後、母がちょっと嬉しそうに私にこっそり言うのだ。まゆみは子供料金が必要なのに、切符を要求されなくって良かった、と。私は幼い頃から身体が小さく、まだ幼稚園児に見えたのだろう。二歳下の妹は切符がいらなかったということだったから、おそらく私が小学1年か2年の時に母は私たちを連れて帰省している。となると、大体の年数が割り出せる。

 私はwikipediaで小山駅について、調べてみた。小山駅の構造として、高架駅の記載があり、東北新幹線の小山実験線の一部として早期に作られたという記載がある。東北新幹線の着工は1971年、私が生まれる二年前だから、私が小学校低学年のころにはできていたとしてもおかしくない。つまり、私の記憶は正しいと仮定できる。

 自分の記憶が確かだと確認できて、なんとなく安心した。そして、そこからは不安が消えたせいか、心が落ち着いてきた。

 さて、今から向かうのは、日光東照宮。幼い頃、母と祖父母、おそらく叔父と叔母、そして多分父も一緒に行ったことがある場所。
 なんとなく覚えているのは、像は成さないけれど、祖父が彫刻を興味深く最後までじっと見ていたと誰かが言った。祖父は建具師で、彫刻なんかもしていたから、興味があるんだろうと。
 東照宮の中を見学している間は特に何も思いださなかったが、帰る時、出入口の階段に立って、下を見下ろした時、あ、この景色、知ってる、と思った。
 東照宮にも何回来たことがあるのだろうか…。もしかしたら、父が何か覚えてるかもしれない。今度帰省した時に聞いてみよう。

 多分、子供の頃の記憶は大人になってからのものより、深く、強く残るんだろうな。だって、覚えてるもの。40年も前のことなのに。去年や一昨年のことよりも、しっかりと。だから子供のうちにいろいろな経験をするのはとても大切なんだな。
 ふと、自分が親としてできなかったことを思い、少し心苦しくなった。
とはいえ、仕方ない。過去は変えられないのだから。
 今回の旅は過去の記憶を探すためのものだけど、それは決して後ろ向きな気持ちではない。歩いてきた道を確認することで、これから先の道が見える気がしたから。変な考え方かもしれないけれど、過去は未来へと続いてる気がするのだ。

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