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ばあちゃんの存在と私の半生③



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(9)キャラクターと自分


姉が出て行ってからの、家のバランスはとにかく危うかった

いつ父が怒り出すか分からない。
いつ母が見て見ぬふりをするか分からない。
いつ祖母が父の地雷を踏むか分からない。
姉の名前の件から、その理不尽な雰囲気は蔓延していった。
姉の名前の件だけじゃなく、色々な地雷が増えていった。

いつでもグラグラしていて、皆が誰かのせいにする。そんな中で大学生だった私は、家の中で生き抜く方法と、ばあちゃんを守ることに頭がいっぱいだった。

そして家の中だけ存在する、あるキャラクターを作った
明るくて、陽気で、思いやりがあって愛される、元気な道化のようなキャラクターだった。「いつも明るく陽気で楽しい、元気な弥生ちゃん」だ。
力や争いの空間で、輪を乱して和を作る、そんなキャラクターになろうと思った。

元々小学生からずっと、演劇を続けてきた私。
演劇が大好きで、観るのも舞台に立つのも好きだった。どんな仲間とも、どんな戯曲でも楽しかったし、劇場を押さえて主催したこともあった。何かを演じるのは得意だと思っていた。

「いつも明るく陽気で楽しい、元気な弥生ちゃん」は、欧米かぶれでスキンシップが多く、どんな時でも元気。アメリカのホームドラマのように、とにかく全てオーバーリアクション。
母やばあちゃんに朝の挨拶する際や、仕事から帰った父にだって、おかまいなしにハグしたり頬にキスをした。家の中ではしょっちゅう歌ったり踊ったりして、とにかく陽気で、家の政治にも無頓着な顔をしていた。
それまでも愛想よく過ごしていたのだから、ちょっとアメリカ被れくらいでそこまで違和感はない。
ちょうどそのちょっと前に、本当にクラウンに憧れ、クラウンスクールに行きたい(母に却下された)なんてこっそり夢を見ていた。だから、丁度よかった。

母には親しい友達のようにふるまい、
父には若いギャルのようにふるまい、
ばあちゃんには自信満々の明るい子を演じた。
それぞれに好かれるキャラになればいいのだ。

家の空気は意外にもどんどん変わった。
誰の味方になることもなく全員の味方で、張り詰める空気はぶち壊し、「うちって仲良しだよね!いやぁ、家族さいこー!ラブアンドピース!」と大きな声で言うそんな私に、皆そんなに反発もなく、次第に思っていた以上に平和になった。

変に明るいキャラクターは、やはり反動があった。
そりゃそう。元々超根暗な私。社交的だがそもそも人は苦手。
1週間に一度、発狂したように大泣きをした。ベッドで布団を頭からかぶり、叫びながら泣いていた。
でも、泣いて寝たら、またがんばれた。
平穏は貴重だったし、そういうもんだと、飲み込めばそこまでしんどくないもんだと思えた。この家の安定は、私が少しふんばって作ればいいのだ。
でも、この平和はきっと、私がいなくなった時点で崩壊する。ずっとそうも思っていた。

ばあちゃんにだけは心配をかけたくなかったけれど、嘘もたくさんはつきたくなかったばあちゃんは私を、本当に「明るい弥生ちゃん」だと信じて、それはだんだんと「自慢の弥生ちゃん」になっていった。私は、「明るい弥生ちゃん」を崩さないように、本物にしながら、心の距離は近くにおくように努めた。

ばあちゃんにだけ話せること。ばあちゃんにだけ見せる顔。そんなのがちょっとずつ、増えていった。
今思うと、私は私が良く分からなくなってきていて、でもばあちゃんを指標にしたかった。
ばあちゃんに喜んでもらえる「私」を守りたいと思っていた。


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(10)父と母と、私


元々子供嫌いの父。
「おれは子供なんかもともといらなかった。勝手にできただけだ」
「子供は頭悪いし、汚い」
「会話にならないから近づけるな」
「おれの子じゃねぇよ、お前(母)の子だろ」

そんな言葉を何度も聞いた。

家の敷地には庭を挟んで離れにアパートが1棟あり、遠い親戚(父の愛人のような人)を住まわせていたが、そのアパートの一室が子供部屋になっていた。
家で子供がうるさいと父が不機嫌になることもあり、父がいる時は母に、「あっち(離れ)の部屋に行ってなさい」と言われることも何度もあった。

幼少の頃に見る姿は、酔っぱらった時か、仕事で忙しそうな時か、偉そうな時の印象が強かった。
暴言を吐いても、キレるわけではない。頭がとにかく良い父は、冷静さをあまり失わない。
ただ、基本的に人を馬鹿にしながら、効果的にでかい声で極道のような言葉遣いで怒鳴りつけ、言いくるめて服従させるのだ。
言い方や方法的には、かなり洗脳に近い。どんどん言い聞かせて、牙を抜き自分の言いなりにさせていく。父に言われた相手は、反発することをどんどん忘れていって意見をしないのが当たり前になっていく。

調子の良い面もあるので、ふざけることも多くてオヤジギャグや冗談を言うこともたくさんあったし、家族サービス的なこともあった。
情にも熱く、女性にもモテたが、若い子から年配まで、男の人に憧れられることが本当に多かった。
部下に目をかけたり独立の支援をしたり、だめでも最後まで面倒を見るなど、「父に育てられた」というような、父を慕う息子(仮)のような社員が何人もいた。

それでも、ルールが理解できず、言葉の伝わらない”子供”は、彼からしたら意味の分からない生物だったのだと思う。

キャラクターを演じ始めてから、平和を作れていたのは意外と長く持っていた。でも、私の成長とともに徐々に、思っていなかった方に歪んでいく。
父が、私を女として見るようになった。
私が妙なキャラクターで各々に近づきすぎたせいだろう。

子供嫌いの父。
女好きな父。

気づけば、父の彼女たちと同じ年齢に、私はなっていたのだ。父から見て、私は「話の通じない子供」ではなくなっていた。
何がきっかけだったかあまり覚えていない。大人用のスーツを始めてちゃんと着た時だったかもしれない。
ある時から急に、私にブランド物のバッグを買ってくるようになった

私は当初戸惑ったが、素直に喜んだ。ブランドには疎いし全然知らない。オタクだし、声優さんの名前はスラスラ出てきてもファッションはうーん、という感じ。一時期ゴスロリを着ていたこともあり、一般的なハイブランドよりもモワティエやベイビーの服やバッグの方が嬉しかった。
でも、高いものをもらって、いざとなったら何かの足しになるかもしれない。家は金持ちだが、子供にはあまり贅沢をさせたくないという方針だったこともあり、私は現金にもそんなことで喜んでいた。金目に喜ぶその感情はきっと、笑ってしまうほど父の愛人たちと近いものだっただろう。

だが、母の反応がおかしかった。ふと見ると、母は私にむけて、父の愛人たちを見るような眼をしていた。
家族の均衡を保つことに日々を奔走していた私にとって、これは危険信号だった。
父はやたらと買ってきて、自分の知っている方法で、女になった私を今更になって愛で始めたのだ。
今、父と仲良くなりすぎると、母からヘイトを買う。ときメモの、爆弾状態に見えた。誰の好感度も高く維持していたつもりだったが、バランスは急速に勝手に傾きだした。
そして加速する父の言動は、望まない方向にも進んでいった。

昔から毎日浴びるように呑む父。夜中や朝方に帰宅することも多かった。
ある時、父は私の寝室に入ってきて、ベッドにもぐりこんできた。
そして顔を舐めて、パジャマの中に手を入れてきた。

私はさすがに騒ぎまくり、母が駆け付けた。
私は、”これを真剣に捉えたらもっと問題になってしまう”と焦り、冷や汗をかきながらも「やだなぁもう!酔っぱらって!なんなの~~!」と笑いながら父をどけた。

でも、酔っぱらった父を抱えた母は、私を冷たく軽蔑した顔で、強く睨んでいた。初めてしっかりと、憎しみが感じられた
そして「あんたが普段からパパに色目使うからでしょ」と、笑いながら吐き捨てて言った。

その後、何度も同じようなことがあった。いずれも本番はぎりぎり未遂だが、酔った父の力は強く、何度かやばいと本当に思った。
そしてその度に母に、軽蔑され続けた。
私は私の作った平和を崩したくなくて、ずっと笑っていた。


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(11)交際と、父の怒り


私は20歳の時、住宅展示場でバイトをしていた。着ぐるみバイトだった。
それまでもアルバイトは色々やっていたが、これは演じることが好きな自分にとって、特に楽しい仕事だった。丁度マイケルジャクソンにハマっていた時期で、裁判所に行きたくて渡米資金を貯めたいなんて思っていた。
そして、そこで今の旦那さんと出会う
旦那さんは5歳上の営業マンで、無愛想な威圧感のあるタイプだった。
職場の人は皆、「あの人感じ悪いよね」と話していたが、父より全然威圧感もないし、話しかければ笑顔も見られて、気づけば好きになっていた。

私は過去の性経験から、実はひどく自分の身体をないがしろに弄んでいた時期がある。実は中学の事件の後から、筆舌しがたい傷めつけるプレイを主にした嗜好に身を投じていた。
そういう意味では経験人数はもしかしたら結構多いのかもしれない。でも、恋愛でもなければ”普通”でも”対等”でもなかったし、何なら性行為というものは一方的であるものだと思っていた。ちゃんと恋愛なんて、ほとんどなかった。普通の人からもそこそこ好かれもしたし、惚れることも何度もあったが、”お付き合い”とは、どうするもんなのかもよく分からなかった。なんで自分みたいなのを好きになるのか、相手の価値観を疑うレベルだった。
恋愛に限らずそもそも、女子高育ちで特殊性癖だけで生きてきて、対等な存在としてきちんと男性と向き合ったことはほぼなかった

とにかく恋愛音痴だった私だが、片想いを拗らせそうになったあたりで旦那さんが気づき気持ちを受け入れてくれた。そこからお付き合いをはじめたが、わずか2か月で暗雲が立ち込めた

当時、スキー場でもバイトをしていた私。ありがたいことに、彼氏(旦那)さんが帰りの迎えに来てくれて、スキー場から家まで毎回送ってくれていた。しかし、ナイター業務の後なので帰宅は深夜。その時間に、彼氏さんと一緒にいたのが父にバレた。

彼氏ができたことも、送迎していることも、父は知らなかった。父は激怒。
1つは、夜中に帰宅すること(バイトだけなら怒っていなかったが)
1つは、私が父ではない他の男に会っていたこと。
1つは、いずれは自分の会社の有望株と結婚させる予定だったこと。
私はそれで怒られることに納得がいかなかった。

さんざん怒鳴られてから、父はこう言った。
俺とその男、どちらか選べ。その男を選ぶなら、ここは俺の家だからお前は出ていけ。俺を選ばないなら、学費も出さないし家にいることも許さない。どうする?
脅迫のような口調だった。私はその場では冷たく怒る表情が恐ろしくて答えることすらできなかったが、それでも後日、抵抗する意思を伝えてしまった。私はまだ付き合って2か月の彼氏さんを選んだ。

だって、色々なことがもう、限界だったのだ。


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(12)居場所と葛藤


もうあの「明るい弥生ちゃん」のキャラクターは通用しなくなっていた。ある日急に始まった、父の攻撃。

「あ?まだいるのか?でかいゴミだな」
「おい、なんか汚ねぇのがいるぞ、追い出せよ」
「なぁ、お前なんでここにいるの?馬鹿だからわかんないの?」
「なんなんだよお前、いやがらせか?クズだな」
「今日もいるんですかー?家賃払えよ、なぁ」
「俺がその顔で嫌な気分にさせられんの、いつまで続くの?」
「早く出てけよ、邪魔だっつってんだろ何度もよぉ!」

顔を合わせる度に、ずっと言われる嫌味っぽい言葉。怒るにしても、こんなやり方はないだろうと思っていた。私の荷物がごみ袋に入れられていたことも何度もあった。とにかく陰湿に、いじめのように、ひたすら続けられた

最初は心配げな母や祖母と顔を見合わせ大丈夫だよと苦笑いしていたが、いつの間にかそれもできないほど辛辣になっていった。
うまく笑顔が作れない。呼吸が浅い。
母は心配していたが、やはり矢面には立たなかった。父をよく知っているからだ。それよりも、「パパをこれ以上怒らせないようにしないと」と言っていた。
ばあちゃんは心配して姉の時以上に反発していたが、ばあちゃんの孤立が何より怖かった私は「父には自分で対処するから口を出さないでいて」とひたすらお願いしていた。

私は、なかなか人を嫌いになれないし怒れない。昔から、自分以外を嫌いにはなれないのだ。自分よりは皆、きっといいところがあるから。
嫌いになる資格もないと思ったし、実際嫌いと割り切る勇気もなかった。
私を傷つけてやろうという父も、私を軽蔑したり味方の体をとったりする母も、嫌いになれなかった。
できればもっと愛されて愛したいと思っていた。父を嫌いなら良かった。
そんな甘い私は、どんどんどんどん、傷ついていった。

とはいえ、私はどうしていいか分からなかった。考えてはいたが、脳まで委縮したように働きが悪く、まとまらない思考に悩むばかりだった。真っ白な頭でいても、家の状況は日々悪化していく。居場所はもうないのだ。出ていかないと。

とりあえず家を出ようと思った。だが姉の時のことを思うと、またギスギスした空気になって残された母とばあちゃんが苦しむことが予想できた。まして最近は、私がなんとかすごくバランスを取っていた。
いなくなって大丈夫だろうか。ばあちゃんが辛くならないだろうか。
誰がかばうのだろうか。
誰もいないじゃないか。
今は私が標的だ。出ていったらばあちゃんが標的になるなら、このままずっと私が標的の方がいいのではないか。
とても頭を悩ませた。考えるたびに胸が苦しくなった。毎日どうしたらと泣きながら悩み続けた。

また、物理的にも問題があった。
学生だった私は家を借りるにしても保証人が必要だが、保証人になれる人がいない。一瞬姉も考えたが、姉もその時定職という定職ではなかったし、それでいて県外在住なので厳しそうだった。
調べると、保証人不要の物件でも、定職についていて在籍確認が取れる場所でないとダメだった。父が敵である以上、中立の母に頼めない。

しばらく実家でしんどい時期は続くが、まず何でもいいから適当な会社に就職することに決める。そして在籍確認できる時期まで働き、保証会社が通れば、その保証会社の物件に住める。
そのために、とりあえず学校は退学することにした。大学のお世話になった教授からは休学にすることを勧められたが、休学にしてもめどがたつ未来が考えられなかったし、そんな未来を考える余裕がなかった。
働かなければ当面の家賃も生活費も払えない。なんせ家を出たら自分の僅かな貯金しかない。持っている金額は初期投資も必要な新生活を始めたら、はした金だ。
こんなに急に家を出る予定ではなかったのもあって、準備時間が少ない中での行動に、余裕は持てなった。

そんな見通しを立てながら、それでもまだ私はばあちゃんのことをずっと気にしていた。

毎日傷ついている今の自分。
これは姉が、日々追い詰められて生気が無くなっていった時とまるきり同じだった。思っていたよりつらい。
家にいる間中、ずっとドキドキしていて、怖くて怖くてびくびくしていて、酸素が薄い。本当に、死んだ方が良いのかと思っていた。
そして、きっとこの辛さがきっとばあちゃんにいくんだ。
私は自分を守るために、ばあちゃんを捨てるんだ。
切羽詰まった感覚がいっぱいで、頭がどうにかなりそうだった。


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