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#1【海外駐在した話】タイ・バンコク|2年間|2008年10月~2010年9月|タイ語を学び、様々な国の友人と出会い、猛烈に仕事をする日々

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本日は番外編、タイ・バンコクでの駐在生活のお話、その1です^^

本編では、タイ語を学んだ話や、タイ語は他言語を学ぶのとどこが違うかなどを綴りました。またバンコクにあるフランス語学校にて、タイ人の友人との出会いなどを綴りました。

今回はバンコク生活について振り返りを綴ってみたいと思いますが、2年間もあるので、概要編、ライフ・キャリア編、楽しい&辛い思い出編の3つに分けてみたいと思います!
あくまで、15年以上も前の話ですが・・💦



駐在期間

2008年10月~2010年9月の2年間

駐在中の主な出来事

2008年10月  突然の辞令。2週間後には着任しろと言われ、軽く抵抗の末、3週間後に着任する
2008年10月~ 家と会社の往復だけで、会社人生史上一番激務な日々
2010年4月頃   政治不安(赤シャツと黄シャツの内乱)で、市内にバリケード等はられ、帰宅困難に別マンションへ緊急お引越し
2010年5月       会社のバンコクオフィスがクローズのため、シンガポールオフィスへ移動
その一週間後    バンコクの内乱が終結し、バンコクへ帰る
2010年6月      あまりの体調不良に、全身麻酔して胃の検査をする(→無事)
2010年9月末   2年の任期満了にて、日本へ帰国

(だいぶ端折っていますが 💦)

バンコク駐在が決まったときの気持ち

入社当初より、海外駐在を希望していたので、入社3年目での海外異動にすごく嬉しい想いはありました。ただ、できるならば、英語圏・フランス語圏・スペイン語圏を希望していたので、ばばば、バンコク・・?と、やや複雑な想いはありました。急な異動(前任が1,2週間以内に退職するので急げ、という背景)への対応というのもあり、周りの人へ丁寧に挨拶する余裕もなく、手放しに喜ぶ、という状況ではありませんでした。

住んでいた地域

バンコク中心部の、チットロム駅近くのサービスアパートメントに住んでいました。1LDK(70平米)だった記憶があります。日本では、ワンルームの社員寮に住んでいたので、急な変化に戸惑う若者でした。確か、60000バーツ程で、日本円で当時18万程。日本で1万程の社員寮に住んでいた私は、急に六本木ヒルズのヒルズ族になった気持ちになりました(中身は一切伴いませんでしたが)。ちなみに、チットロム付近のサービスアパートメントに住んでいるとタイ人の友人に言うと、度々ひかれました・・

チットロムというのは、サイアムパラゴンやセントラルワールド、セントラルチットロム等まさに中心地です。

通常、日本人ファミリーの皆さまは、日本人学校に子どもを通わせやすいスクンビット地域(Soi+数字で表現するような地域の一つ)が主流ですが、単身の私は、買い物の利便性や、駅から近い場所、安全な地域、等の観点から、ド中心地に住んでいました。おかげで、タクシーはさっと拾いやすいし、BTSもマンションから徒歩3分と便利だったので、生活は大変快適でした。
(ちなみに、ローカルタクシーは乗るなと、社長からしばしば指摘を受けていましたが(社用車があるので)、私はタイ語で対話もでき始めたので、ローカルタクシーは利便性から頻繁に使っていました

次回:バンコク生活ってどんな感じ?

駐在生活はどのような感じだったのか、仕事は? そして、楽しかったこと、辛かったことを次は綴っていきたいと思います^^

ここまで読んでいただき、ありがとうございました^^
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