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パクス・ヒュマーナ 〜平和という“奇跡”〜 その2.3 ”少年期の教育“ 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 NHKさんの作品を取り上げ、平和への1つの切り口、史実を元にした深堀りをするという話です。

(特に駐在したイスラエル、飽きるほどデレゲーションのアテンドで行ったエルサレムと私の人生に大きく影響を与えた稀有な経験に直結しています。ですから食い散らかした現役時代を卒業したこともあり、コンテンツとして残す事に意義ありという認識です。立ち止まって丁寧に考察して行きます。)

経緯
 その1では、神聖ローマ皇帝のフリードリッヒ2世がその理性的な能力を発揮し十字軍として交戦すること無く、交渉でエルサレムの統治権を得たという史実の話でした。

 その2.1。その偉業を成し遂げたフリードリッヒ2世が3歳で父を亡くし、4歳の時に母方の持つシチリアの王となりました。そしてその理性的な能力の根源を、同年母が他界する4歳までに得たという話でした。そして… (格別の知識·能力を持って)4歳で孤児になったのでした。

 その2.2。その後の児童期の話。
 
 母からの幼児期のエリート教育、教皇からの児童期前半のエリート教育、そして多民族の思惑の中で揉まれた経験がファンダメンタルズ形成の礎となったようです。

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 今回は、資料に乏しい少年期の話。
状況証拠の積み重ねからこんな少年期という理解です。

 教皇の庇護下の4〜7歳の児童期は、キリスト教徒としての王子教育。ですからその前の母方のシチリアの宮殿での教育でアラビア語やイスラムの学問は学んでいて、児童期は隠れての独学となったと思われます。それが活きます。

 つづく少年期、7歳〜12歳までの5年間は、混沌の中から母親の皇帝継承権放棄を覆し、後見人となった父親の元部下のドイツ人による教育でした。
 親身に世話をしてくれる人が居なくなリ市中を徘徊。見るに見かねた心ある人々の身の丈に応じた支援を受けながら多くの人種の人々と交流した様です。

 具体的には、
·ギリシャ人
·アラブ人
·ユダヤ人
·シチリア人
·ドイツ人

 地中海交易の拠点の1つ、シチリアということもあり、地中海地域を利用する多様な民族との接触ができたことが幸いしていると思われます。

 そしてイタリアに侵攻してきていたこともあり
·ノルマン人
とも交流が有った様です。

 それにしても言葉を覚えるだけでも大変だったと思います。正に実践的なアプローチでの学びだったのでしょう。

 庶民目線で言語、文化、宗教を無手勝流で貪欲に学んたと思われます。当然、徘徊する王子を見るに見かねて助けてくれる方々が多かったとは言え、市中は王子には危険に満ちた世界であたった様です。そこでの様々な分野での真剣勝負の他流試合から客観的な観察力、決断力、(良い意味での)人誑(たら)しの性格を備えたと考えられます。

 本邦の豊臣秀吉も(良い意味での)人誑(たら)しの性格という評価。これに近いかと…

本邦の豊臣秀吉も
(良い意味での)人誑(たら)しの性格

出典

 秀吉も苦労人なので、ある意味で共通点が有るということなのでしようか。

 また、王宮に有った歴代の王の蔵書を手当たり次第に読んだとも言われています。

 こんな少年期だったという理解の元となるのは、12歳頃の少年としての仕上がりです。

 具体的にには、

·自然科学
·数学
·論理学
 (シチリアのイスラムの学者からの指導有り)
·哲学
·歴史

をマスターしていたと言われています。

 まぁ、2人の子を育てた親(と言っても仕事で飛び回っていたり、夜中までリモートの国際会議に参加したりと殆ど吾妹が育てた様なものですが)としては、こういう子どもの育ち方はリスクが高すぎて、正に稀有な事例であってなかなか…。可愛い子には旅をさせよとは言うものの、これは選択できないと思うのです。

つつく





 

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