見出し画像

あなたがいたから、私はここにある。

いつかは、こうなることは覚悟していたけれど。


先週、祖母が他界した。

思い出の中に色濃く側にいてくれた、身近な人が亡くなるという経験が今までなかったので、まだ感情を整理している。時折、空虚な気持ちになる。

死とは、なんなのか。
生きるとは、なんなのか。

所属しているコミュニティ内で至極プライベートなことは書かせていただいたが、まだ、自分の中でなにか渦巻いていることがある。
そこに手を突っ込んだら何がでてくるのか…

そんな感覚で、今日は綴っていこうと思います。


人が亡くなることは、日本語で様々な表現がされる。

「訃報」「死去」「逝去」「永眠」「他界」

最初は、祖母の死を報告する際に

「祖母が亡くなりました」

「祖母の訃報があり…」

と使っていた。
だが、祖母の納棺や葬儀に立ち会う中で、「他界」という表現をするようになった。

私の家の宗派によるところもあるかもしれないが、納棺の際に旅立ちに使われるものを身につけさせてあげたり、道具を一緒に入れたりした。

これで、極楽浄土にいたる修行の四十九日間を過ごすのだ…と。

このストーリー(といっては失礼かもしれないが)をつくってくれた先人に、私は感謝した。
また、人の死を丁寧に弔ってくださる職にも、心から感謝した。

祖母の体を大事に扱ってくれて、ありがとうございます。

ここ数日、人生最大級の失恋や絶望を感じた時以上に、涙を流している。
祖母の葬儀の日は、親族で集まって、夜やっと自分の部屋に戻った時に、涙が溢れて、人生最長で泣いていたと思う。
(おかげで、翌日目がぷっくり腫れました)

死は、なぜこんなにも寂しいのだろうか。

祖母の訃報を聞いて、死について考えていた時に浮かんだのが

生物学者・作家の福岡伸一氏の以下の言葉だった。

(中略)私は死とは最大の利他的行為だと思っています。
「死」自体が、実はその生物が占有していた時間や空間や資源を別の新しい動的平衡に手渡すことで、生命の進化にも繋がる。
だから、死はそれほど恐れることはないというのが、私のメッセージです

2023年10月放送 weekly ochiai「生物と無生物」の境界線 より

自分の死については、あまり悲観的には考えていない。
「永眠」ともあるように、私は意識を消失し、目覚めない…ただそれだけなのだろう。(終活は済ませておき、できるだけ苦しまずにいきたいな、とは思っている)

ただ、身近な人の死、と考えた時
「死とは最大の利他的行為だ」
このようには、考えられなかった。直後は。

では、今はどうか。

利他的行為…という一言に押し込めることは避けたいが、確かに、祖母の死によって気付かされたこと、繋いでもらったことが、たくさんある。

自分の仕事。昨年1月に会社員を辞めて自己理解の事業を立ち上げ、粛々と個人の心の平和から世界平和へと繋がってほしい…そんな想いで活動をしている。ただ、正直なところまだまだ、これからだ。親族に自分の仕事を説明する時、胸をはって言えない自分がいることに気付かされた。(会社員で働く人がほとんどの一族の中で、私は特異な存在ではある)

身内を大事にする心。私は一族の中ではあまり話さない方だ(というか、筆頭でめちゃくちゃ喋る人たちがいるので、その人たちと比較したらそりゃあ喋らないよね、という感じではある)。喋らないんだけど、ただ親族同士が話しているのを聞き、その空間にいると、安心する。普段関わる人は多いけれど、私は身内や身近な人に対して心から信頼を寄せているのだな…ということに気付けた。

だからこそ、祖母の他界は、とても、寂しい。

私にとって死が寂しいのは

「相手を通じて自分の存在を感じていたから」

だと思う。
祖母との思い出を振り返ると、めちゃくちゃ仲が良かった、とか、おばあちゃん子だった、というほどのものではないが、なんだか懐かしさと安心感があるのだ。思えば怒られたことが一度もなく、穏やかで献身的な人であったなという記憶がある。

特別なにか共通の話題があったか…も覚えていないが、それでも会話ができるって、すごいことだと思う。間がもつというか、間があっても気にならない、というやつなのだろう。

祖父母の家には大人になってもちょくちょく顔を出していた。何を話したかは、細かくは覚えていない。無言で何を話そうかな、と内心焦っている時もあったかもしれない。けれど、見送られる時には

「会えてよかったな」
「また来よう」

という気持ちになっている。
祖母がいたその空間が、私にとって思い出であり、一つの居場所であり、そこに私の世界が広がっていたのだと思う。

それが、消失したことによって、とても寂しい。
他者の存在を自分事のように感じる。
HSPのミラーニューロンが活性化しているって、こういうことでしょうか。


話が少し変わるが、祖母は、料理が得意で、小さい頃からいつも美味しいごはんやおやつを作ってくれた。

祖母の他界を聞いて、その時は関東から離れていたので、予定を前倒しさせてもらって急遽始発で関東に戻ってきた。葬儀の日程が決まり、それまで何をしていいかわからず、ぼーっと買い物にでた。(食材が家になかったので)

祖母がよくなめこ汁を作ってくれたので、無意識に…というか、意識的に買い物カゴに入れて、その晩はなめこ汁をつくった。
祖母、母もだが、梅を収穫する時期には梅ジュースや梅干をつくっていた、と思い出し、梅を取り寄せて梅ジュースをつくることにした。漬けてからは毎日ころころと梅が入った瓶を揺らしている。

「つくること」の喜びと、食べてくれる人と分かち合う喜びを、思い出している。

他にも、たくさんもらったことがある。これは、四十九日の間に色々と整理していこうと思う。

祖母が三途の川を渡る頃には、私はどのような心境でいるのか。
まだわからないけれど、ひとつだけ言えるのは。

「おばあちゃんがいてくれたから、私はここにいる」

生まれてきてくれて、おじいちゃんと出会ってくれて、ありがとう。
仕事のことは最近は報告できていなかったけれど、人に恵まれて、好きなことをできているよ。

これからもっとたくさんの人を幸せにできるように「自然体で、穏やかに生きること」を大事にできる、そんな人たちを増やしていけるように、やっていくね。

いつも、ありがとう。
地上から、見守っています。


死を実感して、いつ死ぬかもわからないから、やりたいことをやろう!という燃え上がりモードになるのでもなく
何故人は死ぬのか、死とはなんなのか。そんなことばかりを考え、考え抜いた先に、私は人生の幸福をまた見つけるのだと思います。

こうみると「死とは最大の利他的行為である」は、ある意味、そうなのかもしれない。

生き物は、必ず最後に死を迎えます。

あなたは、どう思いますか?

私信の内容になりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
生者の世界で、またお会いしましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?